医学界新聞

 

カスガ先生 答えない
悩み相談室

〔連載〕  12

春日武彦◎解答(都立墨東病院精神科部長)


前回2682号

Q 「雨男」っていますよね。その人が行事に参加すると,なぜか必ず雨になるといった迷惑な超能力を持った人が。で,困ったことに僕は「急患男」なのです。僕が当直すると,必ず急患が待ってましたとばかりに運び込まれて来るのです。ことにあるナースが夜勤だと僕の超能力はパワーアップするようで,その確率はほぼ十割に達します。こんな運命を背負った自分は,将来,当直のない科に進んだほうが賢明だろうかと本気で悩んでいます。質問そのものが常識外れなのは重々承知ですが,精神科のドクターとして何かコメントをお願いします。

(研修医・♂・26歳・ローテート中)

雨男の「禊ぎ」

A 確かにそういった超能力だか「呪われた運命」だかを持っているような人はいますよね。一緒に勤務すると大変な「嵐を呼ぶナース」というのも存在します。ユングも真面目に当直をしていたら,きっとこの現象に関して論文を書いていたと思われます。

 さてこのような運命だか特殊体質については,黙って受け入れるしかありません。おしなべてあなたのような人は,「まいったなあ」とか言いながら,いつしか「ああ,案の定……」と自分の予想を裏付ける出来事が起こるのを期待するようになっています。嫌だ嫌だと思いながら,それを期待し待ち受けるといったパターンが形作られる。すると,それに呼応するように運命がすり寄ってくる,といった形をとるのですね。

 人間とは「期待する動物」であります。そしてよいことや楽しいことのみを期待するわけではないところが,厄介かつ面白いのです。つまり不意打ちをくらうよりも,善くも悪くもそれなりに漠然と予想していたほうに物事が動いたほうが安心する。「あ,畜生,まただ!」と悪態をつきながらもどこか目は笑っている。そんなふうに運命と馴れ合うのが好きなのですね。

 ですから,もしかするとあなたは急患が来て診察室が修羅場の状況を呈するのが本当は好きなのかもしれない。だったら救急を受け入れる職場に進んだほうが生きがいを感じることでしょうね,体力のあるうちは。一方,これは私の診療分野の話となりますが,辛い目や苦しい目に遇うということは,そのことによって人生のうえで何か帳尻が合わせられる気分になるようです。

 せいぜい正常~神経症レベルの人にとって,それをきちんと意識しているか否かは別として,とにかく精神的にもっともヘヴィーなテーマは「罪悪感」であると個人的には考えています。

 本来,人間は誰かを押し退けたり,ないがしろにしたり,犠牲にしたり身代わりにしたりして生き延びざるを得ない存在であります。救えなかった患者,自分がもっと実力を持っていれば助かったかもしれない患者……。どれほど誠実に生きていこうとしても,どこかで罪悪感を背負ってしまう。ましてや親との確執があったり,生育史に「わだかまり」があったり,自分の選択に周囲が賛意を示してくれなかったりすれば,もうそれだけでしっかりと罪悪感を抱え込んでしまう。

 いまどきの家族問題とか「ひきこもり」,若者の問題行動などの大部分も罪悪感という視点から概ね解説が可能です。ある意味では,とりあえず罪悪感を引き受けてしまうのは,それはそれで屈折した自己愛を満足させてくれますしね。

 といった次第で,「またしても」ひどい目に遇うといったパターンは,どこか罪悪感を帳消しにしてくれるマジナイに近いものがある。ま,「禊ぎ」ですね。わたしのところに通ってくる神経症の患者さんも,ある程度付き合っていると,症状に苦しんでいるのだか,苦しむ自分によってやっと安心感を得ているのだかわからなくなることが多いです。つまり,「この人を治したほうがいいのか,実は治さないほうがいいのか」と悩むことすらある。かように人の心は微妙であります。あなたは「本当は急患大好き」派なのか,「急患で禊ぎ」派なのか。ご自分でじっくりと考えてみてください。

次回につづく


春日武彦
1951年京都生まれ。日医大卒。産婦人科勤務の後,精神科医となり,精神保健福祉センター,都立松沢病院などを経て現職。『援助者必携 はじめての精神科』『病んだ家族,散乱した室内』(ともに医学書院)など著書多数。