医学界新聞

 

【インタビュー】

臨床で感じ,考え,行動するために
看護現場学への招待

陣田泰子氏(聖マリアンナ医科大学病院看護部長)に聞く


 2006年4月,弊社より『看護現場学への招待 エキスパートナースは現場で育つ』が刊行された。「看護現場学」は著者の造語であり,「教室で考える看護」の対立概念であるという(本書序文より)。豊富な臨床経験を持つ著書・陣田泰子氏に,その概要を伺った。


■「看護現場学」の原点

Kさんとの出会い

――新刊『看護現場学への招待』では,新しい看護学として「看護現場学」を提唱されているとお聞きしました。

陣田 「看護現場学」の構想は,私が臨床・教育現場での経験を通じて温めてきたものですが,その原点は,聖マリアンナ医大内科病棟で出会った,1人の患者さんにあります。

 Kさんは,今でも確たる治療法が存在しない難病である筋萎縮性側索硬化症(以下,ALS)の患者さんでした。1977年頃に入院されたのですが,当時,ALS看護の経験を持つスタッフはおらず,私自身も内科病棟師長に成り立てで,手探りでケアを行いました。

 入院時には,歩いて病院に来られましたし,話すことや,食べることもできたのですが,3年間の闘病の中で病は進行し,呼吸ができなくなり,気管切開~呼吸器装着し,最期を病院で迎えられました。

「俳句はどうかしら?」

陣田 Kさんは気管切開後は,五十音を書いた文字盤を用いてまばたきで意志を伝えていました。そのやりとりの中で,私たちがいちばん困ったのが「死にたい」と繰り返されることでした。どう対応したらよいか,何度もカンファレンスで話し合った結果,行き着いたのは「仮に病気が治らないとして,今,Kさんに残っている力は何だろう」という問題でした。

 ある日のカンファレンスで,Nさんというナースが,「俳句はどうかしら」と提案しました。記録には「趣味は俳句」などと書いていませんでしたが,確かに,短い言葉をつづるのは,文字盤でもできそうだと思いました。ALSでは,全身の麻痺が相当進行しても,意識状態とまばたきは最後まで残ります。思い切ってKさんに提案したところ,なんと4,5日後,「こまねずみ よくぞはたらく 8南」という第一作を作ってくれたのです。「まるで,こまねずみのようによく働くナースだ」ということですね。

「つらくても生きていたい」

陣田 Kさんはその後,夜間の呼吸停止があって人工呼吸器をつけることになりました。その直後は,再び「死にたい」という訴えを繰り返し,俳句も作らなくなってしまいましたが,ナースの働きかけを受け,文字盤で受け持ち医師の結婚式に電報を打つなど,元気を取り戻していきました。

 また,Kさんはずっと,ご自宅に帰りたいという希望を持っておられました。呼吸器が小型化した今ならともかく,当時は誰もがそんなことは不可能だと考えていましたが,カンファレンスを重ねる中で,外泊は無理でも,短時間の外出なら可能ではないかということになりました。計画を練り,医師2名,ナース2名の計4名がつき,病院の救急車でご自宅まで行きました。滞在時間はたった2時間でしたが,念願の「家に帰りたい」という思いを果たしたKさんは,翌年の1月に亡くなりました。

 亡くなる少し前,Nさんが「いまの気持ちはどうですか」と尋ねたところ,しばらく考えて,「つらくても生きていたい」とおっしゃったそうです。あれだけ毎日,「死にたい」と繰り返していた方が,「つらくても生きていたい」と変わった。これは私たちにとって,ものすごい衝撃でした。

 その後,小児科に移り,教員をやっていく中でも,頭の中にはずっとそのことが残っていました。「つらくても生きていたい」とおっしゃった時,「なぜそのように気持ちが変わったのですか」と問うナースに「みんな,よくしてくれる……」と文字盤で言ったのです。みんなって誰でしょう。家族。それからナース。医師は……どう思いますか?(笑)。

 医師は,病名の診断がつき,治療法がないということがはっきりすると,あまり積極的に関わる方法を持っていません。ですから,いわゆる難病に対しては,看護が中心になるわけです。ナースは,病気は治らなくてもそこに患者さんがいる限り,24時間,365日継続してケアしていくわけですからね。

 今思うと,私はそういう医学と看護の違いをずっと考え続けてきたんですね。そして,そのルーツは,Kさんとの出会いにあったと思います。Kさんの「死にたい」を「つらくても生きていたい」へと変えたものは何なのか。今回の本は,その解明への旅路をまとめたものといっていいかもしれません。

理論なき実践は盲目

――その後,一度臨床を離れ教育現場に行かれていますね。

陣田 小児科病棟師長から教育担当の副看護部長を経て,看護短大の教員になったのが,私にとって2つ目の転機でした。臨床経験30年を持って教育現場に入ったわけですから,それなりに自信は持っていました。看護は「実践の科学」ですから,自分の経験でやっていけるはずだ,と。

 ところが,いざ講義をやってみると,自分はほとんど看護のことを系統的に語れないということに気がついたんです。逆に,臨床経験をほとんど持っていなくても教員歴の長い人は理路整然と語っている。臨床で,教育担当までやった私が,どうしてこんなに何も語れないのか。自己嫌悪に陥りました。

