医学界新聞

 

連載
臨床医学航海術

第4回 現代医療のパラダイム・シフト(4)

田中和豊(済生会福岡総合病院臨床教育部部長)


前回よりつづく

 臨床医学は大きな海に例えることができる。その海を航海することは至難の業である。吹きすさぶ嵐,荒れ狂う波,轟く雷……その航路は決して穏やかではない。そしてさらに現在この大海原には大きな変革が起こっている。この連載では,現在この大海原に起こっている変革を解説し,それに対して医学生や研修医はどのような準備をすれば,より安全に臨床医学の大海を航海できるのかを示したい。


 現代医療のパラダイム・シフトとして,今回は,「各国主義からGlobalizationの時代へ」と「画一化からtailor-madeの時代へ」という変化を取り上げたい。

各国主義からGlobalizationの時代へ

 現代社会はコンピュータやインターネットなどのIT(情報技術)産業の普及に伴って高度情報化社会へと変容した。中国に「水を治めるものは天下を治める」ということわざがあるが,現在では「情報」という「水」を制するものが「時代」を制するとまで言われている。

 医療の世界でも同様に,多くの疾患のガイドラインなどがweb上で閲覧可能になった。このような変化に伴って,より新しい医学知識がより多くの人々により迅速に普及するようになった。今までは,新しい医学知識は印刷物上の活字,あるいは,大学教授などの専門家の講義や講演などを通してだけしか普及されなかった。しかし,この高度情報化社会では,専門書や専門家を通じなくても,いつでも誰でもインターネットを通じて専門知識にアクセスできるようになったのである。

 古代には文字は亀の甲・獣の骨・石・粘土板・木片などに記されていた。その後,紀元前2500年頃エジプトでパピルスが発明されて,文字は紙に記録されるようになった。しかし,パピルスは巻物にはなったが,製本には適さなかったために文字の記述はそれ以後羊皮紙にとって代わられた。ところが,1439年にグーテンベルクが発明した鉛鋳造活字による活版印刷によって写本から印刷本の時代に変換し,情報は飛躍的に普及した。そして,約500年続いたこのグーテンベルクの活版印刷に劇的な進歩をもたらしたのが,1980年代に開発されたDTP(Desk Top Publishing)という技術である。このDTPの技術により,データは活字や紙という媒介を通すことに加えて,デジタル・データとしても保存可能になったのである。そして,この新しい技術の発展に伴って現在ではさまざまな情報が「デジタル・アーカイブ」として保存されるようになってきている。

 このように情報技術の保存や伝播方法が飛躍的に進歩したのに伴って,医療の世界でもそれまでは各医師独自,各病院独自,あるいは,ある国独自に行っていた医療が,次第に「標準化」されつつある。そして,その「標準化」の元になっているのが欧米の医療である。われわれの生活が「欧米化」されたように医療も「欧米化」という名の「標準化」が行われつつあるのである。

 したがって,このようなGlobalizationの時代に例えば「採血は手袋などはめずに素手でするもの」などと言うのは,universal precautionを無視した,時代に逆行した行為である。また,「ここは日本だからアメリカの医療を持ち込むな!」などというのも典型的な偏狭なセクショナリズムの人間の発言である。もちろん筆者は日本の医療にもよい点は数多くあると考えている。

 ただ,頭ごなしに「ここは日本だからアメリカの医療は持ち込むな!」とか,逆に「アメリカの医療は絶対だ!」という議論は極端であると言っているのである。

 大切なのはこのようなGlobalizationの波に乗って医療を世界標準にしながら,日本の医療のよい点を発展させていくことである。

画一化からtailor-madeの時代へ

 このGlobalizationという世界全体の「標準化」の波の他に,各個人の医療では逆にtailor-made医療が行われるようになってきている。このtailor-made医療とは,ファッションの嗜好が個人個人によって異なるように,患者各個人の利益が最高になるようにその患者にふさわしい医療を選択するように医療を「個別化」することである。

 例えば癌に対する抗癌剤の反応は同じ癌の患者でも効きやすい人と効きにくい人がいることが知られている。この原因は患者自身の遺伝子によるということが判明している。つまり,傷病や薬剤に対する個体の反応は,生物種の間の個体間の遺伝情報の多様性(これを遺伝子多型と呼ぶ)によって決定されているのである。そして,この遺伝子多型の原因となっているのが,1塩基遺伝子多型性SNP(スニップ:Single Nucleotide Polymorphism)なのである。したがって,患者個人個人のSNPを解析すればその患者個人にふさわしい最適の治療法を選択できるはずである。このように遺伝子情報解析を用いて癌患者に最も効果のある抗癌剤を選択する治療法はこのtailor-made医療の例である。だから,患者を診る際にもただ単に画一的な医療を行うのではなく,それぞれの患者に適した「個別化」された医療を行うことが望まれている。つまり,「個別化された標準化医療」を行うのである。

 このように相反することを同時に行うのは矛盾すると言われるかもしれない。しかし,この2つの方向性は「帰納」と「演繹」,あるいは「分析」と「総合」という基本的な論理の方向性なのである。イギリス経験論と大陸合理論に始まる「帰納」と「演繹」という2つの論理的思考形式は,現代医療においても「Globalization」と「tailor-made医療」という2つの波となって存在しているのである。

医療のパラダイム・シフトの諸相
・基礎医学から臨床医学の時代へ
・疾患志向型から問題解決型の時代へ
・専門医から総合医の時代へ
・単純系から複雑系の時代へ
・確実性から不確実性の時代へ
・各国主義からGlobalizationの時代へ
・画一化からtailor-madeの時代へ

・医師中心から患者中心の時代へ
・教育者中心から学習者中心の時代へ

次回につづく

参考文献
1)柏倉康夫:情報化社会研究-メディアの発展と社会,改訂版(放送大学大学院教材,2005)


田中和豊
1994年筑波大卒。横須賀米海軍病院インターン,聖路加国際病院外科系研修医,ニューヨーク市ベスイスラエル病院内科レジデント,聖路加国際病院救命救急センター,国立国際医療センター救急部を経て,2004年済生会福岡総合病院救急部,05年より現職。主著に『問題解決型救急初期診療』(医学書院刊)。