医学界新聞

 

【寄稿】

私がMBA取得をめざす理由

飛田拓哉


 私は5年間勤めた聖路加国際病院を辞し,今夏より米国のビジネススクールに留学することを選んだ。ビジネススクールとは経営管理学を学ぶ場所で,具体的には,組織論・リーダーシップ・会計・財務・マーケティングなど経営と組織管理に必要な知識を身につけるとともに,世界各国から来たビジネスエリートたちが混ざり合うことでさまざまな価値観を身につける場所である。ビジネススクールを修了した者にはMaster of Business Administration(MBA)が学位として与えられる。

ビジネススクールの道を選ぶまで

 私が研修医2年目の頃,祖母が脳梗塞で倒れた。幸いなことに命に別状はなかったが,祖母は高次機能障害,つまり認知症になった。入院した病院は決して看護が十分とは言えず,その環境に祖父・母は大きなショックを受けていた。3つの会社の経営で多忙な身であるにもかかわらず,母は入院中の祖母を世話するため片道2時間の道を週に3往復せねばならなかった。

 私も何度かお見舞いに病院を訪れた。主治医の説明を受けるには平日の昼間に熱海に到着しなければならないが,当時の私の立場では,聖路加国際病院から離れることができるのは夜間・土日しかなかった。せめてCT・MRIだけでも見せてほしかったが,「主治医の意向」で適わなかった。自分の受け持ち患者さんのために,患者となった祖母を助けることができない,というのは何とも皮肉である。私が患者家族に求めてきた“無条件の献身”のために,いかに多くの社会的犠牲を家族は受け入れる必要があるのか,自身がその立場になって初めて気がついた。逆に,医療という仕事に求められる社会からの要請を私ははっきりと実感することができた。

 以来,医療が社会からの要請にどれだけ応えられるか,ということに心を砕いてきた。入院・通院というのは患者さんにとっては非日常であり,仕事があり,生活があり,家族がある。だから,仕事上の理由で入院中の患者さんがいったん外出したい,という希望があれば,多少の無理があったとしても極力かなえた。家族の都合で患者さんが入院できないときには,できる限り延期した。医学的にベストとは考えにくい治療であったとしても,本人・家族が病状とリスク・ベネフィットをきちんと理解していれば,患者さんの希望に従った。

 こうして「医療の社会化」とも言える考え方を私の中で涵養するにつれ,医療の世界ではいろいろな不合理を患者さんとその家族に強要していることに気がついた。なぜ来院する曜日で外来医が決まってしまうのか? 家族の介護にお嫁さんが強く関わることを当たり前とする風潮があるけれども,なぜそれまで築いたキャリアを犠牲にしなければならないのか? 翻って,医療の中でも役割分担がきちんとなされていないこと,そして効率の悪さ・システムの不備を個人的な努力で解決していることにも気がついた。医師3年目でチーフレジデントや病棟長を経験して,患者さんも医療従事者も努力しているのになぜか医療と社会がうまく結びつかない,そんなジレンマが私の中で大きくなっていった。どれだけ臨床医として優れていても,この矛盾を手際よく解決できないのではないかと思うようになった。

 その後,腎臓後期研修医を医師4年目のキャリアとして選んでいた私は,日本の社会・医療制度にも興味を持つようになった。次のキャリアとして,公衆衛生大学院,経営管理大学院のどちらかを選ぼうと思ったのはこの頃だった。最終的に経営管理を選んだ理由は3つある。まず,医療をお金儲けの道具にしないために,ビジネススクールで経営について学ぶことで自分がその「歯止め」になることができるから。次に,上手な医療組織の動かし方を知ることができれば,「社会にとってよい」医療を提供する近道になる,そのためには経済の仕組みと論理を学ぶ必要があると考えたから。最後に,社会へのインパクトを与えられる立場へより早く成長できる可能性が高いのは後者と考えたからである。

 しかし,こうして抱いた自分の夢も,実現するためには大変な努力が必要だった。5年目に入り,診療の傍ら,受験の準備を始めた。ペーパーテスト(TOEFL/GMAT)から,「これまでの人生であなたにとって最も重要なことを10ページ以内で述べよ」といったエッセーまで,いろいろな課題があった。診療と教育を続けながら試験の準備をするのは骨が折れたが,自分の夢を叶えるための一歩をなんとかこうして踏み出せたことに,聖路加国際病院の諸先生方・同僚・後輩,そして私に自由を与えてくれた家族に対して心より感謝している。

 これから2年間,米国でこれまでとまったく異なる分野の勉強を行うが,医療の一端を担える知識と経験を得られることをめざしていこうと思う。


飛田拓哉
2001年名大医学部卒。聖路加国際病院にて内科初期研修医,内科チーフレジデント,腎臓内科後期研修医。06年退職し,今夏より米国ビジネススクールへ留学予定。
連絡先private0000jp@yahoo.co.jp