医学界新聞

 

カスガ先生 答えない
悩み相談室

〔連載〕  14

春日武彦◎解答(都立墨東病院精神科部長)


前回2690号

Q 研修で回った精神科の指導医がなかなかシニカルな人で,僕が脳外科を志望していると言うと,薄笑いを浮べながら「ああいった科は達成感を味わえるから,君に向いているんだろうね」と言われてしまいました。なるほど精神科は達成感やカタルシスとは縁が薄いのでしょう。ただ,僕としては小馬鹿にされた気分で少々わだかまっています。結局のところ,医者の生きがいとは何だと先生は考えていらっしゃいますか?

(研修医・♂・28歳・ローテート中)

医者の生きがい

A 難しい手術に成功したり(そして患者や家族に深く感謝されたり),神の手などともてはやされれば,さぞや気持ちがよろしいことでしょう。自己肯定感も全開となり,まさに「医者冥利に尽きる」といった心持ちが訪れることでしょう。そもそも喜びや快感は,話が単純でわかりやすい必要があります。誰もが賞賛を惜しまないためには,努力と才能と情熱と成功とが,どれも真っ直ぐに直線で結ばれている必要があるのです。

 ところで,役者だって二枚目の主役や美貌のヒロインが頂点であると思っている人もいれば,渋い脇役,屈折した魅力を教えてくれる敵役などに注目したがる向きもある。あえて「わかりづらいカッコよさ」に共感する人たちもいる。医者の生きがい,自己愛的な部分だって,そういった消息と似通っているのではないでしょうか。

 昔,わたしは産婦人科医を6年ばかり勤めていました。分娩にせよ手術にせよ,その分野で天才的というか大工の棟梁的な頼もしさを持った人物がいるもので,それに憧れつつも,不器用なわたしは「医者の世界は,そんな単純明快なことばかりで成り立っているはずがなかろう」と,違和感を抱きつづけてきました。

 勝者がいれば敗者もいるのが理の当然で,二流の産婦人科医のレベルにすら達することができそうにない駄目なわたしは,その違和感を追求したい気持ちで精神科に移りました。なにしろ精神科の疾患で「風邪が治る」ように後腐れなく治ってくれるのはうつ病(それも内因性の典型的なタイプのみ)くらいで,あとは生煮えというか慢性疾患というか,とにかく自動車修理工のような口ぶりで「はい,治りましたよ!」と言えるケースは稀です。

 病気の治療というものが患者さんの幸福をめざすことと同義だとしたら,精神科医が想定する幸福と,患者さんが望む状態とがきれいに一致するとは限らない。例えば一般的に言って,幸福であるための必要条件の一つは「健康」でありましょう。だが精神科の領域ではそんな発想が通用するとは限らない。むしろ病気(ことに身体疾患)であったほうが周囲から注目されたり優しくしてもらえる。大切に扱ってもらえる。無視されないで済む。だから健康でいるなんて願い下げだと本気で思っている人などいくらでもいるのです。あるいは過酷な現実に直面するよりは,病人として人生からリタイアしたほうが面子が立つと考えたり。

 人間の内面の奥深さというよりは,むしろグロテスクさや不条理さに関心が向かったというわけです。誰もが同じ価値観で暮らしているわけではないし,心が安定し得るようなシチュエーションだって千差万別なのです。そういった掴みどころのない世界へ深入りすると,「わかりやすい達成感」はむしろ退屈に思えてしまう。

 イケメンのヒーローと,カルトな脇役と,どちらが本当にカッコいいのかみたいな話に近いのかもしれませんね。ところでそのシニカルな医者って,わたしじゃないよね?

次回につづく


春日武彦
1951年京都生まれ。日医大卒。産婦人科勤務の後,精神科医となり,精神保健福祉センター,都立松沢病院などを経て現職。『援助者必携 はじめての精神科』『病んだ家族,散乱した室内』(ともに医学書院)など著書多数。