医学界新聞

 

【対談】

英語にいかに向き合うか



高階經和氏
(臨床心臓病学教育研究会理事長・高階国際クリニック院長)
T. J. オブライエン氏
(大阪大谷大学英文学部教授)


 この対談は医学教育に造詣が深い高階經和氏が,十数年来の友人である英国人の英語教授・オブライエン(T. J. O'Brien)氏に,日本人の英語教育について話を聞いたものである。医学分野でも今後ますます国際化が進むなか,医学生や,若い研修医が英語コンプレックスをなくし,21世の医療を担っていくにあたっての課題について,さまざまな視点から意見が交わされた。対談は2006年1月19日,大阪市にある高階国際クリニック会議室において英語で行われ,高階經和氏が日本語に翻訳した。


■英語を学ぶ前に学ぶべきこと

いかに学生を動機づけるか

高階 本日は長年日本での英語教育に携わってこられたオブライエン先生にお越しいただき,英語を学ぶ意味や,学生への動機づけといったお話を伺いたいと思います。

 国際化が進む中で留学や英語学習に関心を持つ学生が増える一方で,英語を学ぶ動機づけを得られていない学生も少なくありません。また,国際的な舞台では,どうしても日本人は英語への自信のなさからか,消極的になる側面があるようです。

オブライエン(以下,O) 私は,医学生の皆さんに国際人としての意識を持ってもらいたいと思いますし,英語はそのための手段だと考えています。ただ,学生にそうした意識を持ってもらう動機づけについては非常に難しい問題だと思います。学生を動機づける「魔法の薬」はありません。私たちは学生を勇気づけることができる一方で,時に学生たちのやる気をなくさせてしまうことだってあるのです。

高階 学生のやる気を引き出すのは教師の責任だとお考えでしょうか?

O もし学生がやる気をなくしてしまえば,それは教育目標や,授業内容といった教育システムの問題,あるいは教育スタッフの問題ということも考えなければいけないでしょう。ただ,教育スタッフに問題があったとしても,彼らを再教育することは非常に難しい。もしそれができれば大学教育は画期的に変わるはずだと思っています。

高階 同感ですね。

O もう1点,教育にはボトムアップシステムとトップダウンシステムがありますが,日本はトップダウンに偏っていますね。これは国際的にみて,非常に特殊だと思います。

高階 日本では,教授が学生に向かって「コレをしろ,アレをしろ」と指図するということですね。世界の中ではきわめて異色ですよね。

O それはそれでよい方法だと思いますが(笑),欧米のボトムアップ型のシステムを日本でも取り入れたいといろいろ工夫をしてきました。これは個人的な考えですが,教師とは「庭師」のようなものだと私は思うのです。

高階 それはおもしろい考えですね。

O 種を播き,苗の育つ環境を作れば,自然に木は次第に大きくなってくるように,学生たちも育っていくのではないかと。

高階 土に水と栄養を与える,つまりは学生にとってよい環境を作るということですね。そういう意味で私は,学生の動機づけは教師の姿勢にかかっていると思っています。

英語学習と人間的成熟

O 私は1974年に日本に来ましたが,日本の語学教育には,当時から文法,単語,あるいは構文を重視する姿勢が伝統的に強くありました。その象徴が「英検」ですね。しかし,2002年になってから,文科省がヨーロッパやアメリカの語学教育を取り入れ,教育方法を変えはじめました。ただ,こうした変化は欧米では1970年のはじめのことですから,30年の開きがあると言えるでしょう。

高階 それはどのような変化なのか,ご解説いただけますでしょうか。

O 言葉はコミュニケーションのために使われるものです。言葉によって,私たちは相互に共感を得なければなりません。ですから,言葉を話すことは,文法の知識を追求するだけではなく,社会的訓練なのです。私が英語を教える場合,50%は文法や単語,熟語や文章などを教えますが,後の50%は社会性について教えることになります。どうやって人と話すのか,会話が進まなくなった時にどうすれば話を元に戻すことができるのか。もし私が冗談を言っても相手が笑ってくれなかったら,それはどこかが間違っているのです。その場合は初めから冗談をやり直します(笑)。

 そして,重要なことは,多くの学生は,日本語ですら,そうした社会的訓練が十分ではないということです。

高階 日本語でもできていませんか?

