医学界新聞

 

【対談】
理学療法士とことば,logos


奈良 勲氏(神戸学院大学/総合リハビリテーション学部教授)
内山 靖氏(群馬大学医学部保健学科教授)


専門領域を修学する過程は,専門用語を理解・認識する過程そのものである
――奈良勲氏
ことばを厳密に扱うことは専門職に不可欠な要件の一つである
――内山靖氏

(いずれも『理学療法学事典』序文より)

 理学療法士の誕生から40年を迎える今年,『理学療法学事典』が誕生した。国際的にも類をみない理学療法学に特化した事典であり,理学療法(学)用語の共通理解,学問領域の確立が期待される。本紙では,監修の奈良氏と,編者の内山氏の対談を企画。ことばを学ぶことの意義に始まり,「理学療法の可能性」に話題が及んだ。


ことばは医療行為の一部である

内山 今回,「理学療法士とことば,logos」をテーマにお話しする機会をいただきました。奈良さんは,もともと哲学や詩に関連してことばに対する関心は高かったようですが,『理学療法の本質を問う』(医学書院)のなかで,アメリカ留学中の失語症的体験や,臨床における無言のセラピーの試行を通して,“ことば”を一層大切にされるようになったと書かれていますね。

奈良 そうですね。『理学療法ジャーナル』の前身である『理学療法・作業療法』にも「臨床におけることば〈のリスク〉――哲学的リハビリテーション人間学の視点から」(1977)という論文を書いたことがあります。あるとき気づいたのですが,どこかで事故があるとテレビやラジオのアナウンサーは“怪我をした方々は,現在○○病院で手当てを受けています”という。“治療を受けています”という表現は少ないですね。

 「治療」にあたる英語はtreatmentで――therapyという英語もありますが,これはphysical therapyなど特定の手段が前に付くときに使います――,treatには手当て,処置,取り扱いなどの意味があります。つまり,treatmentは単なる医療行為だけでなく,「患部に手を当てていたわる」という基本姿勢,対象者への気くばりを内包するものなのです。

 私たち理学療法士の介入も,基本的にはまさしくtreatmentです。そしてtreatmentにおいては,ことばを通じて人間関係を構築しています。いかにして,対象者とコミュニケーションをとりながら,勇気づけ,人間に潜在する生きる力,自然治癒力を活性化するかというときに,治療的介入を行うだけに留まらず,誠意のあることばを交えることで,さらに総体的効果が得られるでしょう。一方的な働きかけではなく,いわば社交ダンスみたいなもので,“いっしょに治していきましょう”という姿勢が大切になります。これは,いわゆるnarrative based medicineであり,対象者との会話に留まらず,対話することが重要なことから,「ことばは医療行為の一部である」といえます。近年では,理学療法士の業務範囲も保健・医療・福祉領域に拡大されていますので,ことばは,それぞれのフィールドにおける行為・業務の一部といえます。

科学性とアート性

内山 医療現場では,“ムンテラ”(独語:Mund Therapies)ということばがよく使われます。これは本来,一方向的な説明や告知ではなく,説明と同意を含めたセラピーを意味しています。この場合,コミュニケーションの媒体として平易で正確な言語表現がきわめて重要となります。最近の医療系教育においては,知識ベースの教育媒体は充実し,学生の知識も豊富になっています。これは,理学療法現場でも例外ではありません。

 一方,社会が求める医療職とは何かと考えた場合には,対象者の訴えから気がかりなことを聴く姿勢が重要だと思います。医療系教育のなかでも対象者への共感的態度の涵養とともに,コミュニケーションスキルや問題解決能力を含めた実践能力を修得するために教育課程が工夫されています。

 理学療法学教育の現場でも,PBL(Problem Based Learning;問題基盤型学習)を支援するための講義・演習を推進し,基本的な臨床技能を高めるためにOSCE(Objective Structured Clinical Examination;客観的臨床能力試験,通称「オスキー」)が取り入れられるようになりました。奈良さんは,次世代の人たちに理学療法学を教える際,どんな工夫をされていますか。

奈良 医療を含む保健・福祉に関与するうえで知識や理論は大切です。しかし,知識と理論は対象者に提供するものではない。それらの理解に基づいた,技能・技術を提供することが究極的な目標です。私が新入生にいつも伝えていることは,「諸君は,理学療法士としての能力は現時点でゼロだけど,4年間かけて最小限の技術・技能は身につけなきゃいけない。それは知識や理論をバックグラウンドにしたものだよ」ということです。

