医学界新聞

 

カスガ先生 答えない
悩み相談室

〔連載〕  18

春日武彦◎解答(都立墨東病院精神科部長)


前回2706号

Q 主に慢性疾患の患者さんを対象に診療をしています。家庭の事情もあり,一生続けることになると思います。生業と思えばよいのでしょうが,もうちょっとドラマチックでないとマンネリに陥ってしまいそうで怖いのです。「一生,こんなことをしているのか」と考えると,気が遠くなることさえあります。自分の仕事にプライドがないわけではありませんが,「なんだかなあ……」といった気持ちも,正直なところ拭えません。こんな私は世間をナメているのでしょうか。(32歳・内科医・診療所勤務)

マンネリへの処方箋

A なるほどね。わたしも「一生,こんな調子かよ」と虚しくなることはあります。ただし,じゃあ救命センターが本当にドラマチックな世界なのかといえば首を傾げますね。ま,騒がしい世界ではありましょうが,結局は毎日似たようなパターンの繰り返しです。それはどこの科も同じでしょう。

 あなたに問題があるとすれば,それは「わかりやすさ」を求め過ぎる点でありましょう。ドラマチックと言っても,テレビドラマにしやすいとか,ドキュメンタリー番組制作者にとって「画になりやすい」といったレベルのものもあれば,ディープだが傍目にはわかりにくい種類の知的興奮もありましょう。前者だけをもってドラマチックであると勘違いするような単細胞な精神はあらためるべきです。異性に自分の仕事内容を説明するときには,テレビ的ドラマチックさに満ちていたほうがわかりやすくてウケるかもしれませんけど。

 何をしていても,結局は退屈になるのです。大スターだって孤独感と退屈さとで精神を病むことが少なくないではありませんか。虚しさは仕事の内容に左右されるわけではないと考えます。個人的な話で恐縮ですが,わたしの外来へ娘に連れられて通っている認知症の老婆がいます。この人は,毎回,同じ内容の思い出話と愚痴とを繰り返していく。テープに録ったみたいに毎回正確に繰り返していく。「またこの話かよ」と,聞かされる側としてはまことに苦痛でした。うんざりしていました。ところがある日,「ああ,おばあさんの人生はこの話ですべてなのだ。たった一枚のA4の紙に書き記せるだけの内容が,今では彼女の全世界なのだ」と気づいたとたん,毎度おなじみであるところの彼女の話が,かけがえのないものだという実感を伴うことになった。これはある種の面白さや感慨をわたしにもたらしたし,言葉の持つ切実さにも考えをめぐらせることになりました。

 あの毎回繰り返される話が,一人の人間にとっての全世界であるなんて,これは凄いことではないだろうか。つまりそんな具合に,反復される日常にさえちょっとした発見がある。別な見方に気づいたり,ひそかな大切さを見出したりすることがある。

 大差のなさそうな経験が重なっていくことは,イコール退屈とはならない。分厚く重なってこそ,微妙な差異に大切なものが見えてきたり,意外な共通点に気づいて新たな発見があるかもしれない。繰り返しであっても,それを同じフレームで眺めていれば確かに退屈かもしれないけれど,もっと違う分節の仕方をすれば,かえって単調なものほど意外なものが顕現しやすいかもしれない。

 そういった意味では,マンネリとなるか否かは対象との距離のとり方如何だし,距離を自在に設定できるようになるには経験のつみ重ねが必要になる。だから,あなたの将来がどうしようもない退屈さで満たされているかといえば,そんなことはないと思います。よっぽど精神が弛緩していない限りはね。

次回につづく


春日武彦
1951年京都生まれ。日医大卒。産婦人科勤務の後,精神科医となり,精神保健福祉センター,都立松沢病院などを経て現職。『援助者必携 はじめての精神科』『病んだ家族,散乱した室内』(ともに医学書院)など著書多数。

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