O そう思います。私のような外国人(native speaker)教師に課せられている仕事は,学生に社会性と英語を教えるということですが,私は日本人教師にはぜひ,学生たちに社会性を教えてほしいと思います。私たち教師は,「プレティーチャー」(pre-teacher)でなければならないということです。

高階 先生は医学部でも英語教育の講義を持たれたことがあると思いますが,そこでも事情は同じですか?

O 学生のすべてがやる気を持っているとは限りません。ある典型的な大学医学部だと思われる大学でのことですが,熱心にノートをとる学生はほんの一部で,多くの学生は教室の後ろの席に座って,講義も聞かず,中には寝ている学生もいました(笑)。

 医学部の学生については,特に社会性の問題は大きなことだと思います。医師は単なる資格ではなく,社会の中で役割を担う,社会人の1人なのですから。こうした学生がテストに合格し,医師となってしまうのは不幸なことだと思います。

「不完全コミュニケーション」の時代

高階 学生の社会性が低下している背景はなんでしょうか?

O イギリスでも,若い世代の言語コミュニケーション能力が低下していることが問題になっています。理由の1つはテレビですね。私がイギリスに住んでいた頃はテレビはありませんでしたが,今ではすべての家庭にあります。

高階 私が初めてテレビを見たのは54年に米国陸軍病院でインターンをしていた時でしたね。

O 私たちの世代はラッキーだったのだと思います。家庭で当たり前のように,皆で話ができたからです。今の子どもはテレビやゲームを通じて,相手の顔を見ずにコミュニケーションをしています。また,携帯電話は通信の道具としてはすばらしいと思いますが,これも「顔を合わさない会話」です。私はこれを,「不完全コミュニケーション」(incomplete communication)と呼んでいます。

 学生たちに1日に何通のメールを送るかと聞くと,40から50のメールを送るといいます。それはいわば,「コミュニケーションのかけら」を送っているに過ぎない。

高階 そうですね。

O これに対して,医師は実際に患者さんを診て「身体語」(body language)を理解せねばならないのです。

高階 その問題は私が72年に提唱した「3つの臨床の言葉」(Three clinical languages)という概念に通じますね。「日常語」(spoken language),「身体語」(body language),「臓器語」(organ language)を駆使しなければ,よい臨床医にはなれません。

O 最近の医師は患者さんの話を聞きません。私はこれを「積極的無関心」(positive listenless)と呼んでいます。医師は相手の話の「本音と建て前」を聞き分けなければいけない。これは本来,日本人が得意とするところだったはずなのですが,近頃では失われているように思います。患者さんの本音を聞けるよう,実際に何度も練習をして,はじめてその技術が身につき,社会性のある人間になるのです。

高階 英語の教育者であるオブライエン先生が,患者さんの話す言葉を表面的なものでないとおっしゃったことは,読者にとって,非常に示唆に富んだことだと思います。

 また今のお話は,現在日本の大病院で生じている電子カルテ導入の問題にもつながってくると思います。このシステムは確かに便利な側面を持っているのですが,患者さんにお話を伺うと,多くの方が,「先生の態度が冷たくなった。先生は机の上のコンピュータを眺めたきりで,私の方を向いて話をしてくれない。体を診ようともしないし,聴診器を当てようともしない」というのです。