 基礎知識を教授する際には実例と関連付けて,その重要性を学生に認識してもらうことが大事です。私が勤務していた金沢大学や広島大学には附属病院や,近辺に実習施設もありました。そこでは,教員が対象者に検査・測定,評価,治療を行う場面を学生が見学するという取り組みもしていました。教員が臨床を行っている場面を実際に見てもらうわけです。講義と臨床の場面で,教員の言動に不一致があってはいけません。そのへんを十分心がけてきたつもりです。

内山 知識と技術の融合について,オーストラリアや北米では,クリニカル・リーズニング(clinical reasoning),クリニカル・ディシジョンメーキング(clinical decision making)など,臨床的な推論,意思決定のプロセスを修得することが医療専門職にとって非常に重要な位置づけであるといわれています。世界理学療法連盟の学術大会などに出席しましても,これらに関連する演題が発表されたり,シンポジウムが組まれていたりします。

 日本でも,クリニカル・リーズニングということばは使われるようになってきましたが,講義や臨床場面で意識してそのスキルを学習するところまでは至っていないように思います。これは今後,もっと意識的かつ体系的に行っていかなければいけない課題ではないかと思っています。また,日本の学生は,言語表現を通した他者との積極的な討議や意見交換がいくぶん苦手なため,コミュニケーション技法についても教育課程のなかで組織的に実践していく必要があると考えています。

奈良 それについて2つの側面からお話ししたいと思います。まず,大学での教養教育のあり方についてです。教養教育というのは,“教養を身につける”あるいは“知識を増やす”ということだけではなくて,専門教育に関連付けた内容であっていいと思います。

 人文・社会・自然科学的思考能力を培うことは,まさしく隣接学際領域について有機的,かつ総合的にリーズニングすることを学ぶことです。リーズニングの基礎能力を身につけることによって,問題解決能力が向上する。それは当然ながらコミュニケーション能力にもつながっていくということです。

 これは別の表現をすれば,科学性とアート性です。もちろんその基軸になるのは,科学あるいは学問としての理学療法学ですが,現場では同じ脳血管障害の対象者でも一人ひとり異なる症状があり,社会的背景や性格もさまざま,すべての対象者は,“only one”なのです。つまり,それぞれの個体差,個性,固有の症状などに合わせて実践的理学療法を創意工夫することが求められますから,アート性が必要なのです。

内山 たしかに,アート性がないと,理学療法・リハビリテーションに求められる個別性に対応できませんね。

奈良 アート性を説明する際に私が比喩的に用いるのは,種々のアートで必要になる「素材」ということばです。対象者の自然治癒能力や潜在能力などを,便宜上「素材」と呼んでいます。そして,理学療法士が介入した帰結として“真善美”を創造し,対象者自身がそれに満足もしくは喜びを感じることであると説明しています。

 アート性を醸し出す作品には,“美しい!”という感動を呼び起こすような魅力があります。ただ絵を描けば,あるいは理学療法を行えば,すべてがアートであるというわけではありません。対象者が納得し,満足することに加えて,周囲の人々の理解が得られることも大切な要素だと思います。

「はじめに,ことばありき」

内山 問題点を共有したり,コミュニケーションを深めたりするには,ことばの定義づけが重要になってきます。いま「知識」や「アート性」について話すなかでも,互いにその意味を確認しながら話を進めていかないと誤解を招きます。理学療法学とそれぞれのフィールドにおける実践的理学療法の発展においても,使われている用語をひとつずつ厳密に規定して,標準化していく必要があります。

 私が理学療法の世界に入りまして,解剖学・生理学から臨床で使われる用語まで,いろいろなことばを学んできました。私自身の専門である「姿勢調節」では,「身体のふらつきがある」「体が不安定である」などの現象を表現する用語が混沌とした状態にあり,どのように区分し,整理したらよいのかを考えてきました。

 あるとき『理学療法ジャーナル』に,バランスについて解説するようにとの依頼を受けまして,日本のいろいろな用語集を調べてみましたが,医学において「バランス」ということばはどこにも出てきません。しかし,理学療法を捉えるときには,やはりバランスという概念が非常にわかりやすく,国際的には「バランス・ディスオーダー=バランス障害」ということばが,たびたび使われていて,学術大会においてそのセクションがあるくらいにポピュラーなことばです。

 また,奈良さんが大会長を務められた第13回世界理学療法連盟国際学術大会(1999年,横浜)は,テーマを「Bridging Cultures:文化を超えて」と題して開催されました。この学術大会を契機に,ことばの共有化,標準化が重要であると強く認識した次第です。

