医学界新聞

 

【連載】(全3回)

HSPH Japan Trip 2006
ハーバードが見た日本

[第3回 Japan Tripを終えて]

小野崎 耕平(前ハーバード公衆衛生大学院)


前回よりつづく

 2006年3月,ハーバード公衆衛生大学院(HSPH)の学生ら48名が1週間余にわたり日本を訪れ,わが国の医療や公衆衛生,さらにその背後にあるライフスタイルや文化などについて学んだ。


 日本を訪れたグループのバックグラウンドは多様である。マサチューセッツ総合病院(MGH)の医師3名のほか,政府機関職員,弁護士などである。この多様な仲間たちとともに過ごした1週間は,われわれ日本人にとっても改めて祖国を見直す貴重な機会を与えてくれた。

 ここから先は,あくまでも私見だが筆者が感じたいくつかのポイントを挙げて連載を締めくくりたい。

「Work ethic」

 参加者を最も感動させたことの1つが,日本人の真摯な働きぶりと親切さである。英語では「Work ethic」という。工場でも病院でもコンビニでもレストランでも,その働きぶりとサービスの質は米国の比ではない。医療現場も含め,「現場力」の差はきわめて大きい。

 あまりに多様で,人材の質やモラルにバラつきの多い米国では,日本で当たり前のように担保できるレベルの業務ですら,その質の確保は非常に難しい。米国医療機関においても,医療費の誤請求,重要な検査・診断結果の連絡ミスなどがきわめて多いとされる。世界最大の医療費と人員を大量投入する米国。しかし,ネックは現場にある。

 一方で,日本人の長時間労働,生真面目さ,徹底したディテールへのこだわりは,「やり過ぎ」とも取れる。「一体どうやって仕事とプライベートのバランスを取っているのか想像がつかない」とは,ある参加者のコメントである。また,勤務医をはじめとするわが国の医療従事者が直面する労働環境の悪化やさまざまなプレッシャーは,もはや限界の域に達しているであろう。頑張りや献身という精神論だけではもはや乗り切れないレベルに来ている。早急に手を打たねばならない。

健康的ファーストフード立ち食いソバの感動

 ある参加者は街に氾濫する米国系ファーストフード店を見て「日本に申し訳ないことをした」とつぶやいた。対して人気が高かったのが,街の立ち食いうどんやソバ。いわば日本のファーストフードだが,米国のそれに比べれば圧倒的に健康的で,そして美味しいと評判だった。実はこういった細かい点も,日本人企画チームにより事前に綿密に練られており,各訪問先はもちろん,一見単なる食事や宴会だと思われるところにも,日本のライフスタイル,健康や医療に関連する意味づけがされていたのが今回のツアーの大きな特徴である。

隣の芝は青く見える

 皆保険制度や介護保険の概要を学んだ参加者からは感嘆の溜息が漏れると同時に「America Sac!」(アメリカくそ食らえ)という声があがった。4500万人もの無保険者,極端に高い医療費,健康指標の低さ,それをもたらす自国の文化や制度を嘆く声である。隣の芝生が青く見えてしまうというのは万国共通なのかもしれない。

 あくまでもアクセスやコストを中心としたマクロ的な評価ではあるが,大勢を占めたのは「うらやましい」という声である。もちろん,リベラルで知られるボストン,ハーバード大の校風もあるだろう。最近は,日本の医療が崩壊しているなどとする極端な主張がことさら目立つが,医療制度についての国際比較を冷静に行えば,わが国の取り組みには世界に誇るものが多いのも事実である。最前線での実感レベルでの不満足感を,直ちに医療政策すべての失敗であるかのような議論に安易に飛躍させるべきではない。

おわりに

 日本人としても大いに考えさせられた。平均余命は世界最高水準ではあるものの,それは必ずしも「幸せ」であることを意味しないのではないか。肥満,糖尿病,自殺も増加の一途だ。世界最高レベルの健康指標を誇ってきた日本だが,その神話は崩れつつある。食事や働き方,はたまた生き方そのもの――ライフスタイルが健康に与える影響はあまりに大きい。

 病院が自動車修理工場だとすれば,パブリックヘルスの要諦はいかに事故や故障が起きにくい交通システムをつくるかという「システムづくり」にある。道路や信号の整備,安全性・耐久性の高い自動車の開発,ドライバーの教育,家庭や職場での事故防止のための取り組みなどが,例として挙げられるだろう。そして,多くの先進国は,修理工場に莫大なコストをかけてきた。しかし国民の健康を修理工場だけに頼るには限界がある。

 言うまでもなく,国民にとって最も価値があるのは,病気を治すことではなく,病気にならないことである。今こそ,保健医療政策や医療現場の「頑張り」のベクトルを予防や生活改善にも大胆に向ける時ではないだろうか。

 ハーバードが見た日本。長寿や健康の鍵は日本人やそのライフスタイルそのものにあった。

 参加者の間では,いまも「同窓会」と称して交流が続いている。お互いをよく知って,その違いも知って,現場を歩くことで,初めて見えるものがある。そして日本ファンになった彼らは,すでにわれわれのよき理解者である。48名のささやかな「民間外交」はこれからも続くだろう。

(おわり)

都竹茂樹氏(日本ボディデザイン医科学研究所所長,ハーバード公衆衛生大学院修士課程2006年修了)のコメント

幼稚園のランチはピザとソーダ水,そして今や成人の3分の2が肥満・過体重に悩むアメリカ人にとって,Japan Tripで体験した日本の給食はそのシステム,メニューともに印象深かったようです。しかし,日本も今や子供・成人を問わず肥満が増加し,それに伴って近い将来,メタボリックシンドロームや生活習慣病の蔓延が危惧されています。こんな時代だからこそ,いつまでも健康でいるための適切な食事の選び方といった「たしなみ」を,給食を通じて子供たちに伝えるべきだと,アメリカ人学生の反応を見ていて強く感じました。

江副聡氏(ハーバード公衆衛生大学院修士課程2006年修了)のコメント

事前勉強会の担当者として,準備中や日本滞在中,日本の保健医療システムをわかりやすく伝えるよう努力しました。その際,日本についての最新の英語文献が多くなく苦労しましたが,「日本がアメリカから学ぶよりも,アメリカが日本から学ぶべきことのほうがはるかに多い」といった感想が出るなど,少子高齢化や国民皆保険制度のあり方といった問題を,自国の問題として捉えてくれたことが印象的でした。Japan Tripを通して,アメリカを含めた他国の経験から日本が学ぶ一方,他国の教訓となりうる日本の経験について紹介していく必要性を再認識しました。

※著者の小野崎耕平氏は,本年6月にハーバード公衆衛生大学院を卒業,現在は自民党三重県参議院選挙区支部長に就任しています。本稿は同氏の在学中の活動について私見を述べたものであり,特定政党の見解を表すものではありません。