医学界新聞

 

【寄稿】

公衆衛生のキャリアパス

柏樹悦郎(関西空港検疫所長)


どうしてどこも足りない?

 いま空港の検疫所長をしていて,いちばん頭の痛い問題は医師の確保である。従来,関西地域の医学部の公衆衛生学教室や予防・社会医学教室のご協力を得て医師を紹介してもらったり,またホームページで公募したりしているが,なかなか充足できずにいる。よくよく考えると,このような状況はこれまでの仕事のなかで,保健所医師の確保の件でも経験したし,また途上国に派遣する国際協力専門家確保のことでも経験した。

 保健所長は原則医師であるが,全国的にもまだ充足していないし,複数の医師がいる保健所はいまだ半数以下である。国際協力専門家に関しても地域保健関係,行政で政策をアドバイスできる医師の途上国からの派遣要請に対し,十分に派遣できていない状況と聞いている。

 公衆衛生の分野でどうしてこのような状況になるのであろうか。

公衆衛生は将棋のようなもの
様々な局面での経験が活きる

 この状況を打開するには,それぞれに分けて考えるのではなく,公衆衛生全体から考えていく必要があるのではないか。これらの分野間でキャリアをつないでいけるような環境整備が求められる。これらの分野は密接なつながりがあり,それぞれの分野の経験が他の分野にも活きる。

 言うまでもなく,保健所と検疫所は国外からの感染症の侵入時には連携を密にして対応に当たらねばならないし,そのためには平常時からの情報交換などの連携も重要だ。また,途上国での国際協力活動の経験は,途上国の実情を深く知るという面だけでなく,仕事のすすめ方においても日本での公衆衛生業務に活きる。

 例えば,日本では保健所の課長として勤務していた人が,途上国では県レベルの公衆衛生部長を直接の相手として活動するなど,日本より上のポストで対策を考えていく機会が与えられ,上の立場で物事を考えることが身につくようになろう。また,国際協力活動はいつまでもそこで活動するわけにはいかないので,いかにキーパーソンを見つけ,自分が去った後もいかにその活動が残るようにしていくかのしくみづくりが重要である。このようなしくみづくりは,日本の中においても住民活動の支援,地域の医師や関係者を巻き込んだ地域保健活動などにも求められる。

 途上国であれ,先進国であれ,公衆衛生とは,利用可能な資源でどうやって住民の健康を守るかということであろう。私はこのような比ゆを使っている。「途上国においても先進国においても,公衆衛生とは将棋のようなものであって,単に局面や持ち駒が違うだけである。その場,その場で局面や持ち駒の状況を考えて,最良の一手を打たなければならない。持ち駒がたくさんあっても,たとえ歩一つしか持っていなくても,その場面で最良の一手を打つ」。国際協力で経験した局面は,日本の公衆衛生に大いに活きると考えている。

参入側に立って考えてみると

 今度は参入する医師の側に立って考えてみる。保健所に興味を持ったとしても,一生保健所だけに勤務することを考えるのであろうか。検疫所だけにずっと勤務することを考えるのであろうか。一生国際協力だけをやろうと考える人,こういう人はいるかもしれない。ただ,国際協力に携わっている人にも日本の公衆衛生をぜひ経験してほしいと願う。これから参入しようとする人にとっても,いろいろな経験ができる選択肢が用意されることで,公衆衛生分野に入りやすくなるのではないかと思う。

 例えば,臨床研修が終わり,保健所で3年経験してみる。感染症に興味がわき,検疫所で2年間勤務する。その後,本庁で3年間,保健所で3年間経験し,地域保健分野の協力で国際協力の場に出る。2年間経験した後,また,保健所に戻り,所長として活躍する。これは,あくまでも一例だが,このようなキャリアパスを描くことが容易にできるような環境になればいいと思っている。

新たな自発的取り組み

 そのためには,行政側の人事交流の充実とともに,この分野に参入する医師,またはすでに公衆衛生に従事している医師が,公衆衛生の現場の情報を得たり,自由に意見交換したりすることができるインフォーマルな場作りが大切と思う。

 このたび,大阪大学大学院医学系研究科社会環境医学・公衆衛生学の磯博康教授が中心となって,大阪府等との協力の下,大阪府内の公衆衛生関係者が集まり,公衆衛生の現状や課題,実践活動について報告をもとに自由に討議することにより公衆衛生課題についての認識を共有しあい,親睦,交流を深めることを目的とした「中之島公衆衛生懇話会1)」が開始された(第1回は,9月8日。事務局:大阪大学大学院医学系研究科社会環境医学・公衆衛生学教室)。

 中之島は,大阪大学医学部発祥の地であり,現在の大阪の政治,経済,文化の情報発信の中心地である。中之島公衆衛生懇話会という場に,保健所,検疫所,医育機関,研究機関の医師のみならず,公衆衛生に興味を持つ医師や国際協力経験者なども参加し,公衆衛生に関する自由な意見交換を通して,キャリア形成を支援する場につながっていくことを期待している。

 また,全国レベルでの若手の医師,医学生が中心となって,メーリングリストを活用した情報交換の場がすでに始まっている2)。このような活動が,より活発になって,情報交換ができる場が広がればいいと思う。そのような場ができることで,さらにキャリア形成を支援する活動につながっていくことを期待したいし,私も微力ながら関わっていきたいと思う。

最後に――公衆衛生で得られる充実感とは

 私は,厚生労働省に入り,本省勤務だけでなく国際協力,保健所勤務等いろいろと経験できてよかったと思っている。国際協力の場ではいかにして現地の人の自発性を高めるかに腐心したが,その経験は日本に帰っても大いに活きた。特に,地域において医師会の先生や関係機関やまわりの人を巻き込んで,いろいろな障害を乗り越えて,みんなでこれまでとは変わったと感じられる仕事をしたときに,大きな充実感を得た。

 人を相手にする公衆衛生の仕事とは,とりもなおさず,人に働きかけて行動変容させることではないかと考えている。一人の患者に関わる,その家族に関わる,そのまわりの人々に関わる,さらに地域のいろいろな人に関わる。このようなことを通して,健康に関心を持ち,生き生きとした地域を作ることが公衆衛生の仕事だと考える。人に行動変容させるためには,自分も変わらないといけない。そうして,みんなで変わった,地域が変わったと実感できるときがいちばん充実感を得られるときである。

Useful Sites
1)中之島公衆衛生懇話会
URL=http://www.pbhel.med.osaka-u.ac.jp
2)PH-Career Station
URL=http://square.umin.ac.jp/kj/ph-career-station

公衆衛生医マッチング事業

現在,地域によっては保健所に勤務する医師,いわゆる公衆衛生医師の確保が困難な状況が見受けられる。厚労省では,その対策として「公衆衛生医師確保推進登録事業」を行っている。この事業は,保健所,地方衛生研究所および県庁等での勤務を希望する医師と保健所等で勤務する医師を必要とする地方自治体の情報をそれぞれ登録して,マッチングによりお互いの条件に合致する場合,双方に情報を提供するもの。このマッチング事業に関連するwebsiteは以下のとおり。
URL=http://www.mhlw.go.jp/topics/2004/06/tp0621-2.html


柏樹悦郎氏
1985年富山医薬大卒。同年厚生省入省。国立病院業務,厚生白書の作成,健康日本21,たばこ対策,医療計画,医療のあり方,地域保健業務などを担当。その間,在フィリピン大使館員,インドネシア保健省への専門家としての国際協力業務を計5年,また,富山県の保健所勤務を2度にわたり計5年経験。現在,関西空港検疫所長。