医学界新聞

 

看護のアジェンダ
 看護・医療界の“いま”を見つめ直し,読み解き,
 未来に向けたアジェンダ(検討課題)を提示します。
〈第18回〉
入浴を介助するナースへ

井部俊子
聖路加看護大学学長


前回よりつづく

高齢者の入浴

 日常生活のなかで,自分でお風呂に入るという活動はもっとも個人的な行為のひとつであり,それを行うには手足の機能,バランス,筋力,調整力などの身体活動と,お風呂に入るとはどういうことなのかといった認知機能が必要である。一方,介助をされての入浴は情緒的にも身体的にも快適さとはほど遠く,介助するほうもされるほうもやっかいなことが多いと「認知症高齢者の入浴介助」(Rader, J. et al:The Bathing of Older Adults with Dementia. AJN106(4), 40-48, 2006.)は述べている。米国では,ナーシングホームの入居者の少なくとも90%は入浴時になんらかの介助が必要であるとしている。

 入浴が困難となる影響要因として,(1)足指,膝,首の関節炎といった骨筋肉系の状態からくる痛み,(2)身体の衰えや病状からくる倦怠感や脱力,(3)もの忘れ,拒否,過去のいやな体験,あるいはこれらの組み合わせによる恐れや誤解,(4)転ぶのではないかという懸念,にぎやかなところへ連れられていくこと,見知らぬ人の前で裸になること,(リフトなどで)空中につり上げられることなどからくる恐怖による不安や心配,(5)冷気やすきま風,あるいは強いシャワーのしぶき,がある。

 論文の筆者たちによる研究では,Person-centered bathing methodsが,ナーシングホーム認知症入居者の入浴への抵抗を少なくするとして,Person-centered showeringと,ベッドでのtowel bathingを推奨している。入浴介助にあたっては,(1)業務中心ではなく,その人に焦点をあて関係性を大切にすること,(2)身体を清潔にしようとして,水をたくさん使いすぎないこと,(3)清潔にするための方法はいろいろある(最初に頭や顔を洗うといやがられる,タオルでカバーしてお湯をかける),(4)痛みを適切に伝えられないために,攻撃したり,抵抗したり,どなったりするといった行動になる,と述べている。

 したがって,入浴を介助するナースは,自分自身が気持ちのよい入浴をイメージするとよい(1日のなかでいつがよいか,シャワーがよいかバスタブがよいか,お湯の温度,入浴にかける時間,入浴時の音楽,かおり)。また,認知症高齢者には,「洗う」とか「お風呂に入る」という言葉を避けたほうがよいという。なぜなら,これらの言葉には,冷たいとか,びっくりするとか,不快な体験を思い起こさせるからだ。おすすめは,入浴時間を変えてみることや,洗髪と身体を洗うことは別にすることや,乾いたタオルで覆ってシャワーを使うといった方法を挙げている。

『超人間』への哲学的アプローチ

 ナースはこのようなことも認識しておいたほうがよいであろう。

 「老齢者は身体の運動性が鈍くなっていると若い人は思っていて,それは一見常識的のようにみえるが,大いなる誤解である」と吉本隆明は指摘する(老いの超え方.125-126,朝日新聞社,2006)。

 つまり,「感性が鈍化するのではなく,あまりに意志力と身体の運動性との背離が大きくなるので,他人に告げるのも億劫になり,そのくせ想像力,空想力,妄想,思い入れなどは一層活発になる。これが老齢の大きな特徴である。(中略)けれど老齢者は動物と最も遠い『超人間』であることを忘れないで欲しい。生涯を送るということは,人間をもっと人間にして何かを次世代に受け継ぐことだ。それがよりよい人間になることかどうかは『個人としての個人』には判断できない。自分のなかの『社会集団としての個人』の部分が実感として知ることができるといえる」という。

 高齢者のお世話は深奥であり,哲学的アプローチを必要とする。

次回につづく