医学界新聞

 

教養としての
Arztliche Umgangssprache als die Allgemeinbildung
医  者  

ディレッタント・ゲンゴスキー

〔第5回〕 悪性腫瘍の通称


前回よりつづく

 今回は以前に少し話題を出した各臓器の悪性腫瘍の呼び方について,臨床現場で非常によく使われているK付き言葉を中心に語ってみよう。例文として,そのような語をわざとたくさん含んだ言い回しを作ってみた。略語を見てもとの癌が想起できるか,一種のクイズと思って楽しんでいただければ幸いだ。


【例文】

(1)悪性腫瘍の部位別死亡者数の第一位がMKからLKになって久しい。女性ではMMKやUKも上位を占めている。
(2)頭頚部の代表的な癌にはOKK,ZK,KKKがある。
(3)消化器外科はMKの他にEK,GBK,PK,RKなども扱う。

 今回は標準的な日本語への全訳ではなく,下線部分について,元の略さない綴りと和訳だけを示させてもらう。
(1)Magenkrebs胃癌,Lungenkrebs肺癌,Mammakrebs乳癌,Uteruskrebs子宮癌。
(2)Oberkieferkrebs上顎癌,Zungenkrebs舌癌,Kehlkopfkrebs喉頭癌。
(3)Ösophaguskrebs食道癌,Gallenblasenkrebs胆嚢癌,Pankreaskrebs膵癌,Rektumkrebs直腸癌。

蟹(カニ)

 癌を略してKと呼ぶ言い方はドイツ語のKrebs(クレープス),あるいはギリシャ語karkinomaのドイツ語化した形Karzinom(カルツィノーム)から来ている。英語にそのままの形で入っているラテン語のcancerも含め,いずれもカニないし甲殻類を意味する語に由来する。ただし辞書によれば,現代ドイツ語でカニはKrabbeが使われ,Krebsは狭義ではザリガニのこと,となっている。英語でも,大文字で始まるCancerが星座の名前ないし占星術用語(巨蟹宮)になることを除けばcancerはもっぱら癌の意味で使われており,動物および食材としてのカニを指すときはcrabというのはご存知の通り。

 さて,例文に出てきた癌の原発臓器を示すドイツ語のうちで,おなじみでないものに少し解説を加えよう。乳房を表すMammaはラテン語の語頭を大文字にしてドイツ語に取り入れたもの。大独和辞典に載っていないことから推して医学用語としてしか使われないようで,日常語ではBrustらしい。連載第2回の「老先生の手紙」でご紹介したようにBrustは胸部全体を指す時にも使われるから,文脈により語義が変化することになる。乳癌をMKではなくMMKと略すのはもちろん,胃癌との混同を避けるための工夫だろう。言語学の用語を使えば衝突(collision)の回避ということになる。Kiefer(キーファー)とはあごのこと。「上の」という意味の接頭辞oberが付いてOberkiefer(オーバーキーファー)で上顎。ちなみに下顎はUnterkiefer(ウンターキーファー)。Kehlkopf(ケールコップ:喉頭)はKehle(ケーレ:喉,のど)の最後のeが取れて,Kopf(頭部)と合体したもの。Zunge(ツンゲ)は舌。対応する英語はtongue。Gallenblase(ガレンブラーゼ:胆嚢)も合体産物で,Galle(ガレ:胆汁)を入れるBlase(ブラーゼ:ふくろ)の意。

 なお,食道癌にはOKという略し方もあることを言い添えておく。

チャンポン

 Kはドイツ語単語の略称なのだから,本当はケーではなく[ka:]と発音すべきなのだが,いまどきエムカー,エルカーなどの正しい言い方を耳にすることはほとんどない。予告に掲げたs/o LK,r/o Eso Kなどという表記もKの部分がドイツ語由来であることが忘れられて,一種の記号として認識されているからこそ起こる二言語混合使用(code mixing)である。こういうチャンポン語はこだわりオヤジの目や耳にはすわりが悪い。ドイツ語を使うなら一貫してV.a.(Verdacht aufの略)LKとしてほしいし,英語のほうがお得意ならs/o(suggestive ofあるいはsuspicion of)lung ca.くらいの略し方でどうだろう。後半部分をLCにまで短縮してしまうと肝硬変(liver cirrhosis)と混同してしまいそうだから。

