医学界新聞

 

〔連載〕
感染症Up-to-date
ジュネーブの窓から

第10回 アンゴラのコレラ流行

砂川富正(国立感染症研究所感染症情報センター)


前回よりつづく

日々情報のみを眺める無力感

 最近,非常にやるせないことがある。いや,腹立たしいと言ったほうがよいくらいだ。毎日きっちりと,午後遅い時間にアフリカ南西部の国・アンゴラから送られてくる,2-3ページの簡潔で美しい体裁のレポートを読む瞬間がそれだ。そのレポートとは,実は1日200-300人のコレラの新規患者と10数名に及ぶ新規死亡を伝える現地からの公式な日報である。2月中旬に首都のあるルアンダ州より始まったアンゴラのコレラ流行の情報は,最初は少数の患者発生を伝えるのみであった。ほぼ1日も欠かさず情報が送られてくることには驚いたものである。アウトブレイクのような緊急時において,継続的に情報を更新し続けることは容易ではない。この緻密な情報伝達体制に至った背景には,2005年春に同国ウィジ州で発生したマールブルグ出血熱対応の経験が大きかったのではないかと筆者は予想する(弊紙2652号参照)。

 コレラは,アフリカでは多くの国で発生している。ほとんどの事例において,国際機関,国際NGO等が介入し,各国の保健部局と協力して患者の治療,疫学調査,検査,衛生教育の実施,安全な飲料水の提供,水源の塩素化などへの支援が行われる。大規模な社会動員を要するこれらの活動は,さまざまなインフラ,ソフト面を対象とし,派手な結果が出にくい地味な作業であるが,現存のワクチンなどが決定的な介入策となり得ない現状では仕方がない。上記の活動の進展に伴い,多くの事例では,徐々にその効果が目に見える形で現れてくるものである。

 ところが,アンゴラから日々もたらされる状況は,患者の半数近くが報告されているルアンダ州を中心に,この3月中旬より急激に悪化の一途を辿った。洪水が発生し,飲料水を含めた衛生状況全般がきわめて悪化したとの情報を聞く。手元に届く日報においても,1日に数百人もの患者発生が,4%を超える高い致死率で記載されるようになったことから,事態は容易ならざるものであることが伺われた。最初の患者発生から約3か月強が経過した5月31日現在の,報告された患者数は4万1475人,死亡者は1576人である。UNICEFによると,犠牲者の35%は5歳以下の小児だという。アンゴラ全18州のうち,13州から患者の報告がもたらされた(http://www.who.int/csr/don/2006_05_25/en/)。発生状況を示す流行曲線は減少傾向を辿っているが,この状況はいつまで続くのか,先行きは不透明に思える。

国際社会の対応は

 患者発生状況が連日きちんとメディアにも伝達されたことから,アンゴラにおけるコレラ流行は発生当初より世界の知るところとなった。1987-89年の3年間にわたる流行で,同国で報告された約4万9000人に相当する患者数がたったの3か月間で発生したことを見ても,今回の甚大な被害が伺いしれる。国際社会がこの巨大なアウトブレイクに対して手をこまねいて見ていたわけではない。報道では20を越す国際NGO(国境なき医師団など)が現地に入り,患者の治療などに当たってきた。UNICEFやWHOアンゴラ国事務所なども対応に追われている。欧州委員会(European Commission)は150万ユーロ(2億1000万円相当)の支援資金援助を行い,報道によるとさらに増額の支援を検討中とのことである。

 筆者はやはり,昨年のことを思い出してしまう。アンゴラで発生したマールブルグ出血熱の際には,連日,世界中のメディアが押し寄せ,この事例をセンセーショナルに報道した。患者発生数は400人弱で死亡者数は330人強を数えたが(致死率88%),WHOは本部から国事務所までの総力を挙げてこのアウトブレイクの封じ込めに当たった。同じ国で発生した,今回のコレラ流行への対応はどうだろうか。事例の大きさに比して,国際社会全体としての取り組み,特に支援の調整が十分に行われているのか,筆者はもどかしさを感じざるを得ない。毎朝のミーティングで感染症アウトブレイク事例の最新情報をまとめて報告するのもジュネーブにおける筆者の業務の1つだが,対応に関する情報がとにかく乏しいのだ。何かがうまくいっていないと感じられる。それが何なのか,国際的な経験の乏しさから,筆者には十分事情がわからない。感じられることは,国際的な災害に対する支援,救援というものは,被害を受けている当事者側の事情,支援する側の事情,メディアの関心などの微妙なバランスの上に成り立っているということだ。

IHRの観点からのコレラ

 元々コレラは,黄熱・ペストとともに,その発生情報をWHOに届け出ることが,IHR(国際保健規則:International Health Regulation)で求められてきた感染症の1つであった。サーベイランスの機能が不十分な国や,発生国として貿易や観光への打撃を被ることへの強い恐れを有する国もあり,報告される患者数は,実際のコレラ患者数の5-10%に過ぎないとの予想もある(http://www.who.int/topics/cholera/surveillance/en/)。学術論文ではコレラ菌の存在が確認されたアウトブレイクであっても,国としての発表は,急性水様性下痢症である場合も少なくない。情報を扱うなかで,コレラにはこのように難しい面があることが筆者にも徐々にわかってきた。

 実は筆者は,来年2007年からコレラを巡る上記の状況には改善が見られるのではないかとひそかに期待している。2005年5月,IHRの改訂がWHO総会にて合意され,2007年6月より実施されることになっているからだ。改訂IHRは,世界的な公衆衛生上の緊急事態(Public Health Emergency of International Concern)となり得る事態に対応するため,各国に情報交換の拠点を置き,迅速に情報を共有する体制の構築を目指すものである。この観点からは,コレラは重要な疾患であることには変わりはないが,他の感染症と同じく,その事例が(1)公衆衛生上重大であるか,(2)異常あるいは予期しないものであったか,(3)国際的に波及する著明なリスクがあるか,(4)国際的な旅行あるいは貿易の制限に対する著明なリスクがあるか,という観点から,改訂IHRの下で報告されるべきかアセスメントされることになる。

 改訂IHRの観点で,再び今回のアンゴラに目を移してみよう。今回のアウトブレイクは,その規模から上記(1)(2)を明らかに満たし,患者発生が北部の州に拡大していることから,隣国のコンゴ共和国波及への懸念がある。すなわち上記(3)を有する。改訂IHRは「国際的な対応」についても言及していることから,アンゴラへの対応を,改訂IHRの基本理念に基づいて討議することもできそうである。ただ,結局は当事国の許可がなければ国際社会は無力であることも変わりはないだろう。それを可能ならしめるのは,通常時からの加盟国相互あるいは国際機関との信頼関係に他ならないように筆者には思われる。アンゴラのコレラについては,いろいろな角度からしばらく状況を注視したいと思う。

つづく