医学界新聞

 

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第83回

ピル(医療と性と政治)(14)
教会(3)

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2679号よりつづく

〈前回までのあらすじ:1963年,法王ヨハネ23世は「人口・家族・出生についての法王委員会」を設置,ピルの使用を容認するか否かについて諮問した〉

守旧派の怒りと焦り

 信者を委員に入れ,婚姻と性についてその真率な意見を聞くなど,法王委員会での議論が,「避妊不容認」という,ローマ教会の長年の立場を見直す方向へと進むことに,教会内部の「守旧派」は危機感を強めた。  法王委員会の議論の方向を変えるべく,守旧派による巻き返しの先頭に立ったのが,法王ポール6世の側近,オタビアーニ枢機卿だった。オタビアーニは,「ローマ教会の警察官」役を自任していたが,「教会は永久不変であるべし」ということを信念としていたという。  64年6月に開かれた法王委員会で,「避妊不容認見直し」の意見が大勢を占めんとする形勢に業を煮やしたオタビアーニは,「持つべき子供の数は夫婦が決めるべきという意見は不愉快ですし,何世紀も,こんなことが言われたことはありません。私自身,12人兄弟の11番目でしたが,ベーカリー職人にすぎなかった父は,決して神の教えを疑ったことはありませんでした。どんなに生活が苦しくとも,子供の数を制限するなどということは考えもしなかったのです。教会が何世紀も間違えてきた,などということがあってもいいものでしょうか?」と発言したが,守旧派の怒りと焦りが象徴された言葉といってよいだろう。

優位に立った新思考派

 一方,「避妊不容認見直し」を主張する新思考派は,「疑わしい法に従う義務はない」とする原則を議論の根幹に据えた。聖書解釈を専門とする神学者の間でも「聖書は避妊を禁止していない」とする説が通説となっていたし(),聖職者の間でも避妊を容認するか否かについては意見が分かれている現実がある以上,「避妊については,教会が『疑わしい』決まりを押しつけるのではなく,個々の信者が自分の良心に従って決めればよい」とするのが,新思考派の立場だった。  これに対して,ずっと「避妊は地獄行きの『罪』」と信じ,信者にも説教し続けてきた守旧派の聖職者にとって,今さら「避妊をしてもよい」と立場を変えることは容易ではなかったし,何よりも,オタビアーニら守旧派の指導者にとって,教会の「権威」が損なわれることは承服しがたかった。66年4月,巻き返しを目指すオタビアーニは,法王委員会の委員を14人(すべて聖職者だった)増員して総計71人にすると同時に,自ら同委員会の議長に就任した。  しかし,オタビアーニらの懸命の努力にもかかわらず,避妊容認の流れを覆すことはできなかった。66年6月,法王委員会の委員のうち,15人の司教のみによる秘密投票が行われたが,「避妊は罪である」としたのは3人だけで,9人の司教が「罪ではない」と投票したのだった(3人は棄権)。  投票結果を受けて,「避妊を容認すべし」とする法王への報告書が作成されたが,「委員会報告書は1通だけ」という当初の取り決めに反して,オタビアーニらは「少数意見報告書」を作成,別個に法王に提出した。長年の教会の立場を変えるかどうか,決断はポール6世に委ねられることになったのだった。  法王による決定が発表されないまま,67年4月,法王委員会の報告書全文がメディアにリークされた。「信者はすべてを知る権利がある」と確信した聖職者によるリークだったが,「避妊容認」を巡って,ローマ教会内部に対立が存在することだけでなく,容認派が多数を占めている事実が,全世界の知るところとなったのだった。

旧来の立場を固持

 一方,この間も,オタビアーニら守旧派による法王説得は続いた。最終的に,守旧派の説得は成功するのだが,成功の決め手は,「前任の法王たちがしてきたことを否定する」ことに逡巡する,ポール6世の気持ちに働きかけたことにあったと言われている。  68年7月,「出生調節についての法王回勅『Humana Vitae』」が発表され,「避妊は罪である」とする旧来の立場を固持することが確認された。「出産調節を容認することは不倫と道徳性の低下を招来する」と,昔から,避妊普及に反対する人々が必ず持ち出す「『性の乱れ』に対する懸念」が,またしても強調されたのだった。

この項つづく

:膣外射精をしたオナンを神が罰したとする聖書のエピソードも,実は,避妊一般を「罪」とするものではなく,家長として家系を保つべきユダヤ法上の義務があるのにそれを果たさなかったことを「罪」としているとするのが,一般的な解釈であるという。