 しかし,不正確な発音やみっともない混合使用を少々指摘したくらいでは,永年にわたって広く普及したK付き略語は簡単には廃れないだろう。何といっても,早く書けるのが多忙な臨床現場では捨てがたい利点に違いない。Kなら線を3本引くだけだが,「癌」と漢字で書くと17画もあり,カタカナで「ガン」としても6画だ。臓器名のほうもアルファベットで略すのだから,例えば膵癌の「月」を書いている間にPKと書き終われたりして勝負にもならない。

 Kにはもうひとつ,癌の告知が一般的でなかった時代に使われた婉曲話法ないし隠語としての一面があった。同様の言い換え用語として,転移(ドイツ語はMetastase,英語ならmetastasis,日本語化した通称としてはメタ)はMと略記する。ご存知のとおり,カルテの病名欄は診療報酬を算定する事務職員も使うので昔も今も日本語表記が原則である。しかし以前は悪性疾患だけ例外とされ,「子宮K肺M疑い」などと書く決まりになっていた。その名残りか,今でも診療記録本文には甲状腺K,K性胸膜炎,M検索などなど,漢字と混ぜた表記もよく見かける。

かるち

 K付き言葉の一部には膵癌をPanK(パンケー),食道癌をEsoK(エソケー)などとする変異形がある。臓器の略称アルファベットを日本語式に発音した結果がピーとかイーとかの長音になる場合,それにケーが続くと長音の連続で間延びして,語呂が悪いから生じたものだろう。

 さてさて,癌の俗称や略称はK付き言葉以外にもいろいろある。その中で舌癌Zungenkrebsをツンクレ,子宮癌Uteruskrebsをウテクレなどとする呼び方は,低俗な響きがありお勧めできない。よい子は絶対に真似しないようにしましょう。その他にカルツィ(チ)ノーマを縮めた「カルチ」も聞くことがある。例えばある先生が亡くなったお父さんを回顧して,「親爺はプロスタータのカルチになりましてね,見つかった時にはクノッヘンにメタが来ていてマハトロースでした」。前立腺癌が骨転移して,当時としてはなすすべがなかった状態を表現したものだ。Knochenは整形外科特集でもお話ししたように骨,machtlosは「無力な」の意味の形容詞。もちろん現在では内分泌療法などにより必ずしも手詰まりではない。

マリリンモンロー

 これまでに見聞きした悪性腫瘍のあだ名の中で個人的に最も好きなものは,悪性リンパ腫malignant lymphomaのマリリンだ。治療に反応して消えていく彼女にかける言葉はもちろん,“No return!”(帰ってくるな,つまり再発してくれるなよ)。知っている人には言うだけ野暮だが,Marilyn Monroeは半世紀前に活躍したアメリカの大映画女優。「寝る時はシャネルの5番(香水の名前)しか着けてないの」などという刺激的な発言や,ケネディ大統領との恋愛の噂でも有名だった。代表作のひとつがRiver of No Return(1954年の作品;邦題は『帰らざる河』)。

横綱に遠慮した関脇

 ところで肝癌のことをLK(Leberkrebs)と略すことが日本で普及しなかった理由は何だろう。最初に考え付く動機は,肺癌との衝突の回避だ。人口当たりの罹患者数からいけば肝癌も5番目くらいに入るらしいが,死因として首位の肺癌のほうが話題に上る頻度はずっと高いので,いわば関脇が横綱に遠慮したというところ。もうひとつは医学的に同じ肝臓の腫瘍といっても由来が肝実質細胞か胆管細胞かで臨床像が大きく違うので,区別しようということではなかろうか。両方の理由が重なって,肝臓の悪性腫瘍の呼び名としてはhepatocellular carcinoma,cholangiocellular carcinomaそれぞれの略であるHCCとCCCが広まったのだろう,と筆者は推定している。

 さて,癌特集の最後は闘病の心境を詠(うた)った名句で締めくくりたい。

おい癌め 酌みかはさうぜ 秋の酒
(江國 滋)

すごい境地だなあ。酒の肴はしゃれを効かせて,蟹料理だったのだろうか。

つづく

次回予告
 この次は検査関連の用語について,いろいろと語ることにしよう。「ハルンはきれいだし,採血検査もワイセがちょっと増えているだけでファストオーベー」といわれたが,大丈夫なんだろうか。


D・ゲンゴスキー
本名 御前 隆(みさき たかし)。1979年京都大学医学部卒業。同大学放射線核医学科勤務などを経て現職は天理よろづ相談所病院RIセンター部長。京都大学医学部臨床教授。専門は核医学。以前から言語現象全般に興味を持っていたが,最近は医療業界の社会的方言が特に気になっている。