医学界新聞

 

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第85回

ピル(医療と性と政治)(16)
副作用(1)

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2683号よりつづく

副作用の認識が遅れた理由

 ピルが市場に出回った当初,「避妊の効果を確実なものとしたい」という理由から,非常に高い用量の製剤が用いられたことは以前にも述べたとおりである(註1)。その結果,当然のことながら,副作用を訴える患者が続出したが,医師も製薬会社もFDAも,患者の訴えを真剣に受け止めようとはせず,血栓症など重篤な副作用の犠牲となる女性が続出した。

 副作用の訴えが真剣に受け止められなかった原因の第一として,ピルが普及し始めた1960年代初めは,医療がまだ「パターナリズム」にとらわれていた時代だったことを指摘しなければならないだろう。特に,産婦人科領域では,男性医師が患者に対して「父親」のごとくに振る舞うことが当たり前とされ,質問などする患者は「うるさい女」と扱われがちだった。頭痛などの副作用を訴えても,「不定愁訴」とか「気のせい」として片づけられてしまうのが普通だったのである。さらに,たとえ,脳卒中や心筋梗塞などの重篤な副作用が起こったとしても,患者は,ピルを処方した婦人科医ではなく,救急外来や内科を訪れたため,個々の医師のレベルでピルに重篤な副作用があるという認識が持たれることが遅れたのだった(註2)。

公聴会で活動家の怒りが爆発

 ピルに重篤な副作用があるという危険性が米社会に広く認識されるようになったきっかけは,69年の“The Doctors' Case Against The Pill”の出版だった。著者のバーバラ・シーマンは,広範な医学データ,医師・研究者そして副作用の被害に遭った患者の証言を集め,ピルの安全性に大きな疑問を投げかけたのだった。

 シーマンの著書は政治家にも大きな影響を与えたが,その一人が,ウィスコンシン選出上院議員,ゲイロード・ネルソンだった。ネルソンは,当時,上院委員会で,抗生物質や鎮静剤の乱用を巡って製薬業界の実態を調査する公聴会を開催していたが,ピルの安全性にテーマを絞って公聴会を開くことを決めたのだった。

 70年1月,ネルソンが主催した公聴会には,当時力を強めていたウーマン・リブ(女性解放運動)の活動家が多数詰めかけた。活動家のほとんどは自身でピルを服用していたし,「患者」としても,真剣に傍聴に臨んだのだった。しかし,招致された参考人に女性が一人も含まれていなかったことなど,女性=患者の立場が無視された公聴会の運営に,傍聴していた活動家たちのいらだちは強まった。いらだちが募る中,ある参考人が,ピルと癌の関係を「畑にまく肥料」と喩えた時点で,活動家たちの怒りが爆発した。

「危険にさらされているのは私たちなのに,委員にも参考人にも,女性が一人もいないのはなぜか?」
「なぜ男用のピルがないのか?」
「製薬会社はなぜ情報を隠してきたのか?」と,活動家たちは,疑問の数々を,大声で,委員と参考人たちにぶつけたのだった。

 委員長のネルソンは静粛を求めたが,怒った活動家たちは聞かず,ネルソンは,傍聴人をすべて退席させなければならなかった。

思わぬ「副作用」

 議会が主催した公聴会がウーマン・リブの活動家たちの怒りで混乱したことは,その一部始終がテレビカメラでとらえられ,全米に大きく報道された。女性自身が,自らの健康に関する問題について「大きな」声を上げたのだが,この時の公聴会混乱事件は,「女性医療史における,『ボストン茶会事件』」とも呼ばれている。

 公聴会に参加した活動家たちは,「ワシントンDCウーマン・リブ」のメンバーがほとんどだったが,メンバーを代表して記者会見を開いたアリス・ウォルフソンは,次のような声明を発表した。

「女性がモルモット代わりに使われてきたことは認められなければなりません。しかも,このモルモットは,買うのに金がかからないし,餌は自分でつくるし,檻も自分で掃除するという便利なモルモットでした。そのうえ,(試験の対象である)ピルも自分で買ったし,判定者(医師)にも報酬を与えたのです。けれども,私たちは,これ以上,白衣を着た『神』たちが,『ああしろ,こうしろ』とたれるご託宣の言いなりにはなりません」

 ウォルフソンは,重篤な副作用の情報について何の説明もしないまま,女性にピルを飲ませ続けてきた,医師,製薬企業,FDAを糾弾したうえで,これからは「自らの体に関する医療上の決断は自分でする」と自己決定権の重要性を強調したのだが,これは,「インフォームド・コンセントの原則を守れ」という主張に他ならなかった。ウーマン・リブの活動家たちが上院公聴会で議員たちに罵声を浴びせ,メディアの注目を集めたことが,「インフォームド・コンセント」の原則を全米国民に啓蒙するという「副作用」をもたらしたのだった。

この項つづく

註1:現在,使われているピルは,いわゆる「低用量ピル」(エストロゲン含量50μg以下)であるが,FDAに最初に認可されたピルのエストロゲン含量は10mgであった。
註2:これに対し,英国では,米国よりもはるかに早くピルの重篤な副作用が認識されたが,「general practitioner」が主治医として患者の医療を統合する立場に立つ制度であったことが,早期の副作用認識に役立ったといわれている。