医学界新聞

 

【寄稿】

素顔のベナー博士
パトリシアさんと日光で過ごした2日間

正木 治恵(千葉大学看護学部教授)


セミナーを終え,日光へ

 この度,ベナー博士と日光への1泊旅行をご一緒させていただきました。医学書院看護特別セミナー「ベナー 臨床知の現在」では,まさに博士の魅力が800人の聴衆にパワーと感動を与えました。講演を終えた博士が講師控え室に戻られる際にはサインの要望と携帯写真撮影が途切れなく続いていました。「まるで映画スターのようですね」と声をかけられた博士は,「いえ,ロックスターよ」と,笑い飛ばされました。大分での招聘講演後,東京での講演が続きました。それも午前,午後2部制の強行スケジュールだったにもかかわらず,まったく疲れを感じさせることなく,ユーモアを交えた満面の笑みで応えていらっしゃるベナー博士のパワーに感嘆しました。

 日本での講演後は韓国,マレーシア,オーストラリアに講演旅行が予定されており,帰国されるのは,9月の半ばになるとのことでした。そんな世界中の看護界で人気者のベナー博士と,しばしの自由時間を一緒に過ごせたことは,とても光栄でした。

12年ぶりの再会

 この度は,博士ご夫妻と私ども夫婦の4人での旅でした。パトリシアさんとリチャードさん(ベナー博士ご夫妻)には米国留学中に,われわれ家族をご自宅にお招きいただいて以来の12年ぶりの再会でした。お互いに成長した子どもたちの写真を見せ合い,当時を懐かしみました。私が初めてUCSF(カリフォルニア大学サンフランシスコ校)のベナー博士を訪問した際,博士は私をゴールデンゲートパークの日本庭園につれていってくださいました。博士自らの運転でご案内いただきましたが,「ドアが壊れているのよ」と手でたたきながら車のドアを閉めておられる様子に,「高名な先生なのに,とても気さくであたたかいお人柄」と親しみを感じました。今回の旅もまさにそんなお人柄がいたるところでにじみ出る2日間でした。

 「オー,ワンダフル! ビューティフル! アメイジング!」という言葉がパトリシアさんから何度出たことか,とにかく,目に飛び込んでくる景色や風景に感動されていました。山々や湖,滝,草花,花と蝶々,そして食事の盛りつけや色の美しさ,に感嘆され,しきりに写真に収めていらっしゃいました。日光の湯の滝をご覧になった際も,「今までみた中で最も美しい滝だわ。ヨセミテ(カリフォルニア州)に花嫁のベールという滝があるけど,こちらの滝の方がよほど花嫁のベールというにふさわしいわ」と,ここでも茶目っ気たっぷりの表情でおっしゃっていました。

 ベナー博士は歴史文化や自然,人々の姿と,観る物・聴く物さまざまなものに感動され,その場で経験できることを十二分に楽しんでいらっしゃいました。そして食事の時間は,なごやかな雰囲気のディスカッションタイムでした。日本の文化や社会情勢,政策論評について,また,お2人の馴れ初めからご家族の話題,大学や教員の状況,研究のことなど話題は多岐にわたり,外国人のホテルマンには「アカデミックツアーよ」と伝えておられました。

「臨床知」の背景

 さまざまなものに感動されるその姿から,博士の研究テーマである臨床知の思索とのつながりを感じました。きっと博士は看護実践のすばらしさに心から感動し,それを何とか伝えたい,これまでの方法ではそれを伝えきれていない,と強く思われ,その強い思いがナラティブを用いた臨床知の研究を生み出したように思われます。卓越した看護実践に心底感銘し,大事にし,そしてそれを伝え,育てること,そこにベナー博士の智恵とパワーが注がれたように思います。

 博士は現在UCSFの社会行動科学講座のチェアー(主任教授)をされています。UCSFは歯学,医学,看護学,薬学の大学院大学で,さまざまな国の留学生を含む多くの大学院生がいます。社会行動科学講座は,日本でも質的研究方法論として広く活用されているグラウンデッド・セオリー・アプローチの創設者である故ストラウス教授が所属されていた講座です。当時,ベナー博士の解釈学的現象学の質的分析方法と,ストラウス博士のグラウンデッド・セオリー・アプローチの質的分析方法を,それぞれの第一人者から学ぶことができ,UCSFならではの贅沢な研究環境でした。ベナー博士は現在のポジションでとても興味深い仕事ができるとおっしゃっています。博士は国の大型プロジェクトである教育改善のためのカーネギー委員会国内看護教育研究班責任者をしていらっしゃいますが,それは,複数の学問領域が共同して開発している教育者向け学際プロジェクトであり,看護学教育の代表者に抜擢されています。そのため,博士はスタンフォードにも研究室を構えておられるとのことでした。博士はこの9月からサバティカル(長期研究休暇)に入り,研究と執筆作業に専念されるそうです。

 ベナー博士は,日本の看護研究にも興味を示しておられ,留学生の博士論文なども話題になりました。また,リチャードさんも組織マネジメントに関する研究で博士号を取得されており,個の研究から社会学や政策への転換の重要性についても言及されていました。

骨董品店めぐり

 今回は,ベナーご夫妻が日本の伝統芸術にとても興味を持っていらっしゃることを発見した旅でもありました。リチャードさんの「道すがら見つけた骨董品店に寄ってみたいんだが」の言葉から始まった骨董品店めぐりはとても愉快でした。そのお店を覗いてみると,仏像,日本画,道具類など,さまざまな骨董品が不揃いに陳列・配置されており,お2人は足元の骨董品に気をつけながら興味深そうにご覧になっていました。中でもリチャードさんが気に入った茶釜や竹久夢二の掛け軸はとても高価な物らしく,お店のご主人に値段を問うても「それは……」と口を濁して教えてもらえませんでした。やむなくそのお店は諦め,別のお店に入ったのですが,そこの品物はすべて埃をかぶっており,どれも触ると手が真っ黒になってしまう状態でした。少し腰が曲がったお店のご主人は,しきりに私たちに「しばらく身体を病んでいたので,掃除ができなくて」と謝り,おまけの品物までくださいました。そのお店でもリチャードさんは茶釜の値段を問いましたが,88歳のご主人は,それは自分が長年使用していたもので売り物ではないと,申し訳なさそうに答えていました。薄暗く狭い店内にはそのご主人が茶道で表彰された多くの賞状が飾ってありました。結局,ベナー博士ご夫妻は,そのお店で木彫りの盆や壺,皿などを購入され,袋一杯になった荷物を抱えてご満悦なお2人でした。

 お2人はよく一緒に料理を作るとのことで,旅行中リチャードさんがさりげなくパトリシアさんを気遣っている仲むつまじい姿も印象的でした。パトリシアさんは,滋賀県にあるMIHO MUSEUMがお気に入りで,すでに2回訪れているとのことでした。今回,日光もまたお気に入りの地となったようです。感動する心を持って見れば,身近なところでも宝物はいくらでも見つけられる,そんな思いを抱かせていただきました。まだまだたくさん紹介しきれないエピソードがありますが,改めてベナー博士の気さくであたたかいお人柄と何事にも深い興味を示される姿勢や,年齢を感じさせないその圧倒的なパワーに感服した2日間でした。