医学界新聞

 

【投稿】

米国では治療中止の判断はいかに行われているか
米国専門医フェローからの報告

伊藤 大樹(シカゴ・ロヨラ大学医療センター心臓血管科フェロー)
関根 龍一(メモリアルスローンケタリング癌センター疼痛緩和フェロー)


 北海道や富山県の病院での呼吸器取り外しの件をきっかけに日本でも終末期医療,特に治療中止の判断に関して注目が集まり,国を巻き込んで取り組む気運が高まっている。今回われわれは米国医療における治療中止の決定プロセスおよびその背景について紹介したい。

患者の判断能力判定と事前指示

 例外は存在するが,米国で治療を決定するのは医師ではなく患者本人である。即ち医師による医学的意見をもとに患者が治療を選択する。たとえ患者が人工呼吸器管理下で意思表示できない状況であっても,一貫して遵守する努力が求められる。この努力過程は,

1)患者の判断能力を判定する。判断能力があれば患者自身がDecision Makerとなる。
2)患者に判断能力がないと判定された場合は,患者指名による意思決定代理人(Designated Decision Maker:以下DDM)を含めた事前指示が存在するか確認する。
3)事前指示がない場合は,患者指名によらない意思決定代理人(Non-designated Decision Maker:以下Non-DDM)を決定するよう努力する。
4)Non-DDMを決定できない場合は,Public Guardian(後述)に連絡し患者のNon-DDMとなるよう要請する。
5)必要があれば,どの段階であっても緩和医療専門医や院内臨床倫理委員会に相談する。
6)以上の過程で解決できなければ裁判所に届け出る。

 患者の判断能力の有無を判定するには,(1)医師の説明を理解できること,(2)現状と起こりえる結果を認識できること,(3)自分の選択を医師に伝えることができること,(4)患者個人の価値観に基づいた理由のある決定ができること,を満たさなければならない。人工呼吸器管理下であっても患者の意識がしっかりしていれば筆談で意思表示することは可能であり,判断能力があると判定されることがある。

 事前指示にはLiving Will,Advanced Health Care Directives,口頭による家族への意思表示などがある。実は事前指示が普及している米国においても,口頭による家族への意思表示が最も多い。この事前指示には大まかに,(1)医学的に不治でかつ不可逆的状況において延命治療を希望するか否か,(2)人工的栄養投与を希望するかどうか,(3)詳細な意思表示ができない時のDDM,が含まれる。

 代理人は患者による事前指示のみでは曖昧で詳細な治療方針が決定できない場合のために存在し,代理人自身が患者の事前指示を超えて治療方針を決定・変更することは原則としてできない。たとえ患者意思が明確でない状況においても,代理人は患者本人ならばどう選択するだろうかという推定のもとに判断することとなる。

 Non-DDMは米国で医療を行うのに欠かせないシステムであり,明確な事前指示がない場合でも患者意思の推定に基づいて治療方針の決定を行うことができる。Non-DDMはclear and convincing evidence(明確で説得性のある証拠)を提示できる場合にのみ,それに基づき判断することができる。配偶者,両親,子ども,その他の者の中から誰が患者の代理人に選ばれるかを示すリストの順位は各州の代理人法によって規定されている。代理人法のない州ではNext of Kin Hierarchy(通常,配偶者,成人である子ども,両親,兄弟の順)に基づき医師が代理人を定めることが多い。複数人が同時に意思決定代理人になることはできず,必ず1人のみであることを強調しておきたい。

 日本の成年後見人制度は保健・福祉領域の契約にも適応されるが普及しておらず,主として財産管理のために使用されている。一方,米国には個人財産管理と別にヘルスケアについてのPublic Guardianシステムが存在し,これは通常身寄りのない患者やホームレス患者などに適応されることが多い。

緩和医療専門医と院内倫理委員会

 緩和医療は米国でも比較的新しい分野だが,急性期患者を受け持つ市中病院内にも緩和医療専門医がいることが多く,彼らは積極的に急性期医療に組み込まれ活躍している。日本では緩和医療専門医が活躍する場の多くはホスピスに限られている。

