医学界新聞

 

カスガ先生 答えない
悩み相談室

〔連載〕  16

春日武彦◎解答(都立墨東病院精神科部長)


前回2698号

Q 総合病院で働くようになって気付いたことのひとつが,医者は「断り上手」でないとやっていけないらしい,ということ。あからさまに言ってしまえば金銭トラブル,クレイマー(家族を含む),非常識な要望等々の「厄介な患者」をいかに他の医療機関へ押し付けるか,そのテクニックがないと自分も大変だし同僚やスタッフからも非難されかねません。そうした現実論はわかりますし,正直,面倒な目にはあいたくない。ただ,最終的には誰かが貧乏くじを引くことになると思うと,複雑な気持ちでもあります。先生は「断り上手」な医者ですか?(31歳・総合病院勤務)

断り上手と貧乏くじ

A 嘘をついてでも断る度胸はいまひとつです。事情を聞けば聞くほど断りにくくなるのが世の常ですが,クールさにも欠けています。けれども使命感に燃えて,どんな患者もウェルカムと思えるほど心は広くありません。私だって面倒なことは嫌ですから。

 ただし,つくづく思うことは,医療者は被害的な気持ちを持つとそれが果てしなく広がりかねない仕事だなあ,ということです。そもそも病気自体が理不尽なのです。「どうしてオレばかりが」とか「よりにもよって」と考えると被害者意識は際限がなくなります,患者も医者も。だからといって悟りを開いた顔をしようとしても,無理です。腹が立つときは,誰だって腹が立つ。そしてしばしば品性を欠く奴が得をする。ま,当たり前の事実であります。重要なのは,被害者意識に囚われず,しかし己の良心を偽ることなく医療に専念する方法ですよね。

 こういったことを考えるときには,青臭い理想論も,居直った態度もよろしくない。論点のひとつは,もしも同僚やスタッフから「厄介な患者」を引き受けることに対してあまりにもブーイングが強いとしたら,それはCTや人工呼吸器もないのに救命救急を標榜するようなものだということです。すなわち医療者ないし医療機関としての度量も医療設備と同じようなものであり,それを道徳とか倫理の問題にすり替えても仕方がない。もちろん長期的な視点はまた別問題ですが。

 もうひとつは,受け入れるか否かの判断についてマニュアルみたいなものを作るような発想をしている限りは,永遠に救われない患者が存在するだろうということです。ではどうするか。断り上手になるのも良いけれど,あえて,たまには断り損ねてみることも必要だということです。はっきり申しまして,ソツなく断り上手で生きていければ医者としての人生はラッキーなのかと問いたいのです。断り上手で人生を逃げ切れるものなのか,ということです。

 私の個人的意見としましては,絶対に逃げ切れませんね。明確な根拠はないですが,逃げ切るのは無理です。そんなことにうつつを抜かして心のどこかに罪悪感を背負い込むよりは,たまにはジョーカーを引いたほうがよほど精神衛生上よろしい。そのときに被害感情に囚われずに,募金箱に寄付でもした気になればよいではないですか。多少は隙のある人生を送ったほうが,世のため人のためになると思いますね。

 すべてを引き受ける必要なんかない。無理だもの。せいぜい,ときにはあなたのおっしゃる「貧乏くじ」を引くことで罪滅ぼしをするしかありません。医療構造の抜本的な改革が必要だなどと寝言を言っていないで,たまには「大変なケースをひきうけちゃったなあ」と苦笑いすることが必要です。すべての医者がそうした心構えでいたとして,それでもなお救われない患者はいると思われますが,おそらくそのときにわれわれは日本の医療界の品性について論じることになるのでしょう。

次回につづく


春日武彦
1951年京都生まれ。日医大卒。産婦人科勤務の後,精神科医となり,精神保健福祉センター,都立松沢病院などを経て現職。『援助者必携 はじめての精神科』『病んだ家族,散乱した室内』(ともに医学書院)など著書多数。