医学界新聞

 

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第89回

ピル(医療と性と政治)(20)
「プライバシーの権利」の確立

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2691号よりつづく

「非合法」ゆえに「患者の権利」確立に貢献

 前回,権力を握る立場に立つ人々が,ピルをはじめ,避妊普及に反対したがる最大の理由は,「性が乱れる」ことを危惧するからだと書いた。実際,米国では,避妊普及の活動は,半世紀近く前まで「犯罪」とされてきたし,サンガーたちは,「非合法活動」であるという覚悟の下に「家族計画」運動を始めたのだが,サンガー自らが,逮捕・投獄の憂き目にあったことは,第72回で紹介したとおりである。

 こんなことを書くと「風が吹くと桶屋が儲かる」式の迂遠な議論に聞こえるだろうが,実は,避妊普及活動が「非合法」であったことが,その後,米国で,「患者の権利」が人権として確立されることに大きく貢献することとなったのである。サンガーらが始めた「非合法」の「家族計画」運動に司直が介入するたびに法廷での法律論争に道が開かれ,避妊普及活動の違法性を巡る論争が繰り返される過程で,いわゆる「プライバシーの権利」が,基本的人権として確立されたからである。

「グリスウォルド対コネチカット州」事件

 米連邦最高裁が,「『プライバシーの権利』は憲法で保障された基本的人権」とする画期的判断を下したのは,「グリスウォルド対コネチカット州」事件での判決であったが,同事件の概要は以下のようなものだった。

 1961年11月,イェール大学産婦人科部長リー・バクストンらが,コネチカット州ニュー・ヘブン市に「家族計画クリニック」を開設した。しかし,コネチカット州は,州法で,避妊行為そのものを違法としていただけでなく,「避妊に関する助言,手助けをすること」も違法としていた。家族計画クリニックの開設は,公然とこの法律に挑戦する「犯罪」であっただけに,州当局としても看過することはできず,バクストンとクリニック所長のエステル・グリスウォルドを逮捕したのだった。逮捕後,同州最高裁で有罪判決を受けたバクストンとグリスウォルドは,「避妊を禁じた州法は憲法違反」と,連邦最高裁に上告した。

 連邦最高裁での争点を一言で言えば,「『性』というきわめて私的な行為に,司直が介入することが妥当かどうか」,つまり,「寝室内での行為を警察が取り締まることが妥当かどうか」につきた。コネチカット州当局は,「避妊を禁止するのは『婚外交渉』など『性の乱れ』を防ぐため」と主張したが,被告が設立した家族計画クリニックの患者はすべて既婚者であったし,「『婚外交渉』などの不道徳な性活動を防止するためにクリニックの設立者を逮捕した」とする州側の主張には無理があった。

下された歴史的判断

 65年6月,連邦最高裁はコネチカット州が避妊を禁じた州法を違憲と断じるとともに,「『プライバシーの権利』は憲法で保障された権利」と認定する歴史的判断を下した。ここで,あえて断るが,日本で「プライバシーの権利」というと,「私事に関する情報を他人にみだりに知られない権利」という具合に,「個人情報」に限定された権利として受け取られる傾向があるが,「グリスウォルド対コネチカット州」判決で認定された「プライバシーの権利」とは,「私事に関する事柄について,政府や他の第三者から干渉されずに,自分で自由に決める権利」であり,「個人の自由・決定権」に及ぶ,広い内容を包含していることに注意されたい。

 「グリスウォルド対コネチカット州」判決で認定された「プライバシーの権利」は,やがて,「患者の自己決定権」を保証する法的根拠となっただけでなく,「子供を産む,産まないという,きわめて私的な決定に権力が介入することは違憲」と,中絶を合法化した最高裁判決(「ロー対ウェイド」判決,73年)の根拠となるなど,米国医療倫理史の中で,きわめて大きな位置を占めるようになるのだが,このあたりの事情については,いずれ,項を改めて論じる予定である。

「家族計画運動」の最大の功績とは

 これまで,20回にわたって,サンガーが始めた「家族計画運動」の歴史を振り返ってきたが,彼女が始めた運動は,ピルを誕生させるなど多くの実を結んだ。私自身は,サンガーが始めた運動が残した数々の功績の中でも,最大の功績は,「プライバシーの権利」を確立したことにあったと考えているが,「プライバシーの権利」の根底にある思想を平たい言葉で言えば,「『私』に関する事柄について,他の誰かから,『ああしろ,こうしろ』と言われたくない」ということになるのではないだろうか(ここで,「他の誰か」の箇所には,「権力者」,「上司」,「医師」,「指導教官」など,さまざまな名詞を代入することが可能である)。

 望まない妊娠から女性を解放するために司直と闘うことをいとわなかったマーガレット・サンガー,旧弊なアカデミズムと訣別し,性ホルモン研究に新たな地平を開いたグレゴリー・ピンカス,ラッセル・マーカーなど,避妊普及運動とピルの歴史を振り返った時,中心となって活躍した人々は,皆,例外なく,「プライバシーの権利の思想」の体現者であったように思えてならない。

この項おわり