医学界新聞

 

名郷直樹の研修センター長日記

28R

流れを止めて

名郷直樹   地域医療振興協会 地域医療研修センター長
東京北社会保険病院
横須賀市立うわまち病院
市立伊東市民病院臨床研修センター長


前回2678号

●月×▽日

 3つ目のローテートが始まった。はや,というか,もう,というか,9か月目。

「今度の科はどう?」

「内科なんですけど,いきなり10名近くの担当になって,どの患者さんが何の病気だったかさえ,まだよく覚えられないんですよ」

 10名の患者さん。それぞれに入院のもとになった病気がある。それを覚えることは確かに基本中の基本,もっとも大事なことのひとつだ。しかし,病気を診ずに人を診なさい。そういうじゃないか。何の病気だったかわからないという前に,どんな患者さんだか,まだわからないんです,と言いなさい。そんなふうに研修医にからんでみてもいいのだけれど。それじゃあ,ただの研修医いじめか。

 何がどこでどう繋がっているのかわからないが,唐突に,ある映画の1シーンがよみがえる。20年ほど前,『さらば箱舟』という映画を見た。その中での1シーンだ。主人公の夫婦が,ものの名前を忘れていく。どんどん忘れていくので,周りにあるものに,片っ端から紙に名前を書いて貼り付けていく。それでもどんどん忘れていくから,最後には周りにあるすべてのものに名前が貼り付けられている。延々気になっていたシーンが,今,研修医の質問とともによみがえる。なーんだ。同じじゃないか。

 この患者は,心不全,この患者は肺炎,この患者は脳卒中。忘れないように名札をつけている。実は一度も知ったことがない。これから新たに知ることがすべての情報で,そのうちはっきりとわかる唯一のことが,病名だったりする。

 人は自分が言葉を使っていると思っているかもしれないが,実は言葉に使われている。医者だって例外じゃない。医学を勉強して,医者が診断しているなんて思っているかもしれないが,病名のほうに使われているのが実態じゃないか。

 病名がわからない恐怖,それに耐え切れず,病名の前に,ひれ伏してしまう。名前を忘れていくと,忘れた名前を貼り付けずにはいられない。名前を忘れたままで,それまでどおり生活を続けられる人はいないだろう。それと同じように,病名を忘れたまま医者を続けるなんてのもほとんど無理だ。病気を診ずに病人を,なんて簡単に言うが,とんでもない困難を乗り越えなくてはいけない。

 この目の前にある,4本足の上に平らな板が載っているもの。机か。机だ。この部屋には,11個の机がある。全部机。全部を机と呼んで,得たものと,失ったもの。この机を机と呼んだって,何もこの机のことについて語ったわけじゃない。ただ,逆に説明を積み重ねていけば,「この」机について語り尽くすことができるのか。そう問えば,それもまた無理な話だ。それが無理な話なら,病気を診ずに人を診なさいというのも,相当無理な話ではないか。逆に,机という名前で呼ぶことの,なんと便利なことか。ひょっとしたら中途半端に病人を診てる場合じゃない。まず病気を診なさい。

 余計な説明が,かえって大事なことをわかりにくくする。よくあることだ。これは机だ。それ以上に何が必要か。それ以上は余計なお世話じゃないか。この患者は心不全,この患者は肺炎,この患者は脳卒中。それでいいじゃないか。

 言葉の前にひれ伏すことは,実はかなり役立つことだ。役立たなければひれ伏すことなどない。それなりの利益がある。流れを止めて,言葉で固定する。実はめちゃくちゃ役に立つ。流れに求めるなんて,調子のいいこと書いたけど,言葉なしで,何ができるか。

 患者さんに対して,あなたはただの病気です,というのと,これこれこんな背景で,これこれこんな家庭を持っていて,こんな地域に住んでいることが,こんなふうに病気に関係している,患者です,というのとどちらがどうなのだ。ましてや流れに求めるなんて。病気を診ずに人を診なさいというが,本当にそうか。実は相当疑わしい。あなたが病気なのではなくて,あなたの胃が病気なのです。だから胃を取ってしまえばいいんですよ。患者の立場でも同じだ。悪いとこだけ治してくれればいいんです。そしてむしろそういう視点で,今の医学は発展してきた。それはそれで決して単なる過去ではない。今でも大事なことだ。

「どんな病気かまずしっかり覚えないと始まらないよね。病人を診ずに,まず病気を診なさい,これが基本だ」

「またなんかわざと逆のことを言って。それギャグですか?」

「いや,あなたが言ったとおりのことだ。まず病名を覚えないと,そう言ったとおりだ。人がわかるには時間がかかる」

「そういえば,自分でそんなことを言っていたんですね。病人を知るってことの一部が,病気を知るってことですか。そう言ってみると,あまりに当たり前のことですが」

 流れを止めて,考えるのもまた重要で,あまりにそれに慣れてしまったところに落とし穴がある。ただ流れを止めて考えられなければ,何ひとつ理解できることはないかもしれない。

 流れを止める,言葉にする。流れに求めるなんて,ふやけた空想か。ただ本当は,流れは止まらないし,流れに求めることもできない。言葉でしか言えない。ということは,言葉がすべてということとは反対のことだ。言葉では言えないことがたくさんあるということ。ただ言えない以上言えない。しかし,言えないと言える以上,言えない何かがあることはつかめている。そして,研修医のみんなは,たぶん,それを,確かにつかんでいる。私自身が,頭でわかって,からだでわかっていないことを,彼らは,容易にからだで学んでいく。

「とりあえず患者さんに張り付いて,いろいろ話を聞くつもりです。ちょっと病棟へ行ってきます」


名郷直樹

1986年自治医大卒。88年愛知県作手村で僻地診療所医療に従事。92年母校に戻り疫学研究。
95年作手村に復帰し診療所長。僻地でのEBM実践で知られ著書多数。2003年より現職。

本連載はフィクションであり,実在する人物,団体,施設とは関係がありません。