医学界新聞

 

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第87回

ピル(医療と性と政治)(18)
副作用(3)

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2687号よりつづく

〈前回までのあらすじ:1970年代初め,上院公聴会の影響などでピルの危険性が喧伝される中,ピルに替わってIUDを使用する女性が急増した。ピルより安全という宣伝の下,IUD売り上げトップとなったのがロビンス社のダルコン・シールドだった〉

FDAの要請まで拒絶

 ダルコン・シールドの開発に出資者として自らがかかわった社外コンサルタントのアールが,その商品の危険性について警告してきたのだから,ロビンス社としても真剣に受け取らざるを得なかった。しかし,「妊娠とわかったら即刻除去すべし」とするアールの警告は「営業上の影響が大きすぎる」と経営陣に無視されてしまった。

 アールのような「内輪」の医師から安全性に関する疑義が呈されたにもかかわらず,ロビンス社の対応が遅れる一方で,死亡例や重篤子宮感染例は,蓄積した。そんな中,重篤子宮感染はダルコン・シールドによる副作用ではないかと,疑いの目を向けるようになったのが,アリゾナ大学医療センター産婦人科チーフのドナルド・クリスチャンだった。73年3月,ダルコン・シールド装着女性が,妊娠・子宮内感染を経て死亡する症例を経験したクリスチャンは,学会などで,他の医師に類似の症例を経験したかどうかを尋ねるようになった。数か月後,テキサス州の医師からまったく類似の症例を経験したと聞かされたクリスチャンは,ロビンス社だけでなく,CDC,FDAにも接触,その注意を喚起するとともに,死亡例を報告する論文の執筆にとりかかった。

 クリスチャンが“Am J Obstet Gynecol”に投稿した論文は,その後74年6月にパブリッシュされるが,論文がパブリッシュされる直前の5月,FDAは,ロビンス社に対し,ダルコン・シールドの一時販売停止を要請した。しかし,ロビンス社は,「いま,販売停止をしたら落ち度を認めることになって訴訟ラッシュに巻き込まれる」と,FDAの要請を拒絶した()。

急増した損害賠償請求訴訟

 FDAの要請を拒絶する一方で,ロビンス社は,同月,医師向けに「ダルコン・シールド装着女性が妊娠したとわかったらすぐに除去するように」とする警告状を配布,「安全」対策に取りかかった。社外コンサルタントのアールが勧めた対策を,20か月遅れで実施したのだった。

 と,「付け焼き刃」の安全対策を始めたものの,翌月にはクリスチャンの論文が発表され,ダルコン・シールドの危険な副作用は,医療界にとどまらず,広く米社会に知れ渡るようになった。論文発表から数日後,FDAは,ロビンス社にダルコン・シールドの恒久的販売停止を要請したが,ことここに及んで,ロビンス社も,販売停止要請を受け入れざるを得なかったのだった。

 販売を停止した時点で,ダルコン・シールドを使用した女性の数は,米国内だけで250万人に達していた。販売停止発表後,ダルコン・シールドによる被害を被ったとする損害賠償請求訴訟が急増したのは言うまでもない。弁護士が大々的に原告を募る広告を新聞に掲載するなど,「ダルコン・シールド被害」は,弁護業界の「草刈り場」となり,85年8月の時点で,損害賠償請求は1万4000件を超えた。ロビンス社は,本業の業績は利益率2割と健全であったのにもかかわらず,巨額損害賠償請求の重荷に耐えかね,同月,倒産に追い込まれた。

2つの致命的な誤り

 ロビンス社が倒産に追い込まれた第一の原因は安全対策が後手後手に回ったことにあったが,同社が犯した致命的な誤りは,(1)製造者責任,(2)利害相反の2点について,その認識が甘かったことにあったと言ってよいだろう。まず,第一の「製造者責任」だが,医薬・医療器具の領域にあっては,こと「安全」に関する問題については他業種よりも一層慎重にならざるを得ないことは言うまでもなく,安全性が問題となった時点で「経営優先」を選び,倒産に追い込まれたロビンス社の末路は,全米の医療企業に大きな教訓を与えたのだった。

 次に「利害相反」であるが,ロビンス社は,ダルコン・シールドに出資するという決断を下す際に,自らが商品化の出資者でもあったデイビスやアールなど,はじめから利害が相反する立場にあった研究者が作った「素晴らしい」データを鵜呑みにするという誤りを犯してしまった。現在,医療分野でも,研究者自らがベンチャー企業を起こすことは珍しくないが,そういった医療「商品」に出資する際,商品化の成功・失敗に直結するような重要なデータについては,「利害相反」を有しない,第三者の研究者による再試験を求めるなどの慎重さがあってしかるべきだろう。

 70年代前半,ダルコン・シールドの副作用のせいで,数多くの女性が,命を落としたり,不妊になったりするという被害を生んだが,ダルコン・シールドの発売が,たまたまピルの副作用が問題になった時期と重なったことが,被害患者の数を一層増やしたことは疑いを入れない。ダルコン・シールド被害は,そういった意味で,ピルの副作用が問題になったことの「副作用」とも言えるのである。

この項つづく

:73年5月の時点で,ダルコン・シールドにより被害を被ったとする訴訟が47件起こされ,損害賠償請求総額は2500万ドルに達していた。