 電子カルテは病院管理において必要不可欠となるかもしれませんが,そのことによって医師が器械に使われるようになり,人間的な触れ合いがなくなってくることが心配です。

O 「医療のマクドナルド化」ですね。マイクに向かってオーダーをして,出口で薬をもらう(笑)。

高階 まさにそのとおりです。私が非常に危惧していることの1つです。

■真の「国際人」となるために

いつ,海外に行くのか

高階 社会的成熟と,英語学習はリンクしていかなければいけないというお話だと思うのですが,ではどのようにそれを行っていくのかについてお話を伺えればと思います。

 最近の医学生の傾向としては,彼らの一部は非常に活動的で,夏休みなどを利用してアメリカや外国で4週間ほどの研修を受けようとしている人が増えてきているように感じます。彼らは日本より外国の医学教育を知りたいと考えているのです。

O それは私や高階先生がたどった道と同じですね。海外で勉強すると,自国とは異なる多くのことを学べます。私が日本に来たのも,イギリスにいてはわからない何かを学びたかったからです。もっとも私の場合はその後日本をすっかり気に入ってしまい,すでに30年以上,人生の半分を日本で過ごすことになりましたが。

 私は日本に来て,「二組の眼と心」(two sets of eyes & two sets of hearts)を持つことができました。そのように2つの視点を持つと,日本の社会についても好きだとか嫌いだといった単純な見方ではなく,より深い理解ができるようになりました。それが国際的な見方ということだと思います。

高階 外国に留学する時期には,学生,ある程度医師としての経験を積んでから,あるいは専門家として完成してからといった,大きく3つが考えられると思うのですが,先生はどのようにお考えでしょうか?

O 中学生,高校生では早すぎると思います。彼らのほとんどは日本語ですら十分に挨拶ができませんし,英語もまったくわからないため,ホームステイに行ってもコミュニケーションが取れず,精神的にストレスに陥ってしまうでしょう。

高階 そうですね。私もそういったケースを何度も見てきました。

O 短期のホームステイであれば大学1-2年,1年以上の留学であれば,3年生になってから始めるべきだと感じますね。外国を見て学ぶには,まず日本人としての自覚がいるのです。

国際感覚を身につけるために

高階 日本人の多くは恥ずかしがり屋で,誰かに意見を求められない限り,自分から話しだそうとしない傾向があります。特に海外に行った場合,彼らは自分の英語が得意でないため,外国人と英語で話すのを躊躇します。

 最近,オーストラリアでたまたま出会った夫妻に声をかけたところ,「あなた方は,私の目を見て話してくれた最初の日本人です。私は今までたくさんの日本人観光客に話しかけたが一度も私の目を見て話そうとしなかった」と言われたことがあります。日本人は英語に自信がないからそうした消極的な態度になるのだという私の説明に,彼らは「英語ができなくても恥ずかしく思う必要はないのに」と言っていましたね。

O なるほど。私が出会ったほとんどの日本人も,彼らが出会ったのと同じですね。例えば1人の日本人のビジネスマンがアメリカ人のビジネスマンに出会ったとします。アメリカ人が日本人の目を見て話しているのに,日本人はアメリカ人の鼻先や,口の周りを見て話をする。アメリカ人は気持ちが落ち着かないわけです。

高階 なるほど。それは気が付きませんでした。

O 日本人は視線を避けようとしますが,それをアメリカ人が見ると「きっとこの人は私に何か隠し事をしているに違いない」と思うわけです。日本人と欧米人の間にある,基本的な習慣の違いがコミュニケーション・ギャップを生み出しているということもあると思います。

高階 私は幸い,4年間アメリカに住んでいたこともあり,そういったギャップを感じなくて済んでいますね。

O 高階先生は例外でしょうね。先のビジネスマンの例にしても,国内的にはバランスの取れた人だったのでしょう。しかし,その人は国際的には訓練されていなかったということです。

高階 それは非常に重要なお話ですね。日本の医学生は,基本的に他学部の学生と同じで,高校時代ももちろん,大学に入ってからも国際的なマナーを身につける訓練を受けていません。また,医学部を卒業してからもみな横並びで同じ線路の上にいようとする。多くの国際会議に出ても日本人の学者がまるで発言しないとよく耳にするのはそのためでしょう。