奈良 聖書のヨハネ伝第1章に「はじめに,ことばありき」という文言があって,これはどういうことだろうと考えたことがあります。私なりに調べてみてわかったのは,logosというギリシャ語の語意は“ことば”“こころ”であり,“理論・論理”という意味もあります。例えば,physiology,biologyなど,語尾にlogyが付いていますが,これは,論理的に体系化されている学問分野であるという意味でしょう。ことばがなければ,コミュニケーションがとれないばかりか,思考や論理の体系化もできないのです。

 ことばには,具体的なものの名称から,愛とか憎しみとか,抽象的な事象,あるいは,星を見つけたらそれらに名称をつけるということもあります。まさしく,ことばを自分のものにしていくという過程は,人間が現実世界に存在するもろもろの物質・物体や事象・現象などを認知・認識していく過程といっしょだと思います。ですから,口述や文章表現などに際し,私たちのことばと現実世界の認知・認識が乖離しているとすれば,お互いのこころに響くことは希薄になると思います。

■進化することばと理学療法の可能性

40年の歴史が生んだ『理学療法学事典』

内山 今回,医学書院から『理学療法学事典』が発刊の運びとなりました。奈良さんは監修者の序のなかで,「特定の専門領域を修学する過程は,特定の専門用語を理解・認識する過程そのものである」と書かれていますね。

奈良 情報や知識を集大成していくうえで,基盤となるのは用語です。日本の理学療法の歴史は40年となり,『理学療法ジャーナル』では関連用語を説明する「1ページ講座」が続いていますし,用語集という形態で専門用語が解説された単行本はありますが,理学療法学に特化した事典となると,日本で初めてのことです。

 そういう意味でも,今回,事典を発刊できたことは,理学療法界の40年の歴史が生んだ,ひとつの成果だと思います。時代背景からたまたま,内山さんや私がこの仕事に関わるチャンスを与えられましたが,理学療法界全体で喜んでいいことだと思います。

内山 1999年の世界理学療法連盟国際学術大会後に事典の構想をはじめ,6年ほどで発刊できました。理学療法学を構築するときに,どのような関連領域の用語を収集し,選択すればいいのかは,かなり時間をかけて議論を重ねました。医学,生物学はもちろんですけれども,工学や教育学,社会福祉学や情報科学など,幅広い学問を土台として理学療法学が成り立っていることを改めて感じました。

 それともうひとつ,6年間のあいだに理学療法現場を取り巻く環境も変わりました。大きな出来事としては,2000年に介護保険制度が始まり,2001年には国際生活機能分類がWHO総会で採択されました。他のもろもろの用語の追加や修正にも可能な限り対応しましたが,最後の校正段階にきても「現状では,この用語の使われ方は変わってきているのでは」「他の用語も入れたほうがよかったのでは」と迷うことがありました。

奈良 私たちはことばをコミュニケーションの手段に使うだけではなくて,思考のツール,手段としても利用しています。ですから,人類が進化してきたのと同様に,ことばも進化しています。

 そして,ことばの進化は専門領域についてもいえることですよね。さまざまな事象や現象から新たな発見を繰り返すことで,ことばも進化しています。しかし,ことばがたくさん出てくるにつれ,それぞれが勝手に解釈されるようになります。それでは専門領域でのコミュニケーションが成り立たないとか誤解を招くので,専門用語についてお互いに共通の認識を持てるように,整理していく必要があります。

内山 まさに“ことばは生き物”であって,その変わらない本質を捉えるということと,変わっていく部分にすばやく対応するということが,これからの「理学療法の可能性」ということを考えていくうえでも,非常に重要ではないかと思っています。

奈良 普遍的なものは,専門領域に関係なく存続するものです。そして,斬新なもの,革新的なものもあるのですが,それらが普遍的なものとして残っていくパーセンテージは,きわめて低い。例えば,バッハは普遍的な音楽のひとつですが,流行歌などはしばらくの間存続するけれども,いつの間にか消えていくものがほとんどです。ことばにも,“流行語”があるのと同じです。ですから,事典の編集にあたっても,普遍的なものはいいとして,いい意味でも悪い意味でも変わっていくものについては,整理することがたいへん難しいですね。

変わらないものと変わるもの
双方を見極める“叡智”

奈良 内山さんは,第41回日本理学療法学術大会(5月25-27日,グリーンドーム前橋)の大会長を務めますね。メインテーマが,「理学療法の可能性」ということですが,今回なぜこのテーマを取り上げたのですか。

内山 このテーマを取り上げるにあたって考えたのは,「対象者にとってよりよい理学療法とは何であるかを追求していくことが,専門職のもっとも重要な価値であろう」ということでした。