 一方,治療離脱,治療中止の判断,蘇生オーダーの有無といった臨床現場での難しい症例に関して倫理委員会がコンサルトされることがある。1992年以来Joint Commission on Accreditation of Health Organizationsは各病院に対し,倫理的問題を解決するメカニズムを持つように義務づけているため,ほとんどの病院には倫理委員会が設置されている。米国での倫理委員会についてはAmerican Society for Bioethics and Humanitiesが,1998年に参考として用いるガイドライン“Core Competencies for Health Care Ethics Consultation”をまとめており,倫理委員会に関する重要項目はこれに網羅されている。倫理委員会は,問題となっている事柄が医療倫理的どう判断されるかについて見解を示すのみならず,患者,家族,あるいは意思決定代理人,医療者の間のコミュニケーションの促進,利害の衝突,意見の相違を調停する役割を果たしている。

 倫理委員会メンバーの内訳は,同分野に詳しい医師,看護師,医療スタッフではない専門家,ソーシャルワーカー等の社会的側面に詳しい者,聖職者,医療倫理専門家,病院理事会メンバー等,職種の異なる専門家集団であることが望ましいとされる。しかし倫理委員会の全体的組織構成やコンサルトの方式についての取り決めは,各医療機関によって異なり,標準化されたものはない。これら倫理委員会の立場はあくまでコンサルタントであり,その意見を参考に最終的な決定は再び当事者である患者,家族(患者の代理人),主治医の間でなされる。各ケースのコンサルタントとなるメンバーは中立の立場を守るため,該当患者家族の親類,患者家族と利害関係を持っていてはならない。また,主治医や担当看護師として直接問題のケースの治療に関わっていてはならない。

 緩和医療チームと倫理委員会は通常別の組織であるが,密に連携しあうことが求められる。倫理委員会の扱う個々の難しい症例は医学教育の教材としての重要な役割を持ち,各病院はこれを研修医や他の医療スタッフの教育に積極的に利用している。

FutilityとQuality of Life

 米国ですら使いたがらない医師が多い米国臨床倫理学のキーワード「Futility(無益)」。「効果のない治療」を意味する言葉として使用されている。この言葉を実際の臨床の場面で用いる場合には,ただ漠然と使うのではなく,いかなる治療が患者にとって無益なのかを明確にし,主治医と家族あるいは代理人の間で患者の治療目標と照らし合わせて総合的に判断することが重要である。

 有益な医療行為と無益な医療行為を区別することは必ずしも容易ではないが,米国では救命蘇生処置による救命の確立がほぼ0%に近い場合に,その救命のための医療措置をFutile(無益)とみなし,この場合「いわゆる延命」は合理的医療目標ではないという一定のコンセンサスがある。米国人は自律性を非常に重んじる国民性であり,Patient Self-Determination Act(PSDA)により延命治療を含めた自らの治療方針決定の権利は保障されている。患者本人の自律性を尊重する文化と医療者のFutilityの考えの双方が人工呼吸器取り外しを含めた治療中止を正当化させる背景となっている。

 FutilityとQuality of Life(QOL)は互いに関連する概念であるが,QOLは元来非常に主観的なものであるため,特に医師が治療中止の判断のプロセスとして患者のQOLを評価する場合は慎重でなければならない。

最後に

 終末期医療における治療差し控え・治療中止の決定はすべての医療行為のなかで最も判断の難しいものであり,個々のケースごとに検討されるべきものである。またその選択は各国の文化・個人の価値観により大きく異なってくる。しかしその決定過程とその背景にある倫理についての理解を深め学習することは,ますます複雑化・高度化する緩和医療・終末期医療の現場でこれから不可欠となるであろう。今後日本でさらに活発な議論が行われ,できるだけ明確な道が示されることを期待している。

参考文献
1.伊藤大樹,米国における疼痛・緩和医療の取り組み-ハワイ大学臨床内科レジデントからの報告,医学書院,週刊医学界新聞2656号,2005
2.伊藤大樹.関根龍一,米国終末期医療現場からの報告,医学書院,JIM,15(12),1012-1028,2005
3.Core Competencies for Health Care Ethics Consultation, Report of the American Society for Bioethics and the Humanities, 1998


伊藤大樹氏
1996年神戸大卒。沖縄県立中部病院にて卒後初期研修を行う。その後沖縄県立宮古病院,東女医大循環器科,東京池上総合病院循環器科に勤務。2003年より米国University of Hawaii Internal Medicine Resident。2006年より現職。

関根龍一氏
1997年滋賀医大卒。沖縄米海軍病院,亀田総合病院での研修後,2001年NYベスイスラエルメディカルセンターにて内科レジデント研修。04年同センターにて疼痛緩和フェローなどを経て,06年1月より現職。米国内科専門医。