医学界新聞

 

〔連載〕
感染症Up-to-date
ジュネーブの窓から

第12回 ナミビアの少し変わったポリオ流行

砂川富正(国立感染症研究所感染症情報センター)


前回よりつづく

 最初,その情報はあまりポリオらしくなかったのである。通常のEpidemic Alert and Verification(感染症発生への警戒および確認)業務に従事していた6月1日,メディアからわれわれにもたらされたそのニュースは,アフリカ大陸の南西部に位置するナミビアで,首都のウィンホクを中心に原因不明の10数人の急性神経性疾患が集団発生し,うち3人が死亡した,と伝えるものであった。患者はほとんどが成人であり,臨床症状の詳細については,麻痺と呼吸困難と言及されるに留まった。

 メディア情報どおりの患者年齢構成であるとすると,ポリオなど,通常小児を中心とする感染症ではないように思えた。ナミビアからは過去10年,ポリオ患者は報告されていなかった。筆者は,化学物質による中毒の可能性も小さくないと考え,感染症関係へはもちろんだが,化学物質専門部署への連絡をまず行ったほどだ。そしてWHO国事務所とのやり取りの中で,このアウトブレイクが実際にナミビアにおいて発生し,問題となっていることを知った(=Verified)。国際機関としてのEpidemic Alert and Verification活動が有効に働いたことはよかった。そしてわれわれからの問い合わせは,この事例が国際的に注目すべき重要なものであるとの当該国の認識を高め,WHOなどの国際社会も支援する対策を迅速に行ううえでプラスに働いたと思われる。以降のナミビアにおける対応は早かった。

特徴的な事例

 対応について触れる前に,この事例の特徴について述べてみたい。6月7日になり,公式情報として30人を超える急性麻痺性患者が調査中として報告される中,3例から野生株のポリオウイルス1型が検出されたとの報告が寄せられた。検出されたウイルスは,北の隣国アンゴラからの輸入が示唆されるシークエンス結果となった。そのアンゴラで約5年ぶりに確認された2005年のポリオウイルスは,流行国インドに端を発するものであることが予想されている。昨年のインドネシアにおけるポリオ流行(『医学界新聞』2005年11月7日第2657号参照)についても,発端は遠くナイジェリアに由来するウイルスであったと考えられていることが知られている。ヒトの移動により,ウイルスは容易に世界中に拡散するのだ。

 さて,ナミビアの話に戻るが,すべての患者の中で,第1例は5月8日に麻痺を発症した39歳の男性であった。7月18日までに公式情報として約20人がポリオの病原診断を確定しており,他に150人を超える急性麻痺の患者が調査中となっている(http://www.polioeradication.org/content/general/
Outbreak_UpdatesNMB20060606.asp#back
)。情報では,21人が死亡と伝えられた。この事例でもっとも特徴的と思われる現象は,第1例を含め患者に占める成人の割合が高く,確定例ではほぼ全例,疑い例を含めても4分の3の患者が15歳以上であったことである。ポリオ根絶をめざす基本的な戦略であるAFP(急性弛緩性麻痺)サーベイランスの要点は(1)15歳以下の児10万人中,年間1人以上の非ポリオAFP患者が検出されること,(2)AFP発症より14日以内に24-48時間以上の間隔をおいて採取された糞便検体の採取率が80%以上,である。この患者年齢の高さでは,この基本線を満たしていてもナミビア事例の検出は容易ではないことが伺われる。なるほど,今回の事例が通常のポリオの定例報告からではなく,急性神経性疾患のアウトブレイクとして検出されたこともうなずける。事実,WHOポリオ根絶イニシアチブのホームページ上では,ナミビアのAFPサーベイランスについて,非ポリオAFP報告率は10万人当たり2.6人,便採取率は86%という情報が掲載され,「ナミビアのAFPサーベイランスは十分に良好であり,迅速にポリオウイルスの輸入を検出しうる」と評価されていたのであった。

 なお,ナミビアにおけるポリオワクチンの定期接種率は地域によって異なり,60-80%であったとされる。この国で,なぜポリオが成人を主とした集団発生に至ったかの調査は現在も進行中であるが,患者の多くは,1990年に開始されたポリオワクチン接種を小児期に適切に受けていなかった可能性があるようだ。地域や生活環境などによってこれらの背景に差があるのか,今後の調査結果が待たれる。

対応もまた異例

 このような事例の特徴から,その対応についても通常とは異なった対応がなされた。事例発生当初より,アウトブレイク対応予防接種(Outbreak Response Immunization:ORI)が発生地域周辺においてなされたが,6月21日からほぼ一月間隔で都合3回の全国一斉予防接種デー(National Immunization Day:NID)が計画され,WHOやUNICEFの支援のもと,7月末現在までに単抗原ポリオ1型経口ワクチン(mOPV1)を用いて2回が終了している。通常,NIDなどでは5歳以下の小児が対象となるが,患者年齢が成人を主としていたことから,対象者は全国民200万人とされた。乳児から老人までのすべてがポリオ経口ワクチンを受けている。現地の写真では,首都ウィンホクの近代的なビルを前に延々と続く「大人の」接種を待つ人々の長い列や,大きな口を開けてワクチン接種を受ける年長者の姿が実に新鮮で印象的である。整然と行われたこのキャンペーンは接種率がいずれも90%を超え,大きな成功を収めた,とされる。ナミビア政府のリーダーシップは国際機関やメディアから賞賛された。しかしながら,いったん発生したポリオの制圧は容易ではないことは,昨年のイエメンやインドネシアなどの例を見ても明らかである。各NID以降にも報告されるであろう疑い患者について,そのウイルス学的診断と状況の評価が重要である。

 今回のアウトブレイクを受けて,当該国同様に緊張したのが周辺の国々であった。ボツワナや南アフリカでは緊急にサーベイランスを強化した結果,当然ながら検出されるAFP症例の数も増え,さらに緊張が高まった。幸いにも,両国ではポリオ患者は現時点で発生していないようである。先に患者が発生しているアンゴラにおいても,7月上旬にかけて,ナミビアのNIDと同調しながらワクチンキャンペーンが実施された。患者数の規模が大きく,また主として成人に発生した今回のナミビアにおけるポリオ・アウトブレイクは,アフリカ南部の国々に大きな波紋を及ぼしたのであった。

ポリオ根絶の目標を踏まえて

 今回の事例より筆者は,原因不明の疾患が複数検知された場合の,事例の疫学的な評価,網羅的な検査の実施,鑑別および迅速な対応という,ある種当たり前の,一連の初動調査体制の重要性を再認識している。感染症の動態は,例えばワクチン予防可能疾患においては感受性者の分布という隠れた要因を踏まえて,現実社会では想定外に展開しうるものである。ポリオ根絶への動きが進むなかで,今後ますます多様な形でポリオが発生していく可能性がある。各国における疫学調査,ウイルス学的検査などの基本体制の充実が目標達成に向けてさらに重要になりそうである。

つづく