O なるほど。それは国際的なトレーニングが欠けているからでしょうね。今大学で教えていても,日本では講義中の質問が少ないですね。海外で同じ講義をしたら,おそらく50%は質問の時間になると思います。

高階 日本人は人から質問されることを嫌いますね。私がアリゾナ大学で講義をする時も半分が質問の時間になりますね。その講義を通して活発なコミュニケーションが図れるのです。

道具としての英語

O 学生たちがそうした国際的なマナーを身につける,あるいはそうした意識を持つためにいちばん重要なことは,英語は国際化の切符ではない,ということを理解することです。

高階 どういうことでしょうか?

O 英語は国際化にいたる有効な手段ですが,「魔法の切符」ではありません。英語を勉強すればするほど,国際人への道は近づくでしょう。ただ,自分自身のことを国際的にも社会的にも活躍する人間であると自覚しておくことが重要です。そうでなければいくら英語を勉強しても国際感覚は身につかないと思います。

 日常の生活や人々の活動,社会,心理学や世界のニュースにも関心を持つべきですし,世界のビジネス,あるいは他の科学分野についても関心を持って欲しいと思います。

 そもそも,「英語」とは何でしょうか? 「TOEIC 900点」「英検1級」をめざして英語の読み書きや,ヒアリングを学ぶことは悪いことではありませんが,大切なのはその英語をどう使うかです。なぜなら英語は「語学」ではなく「道具」だからです。例えば,鋸や金槌,釘は道具であり,それらを用いれば家を建てることだって可能です。英語もそれと同じだと思うのです。

 日本でもヨーロッパでも,もともと語学教育に基本的に違いはありませんでした。外国語を学ぶことは技術や法律,あるいは医学を学ぶ1つの方法だったのです。しかし,日本の場合,英語を勉強することが自己目的化してしまったのではないでしょうか。

高階 英語はあくまで道具に過ぎないということですね。もっと世界に目を向けて社会の他の分野のことを勉強することが大切だと思います。私は医師になってから半世紀が過ぎましたが,いまだに経験したことがないことばかりです。いまでは心臓病学以外のことにも興味があります。

 では最後になりましたが,日本の医学生たちにメッセージをお願いします。

O 学生のエネルギーは凄いと思います。私は教育者とは,スポーツのコーチと似ていると思います。学生の才能を伸ばしてやることが,教育者の仕事です。

 また,日本の大学教授の先生方は,頭がよくて素晴らしい資格を持っておられると思いますが,これからの時代,大学教授は「各分野の専門家」という認識から「学問を紹介する教育者」という考えに変えていく必要があると思います。彼らの専門を学生に教え込むのではなく,学生に考えさせることが大切です。イギリスの大学は教授のために教育法の再教育コースを作っています。日本でも今後は,学生が大学のスタッフとともによりよい教育法を作り上げることができれば,エキサイティングなことだと思います。

高階 よくわかります。オブライエン先生,今日は本当にありがとうございました。


高階經和氏
臨床心臓病学教育研究会理事長。54年,神戸医大(現神戸大医学部)卒。58年より4年間米国チュレーン大医学部留学。淀川キリスト教病院循環器科長を経て69年高階クリニック(現高階国際クリニック)開設。クリニックで臨床医を務めるかたわら,85年まで神戸大医学部において医学英語・臨床心臓病学の教鞭をとる。ロングセラーである『心電図を学ぶ人のために(第4版)』『心電図道場』(いずれも医学書院)ほか,循環器,医学英語関連の著書多数。

T.J.オブライエン氏
大谷女子大教授・英語教育学。1948年英国シェフィールド生まれ。シェフィールド美大卒業後,リーズ大大学院においてTESOL(多言語話者への英語教育資格)修了。78年より,大谷女子大(現大阪大谷大)において英語教育に携わる。『Clearly Britain, Clearly Japan』『Bridge to College English』(いずれも南雲堂)など,英語教育関連著書多数。