医学界新聞

 

【特別寄稿】

こまやかなまなざしと「棒の如き」思索
『ケアってなんだろう』を読む

鷲田 清一(大阪大学副学長/臨床哲学)


 「精神科の松田道雄」。小澤勲という医師に対してわたしが抱いてきたイメージはそのようなものである。

 それぞれ小児科,精神科の医療のあり方について根本的な疑問をもち,医療の裾野にいる子ども・患者のいちばん近くで,ということはずっと在野で,医療の専門家でありながら医学の外の知にたっぷりと触れ,独りで時代の医療体制に対して思想闘争を仕掛け,後年は「老い」の生きがたさに身を挺して,一方は安楽死の是非について,一方は認知症への取り組みについて,ひとびとの眠りを覚ますような本質論を展開する。

それを問題としているわれわれ,という論点

 長らく「痴呆」とよばれ,いまは「認知症」とよばれる症状と,それにともなうさまざまの「問題行動」には,まずは当事者自身がもがき苦しみ,介護者のほうはその堂々めぐりの介護に翻弄されて疲れきり,ほんのときたまその憔悴のなかでそれこそ僥倖のようにかぼそい一条の光にふれるといった経験を,果てしなくくりかえしてきた。

 もちろんその光についにふれえなかった経験こそ無数にある。が,ごく身近なひとが「崩れてゆく」あるいは「消えてゆく」ことの衝撃のなかで,「問題行動」を「問題」としているわれわれの側の事情に眼を研ぎすませていったひとも少なくない。

 どうしても納得できない,腑に落ちないという思いをひとびとが重く抱え込むなかに,小澤勲氏の認知症論の連作が世に出た。『痴呆を生きるということ』『認知症とは何か』(いずれも岩波新書)である。

 これらの著述のなかで小澤氏は,認知症を病むひとたちはいったいどのような「不自由」(生きがたさ)と抗い,その抗いに挫けるなかでみずからどのような解決を図っているのかを説き,ではそのような状態のなかにある人にどのように向きあえばよいのか,その向きあいをとおしてわたしたちに迫られているものはなにかといった(問題というより)課題について,細部にきめこまやかなまなざしを届けながらもきわめて骨太な,著者の言葉を借りれば「棒の如き」思索を提示した。

「緊急対談」といった面もちも

 だからこれらの書物は,認知症をどのようにとらえたらいいのか思い悩んできた家族や介護スタッフ,介護をどのような「文化」として育て,組み立てていかねばならないかを現場で呻吟しつつ模索してきたひとびとの関心を,ぐいと引き寄せた。

 その引き寄せられた関心を,小澤氏にじかにぶつけ,そこから「認知症」への取り組みを「文化」として広げ,深める,そんな「緊急対談」のような面もちが,このたび編まれた対話録『ケアってなんだろう』(医学書院)には立ちこめる。

 この本は,主に四つの対談と三つのインタビューと二つの講演記録からなる。対話の相手にいわゆる「認知症の専門家」はいない。が,そのことで逆に認知症という主題の,〈文化〉の,あるいは〈社会〉の問題としての,広がりや深みがおのずと浮かび上がってくる。

 対談の相手は,田口ランディ(作家),向谷地生良(浦河べてるの家),滝川一廣(精神科医),そして瀬戸内寂聴の各氏。小澤氏にインタビューし,それぞれに気合いの入った小澤論を展開するのが,西川勝(看護師),それに出口泰靖,天田城介という気鋭の「ケアの社会学」者である。

「美しい物語」に昇華することを拒む

 認知症というものにふれる地点が,角度が,それぞれの履歴の違いからさまざまであるので,ときに正面衝突になったり,微妙なすれちがいになったりもするが,言葉に緩みはない。遠く隔たった場所で,言葉の肌理は異なるが深い共感がこだまするといった気配が濃い。

 これらの対論はどれも,認知症の切なさ,しんどさへの深い思いやりを湛えながらも,認知症の苦しみというものをまとまりよく解釈し,回収することを拒んでいる。辛抱強い対論のなかから浮かび上がってくるのは,たとえばつぎのような論点であり,提言である。

 「そもそも人は理解が届かなければ人と関係を結び,人を慈しむことができないわけではない」。だから「やさしくあれ」「受容せよ」というふうにケアの〈感性〉を求めるのでなく,〈技術としてのやさしさ〉を求めたほうがよい。

 「すばらしい介護」を賞賛しすぎることはときに別の当事者・介護者を傷つけたり,介護の困難を「美しい物語」へと昇華したりする危うさを孕む。だからむしろ,ケアの技術を「財産」としてどのように蓄積していくかの工夫が必要となるのだが,ただしそこに(たとえば「できる/できない」でひとを分ける地平をどのように超えてゆくのかといった)「思想」がなければ,きっとどこかで潰れてしまう。

 認知症を病む人は,まわりの世界とのギャップに直面して取り繕いにしがみつかざるをえないのにその取り繕いができないでついに「異常行動」を訴えることになるが,そのギャップははたしてつねに小さくしなければならないものなのか,むしろ人としてそれを守り育てなければならないこともあるのではないか。

 認知症においては,認知能力は落ちても感情は崩れない(「人の名前がわからなくなったりしても,『とても親しい人だ』ということはどこかでわかっています」)。そして情動は共同性のなかで育まれる。じっさい,彼らを取り囲む地域が「脆弱」であることがときにプラスに作用することもあるわけで,「在宅で何かをしようというとき,完璧を目指すと絶対に駄目です」。

負け試合に,エールを送りつづけるひと

 これらの問題をめぐる応酬のなかから見えてくるのは,介護の現場の切なさであり,しんどさであり,危うさである。切なさに寄り添うなかでけれどもけっして「美しい物語」に昇華しない。しんどさに向きあうなかでそれがほんとうは介護者みずからのしんどさでもあることに気づき,制度の不具合をしっかり把握する。介護者の無意識の欲望がうごめきだすその危うさをしっかり見届けるために,見たくないものも逸らさずに見る……。

 小澤氏と語りあった面々に共通しているのは,「異常な状況に異常な反応をするのは正常である」(V・E・フランクル)という信念であり,彼らがこぞって求めているのは,(認知症を病む人たちの「問題行動」ではなく)その「状況」のほうの異様さをどう解決するかという課題である。そうわたしは受けとめた。

 最後に,インタビュアーの一人が活写している小澤勲氏のある姿を。

 小澤氏が若いころ応援団員だったというのは意外だが,以前,『物語としての痴呆ケア』の出版記念パーティで,出席者への返礼として最後に壇上からエールを送った。

 「小澤さんの病状を知るものには信じがたいものだった。前ボタンをはずした背広は,左右に跳ぶ体に羽のような動きをつける。拳を突き出し,足を踏みしめ,腕は大きく円弧を描く。……医師として精神科医としての小澤さんは,多くの患者たちが人生の負け試合に出会ったときにも,あの凛とした眼差しでエールを送りつづけたのだろう」

 認知症とその介護の,重さと限界,そのなかでときに全身から力が抜けるほどほっとし,また笑い転げるかりそめの時をはさみながら,果てしのない時間をそれでも前へとくぐってゆく,その人たちすべてに向けたエールだったにちがいない。