医学界新聞

 

連載
臨床医学航海術

第8回   意識改革(3)

田中和豊(済生会福岡総合病院臨床教育部部長)


前回よりつづく

 臨床医学は大きな海に例えることができる。その海を航海することは至難の業である。吹きすさぶ嵐,荒れ狂う波,轟く雷……その航路は決して穏やかではない。そしてさらに現在この大海原には大きな変革が起こっている。この連載では,現在この大海原に起こっている変革を解説し,それに対して医学生や研修医はどのような準備をすれば,より安全に臨床医学の大海を航海できるのかを示したい。


 現代医療のパラダイム・シフトを乗り越えるための第4の意識改革として,今回は「知識を知恵にする」ことを取り上げる。

 前回に「臨床医学はフィールド・ワークである」と言った。このフィールド・ワークを行うために研修医に求められているのは単なる「知識」ではなく,「行動できる知識」あるいは「身につけた知識」であるということである。

知識至上主義

 われわれの社会では知識のある人は尊敬される。誰も知らないことを知っている博学な人は「すごい」と驚嘆されて尊敬される。この主知主義ともいえる考えは往々にして知識至上主義に繋がる。つまり,何でも知っている人が最も偉いという考えである。

 私は過去にアメリカで内科レジデント教育を受けた。アメリカの内科レジデント教育でもこの知識至上主義が明確に認められた。アメリカの内科レジデント制度ではチーフ・レジデントが内科レジデント全員を統括する。このチーフ・レジデントは内科レジデントの中から選抜された人格・能力ともにすぐれたレジデントで,医学知識も申し分なく持ち合わせている言わば優等生的なレジデントである。

 私がレジデント1年目すなわちインターンであった時こんなことがあった。私がICUの当直であった夜,老人病棟でたまたま夜間当直のアルバイトをしていた内科チーフ・レジデントから私は呼ばれた。その内容は「老人病棟の患者さんが急に呼吸困難になったので,ICU転棟が必要だから診察してくれ」というものであった。

 そのチーフ・レジデントは,医学生時代からハリソン,シュワルツなどのバイブルと呼ばれる教科書をすべて読みつくし,自分でいわく「人生を医学のために捧げた」チーフ・レジデントであった。そのチーフ・レジデントはレジデントが一堂に会して症例を検討しあうモーニング・レポートの時にも,ありとあらゆることを知っている博学振りを披露していた。そのような博学なチーフ・レジデントがICU転棟が必要な患者だというので,私も当然患者さんに対する評価は十分行われているものと思い,何もせずに私の監督役であったICUフェローを速やかにコールした。

 ところが,実際そのICUフェローと一緒にその患者さんを診ると,その患者さんは単なる心不全の一時的増悪でラシックス®静注で簡単に症状が軽快して,わざわざ夜の夜中にICUに転棟するほどの必要のない程度の病態であった。何とそのチーフ・レジデントはその患者さんのカルテから情報を自分で収集して自分なりに「呼吸困難」という問題に対して何ら検査や評価することなく,呼吸困難の患者を目の当たりにしておじけづき,自分が指導している1年目の私を呼んでいたのである。その患者は実際ICU転棟の適応はまったくなかったが,そのチーフ・レジデントの面目を保つためその後ICUに転棟となった。その必要のない転科業務を行ったのはもちろん私であった。私もそのチーフ・レジデントの面目を保つために笑顔でその転棟業務を行ったが,内心私は「チーフ・レジデントともあろうものがこのざまか!」と思った。その患者は翌日には病状が改善して,またICUから再び老人病棟に転棟となったのは言うまでもない。

 私はその時以来このチーフ・レジデントを尊敬することをやめた。「私はハリソン,シュワルツを読破した!」,「私は人生を医学のために捧げた」などという彼の雄弁にはもう耳を貸すことをやめた。彼は将来消化器内科を専攻する予定のチーフ・レジデントであったので,心不全や呼吸困難などの循環器的な緊急病態を扱うことは確かに不得手であったかもしれない。しかし,彼は何と1年目のインターンができなければならない基礎的診察も実際にはまったくできなかったのである。この「トリビア王」はアテンディングの前のモーニング・レポートでは雄弁に「この疾患も鑑別診断にあり得る」とか「あの寄生虫も鑑別診断にあり得る」など事細かに語っていたが,実際の医療現場では軽度呼吸困難のような基本的問題も自分一人で解決できなかったのである。すなわち,彼には「知識のための知識」は豊富にあったが,「行動できる知識」や「身についた知識」はなかったのである。

知識を知恵にする

 この「知識至上主義」は,アメリカ人だけでなく日本人にも見られる。円周率を何桁まで暗記している,東海道五十三次すべて言える,徳川将軍あるいは歴代天皇の名前をすべて言えるなど記憶力がよい人は尊敬される。このように普通の人が覚えられない記憶力を持っているということは確かに賞賛に値する。しかし,このような知識は実生活上記憶していないと何か支障が生じる訳でもなく,そして,もしも実生活上で実際これらの知識が必要になればその時に調べればよいことである。何もわざわざ普通の人間が無理をしてまで全部暗記する必要はないであろう。

 このように調べればよい知識を記憶することに時間を費やすよりも,実際の現場で役立つ「生きた知識」を記憶することに時間を割いたほうが賢明であると私は考える。もちろん,臨床医学の世界には「知ってさえいれば慌てなくて済む」ことも多い。「頭蓋内病変を思わせるような意識障害で来院する低血糖発作やヒステリー発作があること」,「おこぜの毒はお湯で温める」などなど。このような知識はそのたびごとに集めるか,誰に聞くか,あるいは,どこの文献を調べればよいのかさえ知っていれば十分である。

 実際に役立つかどうかわからない些末な知識を獲得するために,医学書を最初から最後まで全部暗記するのは記憶力の乏しい凡人には不可能な非効率的な方法である。そのような努力をするよりも限られた知識でも実際の臨床現場に生かすことができる「生きた知識」を身につける,すなわち,「知識を知恵にする」ことに努力するほうが賢明であると筆者は考える。

医療のパラダイム・シフトの諸相
・基礎医学から臨床医学の時代へ
・疾患志向型から問題解決型の時代へ
・専門医から総合医の時代へ
・単純系から複雑系の時代へ
・確実性から不確実性の時代へ
・各国主義からGlobalizationの時代へ
・画一化からtailor-madeの時代へ
・医師中心から患者中心の時代へ
・教育者中心から学習者中心の時代へ

求められる意識改革
・プロ精神を持つ
・フィールド・ワークを行う
・真理の追究目的から患者の幸福目的へ
知識を知恵にする

この項おわり


田中和豊
1994年筑波大卒。横須賀米海軍病院インターン,聖路加国際病院外科系研修医,ニューヨーク市ベスイスラエル病院内科レジデント,聖路加国際病院救命救急センター,国立国際医療センター救急部を経て,2004年済生会福岡総合病院救急部,05年より現職。主著に『問題解決型救急初期診療』(医学書院刊)。