 協会員の平均年齢は30歳前後のたいへん若い集団で,理学療法の対象者となる方々の中には,私たちの両親よりも人生経験豊富な方がたくさんいらっしゃいます。理学療法士自身が研鑽し,関連職種の中で実践的理学療法をどう捉え,保健・医療・福祉の枠組みの中にどのような適用事例があるのかということを考えていく必要があるだろうと思っています。

奈良 「理学療法の可能性」ということですが,理学療法士の介入の帰結としては,対象者の可能性(=ポテンシャリティ)をいかに実際的な生活能力として具現化していくかが期待されるわけです。「人間の可能性を,活動を通じていかに能力に変換して,社会参加水準を高めるか」という点において,教育と理学療法・リハビリテーションでの方法論は異なります。しかし,双方の根本的中身はいっしょだと思います。

 そして,教育において先ほど内山さんもいわれたPBLが重要であるのと同じく,理学療法・リハビリテーションにおいても,対象者自身がいかに主体的に自分自身の可能性を能力に変換していくかということを,総合的に支援することが重要となります。

内山 educateというのは「能力を引き出す」という意味ですしね。最近,ともすると学術大会というのは,著名な講師の講演を聴くだけに終始する傾向が強いのですが,学術大会の本質は一般演題にあると私は考えています。小規模のスタディであっても,日々の実践的理学療法のなかで疑問に思い,仮説を立て,まとめたものを,ディスカッションを主体としてお互いの意見を引き出させるかたちにしたいと思っています。

奈良 研修会や講習会は,多少一方的になってもやむをえないと思いますが,学術大会では参加している方々が,日々の成果を公表し,情報交換し,議論をして,お互いが学びあうことを主な目的としていますね。これはeducationにも通じるところがあります。私も,学術大会では一般演題の発表者が,そして教育機関では学生が主役であると思っています。

内山 私が好きなことばに,「変えられるものを変える“勇気”と,変わらないものを受け容れる“こころの静けさ”と,そして,双方を見極める“叡智”を持つこと」というフレーズがあります。このような原点から第41回日本理学療法学術大会では,「理学療法の可能性」を追求していきたいと思っています。

奈良 学術大会を開催するのは,いろいろたいへんですが,“勇気”,“こころの静けさ”,そして“叡智”を発動されて,成功することを祈念しています。

内山 本日は,どうもありがとうございました。

日本の理学療法 40年の歩み
1963年 国立療養所東京病院附属リハビリテーション学院が開設⇒日本初の理学療法士養成開始
1965年 「理学療法士及び作業療法士法」公布
1966年 第1回理学療法士・作業療法士国家試験施行⇒183人の理学療法士が誕生
日本理学療法士協会設立
1967年 『理学療法と作業療法』誌創刊(医学書院,協会準機関誌)
1972年 日本理学療法士協会が社団法人として認可される
1974年 世界理学療法連盟(WCPT)の会員国となる
『臨床理学療法』誌創刊(協会機関誌,84年に『理学療法学』と改名)
1979年 金沢大学医療技術短期大学部開設⇒短期大学での理学療法学教育が実現
1990年 日本理学療法士協会が日本学術会議の会員に⇒「学術研究団体」として認可
1992年 広島大学医学部保健学科開設⇒4年制大学での理学療法学教育が実現
1999年 第13回世界理学療法連盟国際学術大会(大会長:奈良勲氏)を横浜で開催
2005年現在で養成校は183校,入学定員8967人。このうち,4年制大学は42校,1学年の定員は1630人と全体の18%を占めている。大学院博士(後期)課程は11校,大学院修士(博士前期)課程は18校。現在,4万人を超える有資格者が活躍している。

(2006年3月収録)


奈良勲氏(神戸学院大総合リハビリテーション学部教授・学部長/広島大名誉教授)
1964年鹿児島大教育学部卒。69年Loma Linda大理学療法学部卒。アメリカで臨床経験後に帰国し,三愛会伊藤病院,有馬温泉病院で勤務。金沢大,広島大を経て2005年より現職。博士(医学)。1989年より日本理学療法士協会長を14年間務め,専門領域研究会を含む生涯学習システムの構築,4年制大学や大学院における理学療法学教育の実現など,多くの功績を残す。

内山靖氏(群馬大医学部保健学科教授)
1985年国立療養所箱根病院附属リハビリテーション学院卒。北里大・研究所の病院勤務を経て,2001年から現職。博士(工学)。専門は理学療法学,神経症候障害学・平衡神経科学。現在,日本理学療法士協会理事・社会局長,世界理学療法連盟代理理事,日本健康行動科学会常任理事,理学療法科学学会理事,センソリーリハビリテーション研究会会長などを務める。第41回日本理学療法学術大会大会長。