 ただ,当初は私の中には「実践をやっていない人が何を言っているのか」「私は話は下手でも現場で長年やってきたんだ」という思いも強くあって,実践経験の少ない教員のことを批判的に見ていたんですね。

 ところが,ちょうどその頃,クルト・レビンの「理論なき実践は盲目であり,実践なき理論は空虚である」という言葉に出会ったんです。これには,「がつん」とやられました。「実践なき理論は空虚」というのは,私が看護教育に対して感じていたことです。しかし,自分自身に目を向けてみると,経験だけで理論がなかった。盲目だったのだ,と気づかされたのです。

 この衝撃があり,私は教員を辞め,川島みどり先生のやっておられる臨床看護学研究所で1年間学ばせていただき,結果的に再び臨床に戻ってくることになりました。

■「循環する学びの場」を創造する

看護は帰納的アプローチ

――臨床に戻られたのは,陣田さんが抱えた課題は,現場でなければ解決できないと考えたからでしょうか。

陣田 そうですね。やはり看護は「実践の科学」なんですよ。ただ,現場のナースはいくらよい実践をやっていても,教員のように語れない。こんなにもったいないことはありません。現場に戻った私がやりたかったのは,「自分のやっていることを社会に向かって話して,書けるナース」を育てることでした。

――そうしたナースを育てる学問が「看護現場学」ということでしょうか。

陣田 「看護現場学」といってもまだ取り組み始めたばかりですし,系統だったものはなく,図のように構造を描いている段階ですが,それでも手がかりと思えるものはいくつかあります。

 まずは「帰納的アプローチ」。看護教員の語り方には独特の流れがありました。それが何かわからなかったのですが,その後の学習から「ああ,あれは演繹的アプローチだったんだ」と気づきました。教員の語りにはまず理論があり,それを現実に適応させるわけですね。

 では私たち現場のナースはどうなのか。そのいちばんの特徴は,生の体験や出来事から理論化していくという,帰納的アプローチではないかと思います。例えば新人ナースの場合,どうしても一般論を学んでから,個々の患者さんにあてはめていきます。これは演繹的アプローチですね。しかし,エキスパートナースと呼ばれる人たちは無意識に行動しています。そこで起きている現象と自分の行動をその場で瞬時に概念化して,次の行動につなげている。現場で右往左往しながらも,現場におぼれてしまわないように考え,概念化している。そういう,帰納的な循環を身につけているんです。

演繹的思考に傾く現場

陣田 ただ,実際には,現場のナースは概念化,理論化するところまではなかなか行かない。忙しい日常の中で,立ち止まって自分の臨床を振り返るということができていないんです。

 今,臨床現場ですら演繹的な思考に傾きつつあります。看護計画は実は立てた瞬間から患者さんが変化していて,現場に行った時にはすでにタイムラグが生じているのです。演繹的な思考法の場合,計画通りに実施しようとし,その間に生じた変化に気がつきにくい。「おかしい」「違う」と思ったら,目の前の現実の反応を大切にしなければならないのに,そこで計画を優先させてしまう。「だって,計画で決めたことだから……」と。

 現場での実践を通して,認識を深め,さらに実施し……という終わりのない循環が生じることが理想だと思います。「看護現場学」も,そういう循環していく学問にしたいのです。

「循環する学びの場」創造をめざして

陣田 少なくとも,こういった循環を促進させる学びの場が,今の臨床にはありません。現場ですら,知識をためるような学習に終始している感があります。せっかく学生が実習に来ても,「この患者さんの病気は?」「治療法は?」といった知識をテストし,それに答えられないとベッドサイドに行かせないということもあると聞きます。

 帰納的なアプローチ重視であるならば,実習ではできる限り患者さんのもとで実践できるようにすることだと思います。現実には現場に来ても実習という名の教科書的な学習をしている。実習時間そのものもどんどん削られていることを見ても,「まずは知識を蓄えて,それから実技」という考え方が支配的なのだと思います。これも非常に演繹的な発想ですね。

 一方で,医学教育では昨今,earlyclinical exposureの重要性が言われています。その点で医学教育に見習うべきところもあると思います。看護教育における実習の意味を,もう1回,考え直さなければいけないと思います。

――本書,それから8月のセミナーでも,そういった部分を掘り下げていくことになるでしょうか?

陣田 そうですね。そうした循環を作っていくためにも,ナースが自分の体験をいかに概念化していくか。私が若い頃は,例えば準夜勤帯などに,先輩と「私,患者さんにこんなこと言われちゃったんです」といった話をする時間もありました。概念化を促進させるには,どうしてもコーチ役が必要なんですが,昔は自然に先輩がその役を担っていたと思います。今は先輩も時間がないですから。特に夜勤は少ない人数で自分のことで精一杯です。そういった循環を作っていく方策を,皆さんと一緒に考えることができたらと思います。

(陣田泰子氏が「看護現場学への模索」をテーマに講演する第135回医学書院看護学セミナーは,8月2日,松山市・松山市民会館にて開催。詳細は本紙5面下段の告知をご覧ください)


陣田泰子氏
諏訪赤十字高等看護学院卒。玉川大文学部教育学科,東洋英和女学院大学院修了。諏訪赤十字病院,聖マリアンナ医大病院,川崎市立看護短大(助教授),健和会臨床看護学研究所を経て,2001年より現職。著書に『はじめてのプリセプター 新人とともに学ぶ12か月』(共編著,医学書院,2003)などがある。