医学界新聞

 

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第82回

ピル(医療と性と政治)(13)
教会(2)

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2677号よりつづく

〈前回までのあらすじ:1963年,法王ヨハネ23世は「人口・家族・出生についての法王委員会」を設置,ピルの使用を容認するか否かについて諮問した〉

 1965年3月の法王委員会に,3組の夫婦が委員として招かれたが,いずれも敬虔な信者として知られる夫婦だった。

 3組のうち,クロウリー夫妻はシカゴから選ばれた夫婦だった。夫妻には4人の子供がいた(うち一人は修道女)が,クロウリー夫人は,妊娠歴6回,最後の妊娠時に危険な状態となり手術,子供ができない体となっていた。二人とも,「法王のおっしゃられることは何でも信じて」生きてきた夫婦だった。

悪魔が作った方法

 法王委員会に招かれるとわかった後,クロウリー夫妻は,ジョンズ・ホプキンス大学産婦人科医の助力を得て,アメリカとカナダの信者団体に属する夫婦を対象に,「周期法」の実際に関するアンケート調査を実施した。結果は,法王委員会で発表されたが,その中から,委員たちの注目を集めた,ある夫婦(6人の子持ち)の回答を紹介しよう。

夫:「周期法は性生活を台無しにしています。愛の自然な発露を妨げるだけでなく,性欲を発散するためだけの行為へと変えてしまいました。私は,周期法のせいで,ひと月中,性のことしか考えなくなってしまいましたし,貞操の危機を覚えることさえある始末です。妻や子供たちに接する態度にも影響しています。本来,肉体的にも精神的にも厳かであるべき結び付きが,ぎすぎすとお互いを傷つけあう関係へと変わってしまったのです。周期法は非道徳的であるだけでなく,不自然です。私には,悪魔が作った方法にしか見えません」

妻:「ひと月の間に3週間禁欲するようにしてから,子供はできなくなりましたが,私は,不機嫌で怒りっぽくなりました。夫が気をつけて用心深くなっていることにも腹が立ちますし,自然に反応できなくなっている自分にも腹が立つのです。性のことが,いつも意識下にとりつくようになりました。夫とは,ずっと,知的にも感情的にも,素晴らしい結婚生活を送ってきたのに,こんなことになってしまいました」

聖職者・神学者を驚かせた発言

 アンケート結果を報告した法王委員会から帰ると,クロウリー夫妻は,対象を全世界の信者に広げて,2度目のアンケート調査を実施した。調査結果は,66年4月の法王委員会で発表されたが,周期法を肯定的に評価した夫婦は10%未満にしかすぎなかった。さらに,回答者の25%が「周期法には従っているが,否定的に評価」し,65%が「周期法は無効である」と回答したのだった。夫妻は,アンケート結果を報告する書簡を法王ポール6世に送ったが,「周期法は夫婦の結びつきを妨げていますし,ほとんどすべての夫婦が,教会が立場を変えることを望んでいます」と,結論に明記したのだった。

 66年4月の法王委員会でアンケート結果を報告した後,クロウリー夫人は,次のように発言をして居並ぶ聖職者や神学者を驚かせた。

「周期的禁欲が『自然』な方法であるという理論に女性は納得していません。周期法こそが愛を育む方法であるとおっしゃる男性もいらっしゃいますが,同意する女性はまずいないでしょう。周期法がどれだけ結婚生活を損なっているか,教会を運営されている殿方たちには十分おわかりになっていないのではないでしょうか? いつ子供ができるかという不安に苛まれている妻は,本当の愛のパートナーとはなりえませんし,夫や,性交そのものだけでなく,人生そのものを疎んじるようになるのです。夫婦とは,もともと子供をほしがるものですし,子供を作れという規則があることが動機となって子供を作る夫婦などいません。生きて,愛して,愛を確かめあう本能があるからこそ子供を作るのです」

大切なのは「愛の行為」の意味

 クロウリー夫人の真率な発言に勇気を得たのか,オタワから招かれていたコレット・ポトビン夫人が引き続いて発言に立った。結婚歴17年,子供は5人,流産歴3回という女性だった。

「女性を理解しようと思うのなら,まず,女性を男性の『不完全版』と見ることをおやめになってください。そして,『性という邪悪な罪を肉体に宿す存在』と見ることもおやめになってください。そうではなくて,創世記にも書かれていますように,ただ,男性の伴侶として見ていただきたいのです。私が育った国では,女性が結婚する第一の理由は,選んだ男性と生活をともにしたいということにあるのです。子供を得ることが結婚の目標ではありませんし,子供は愛の結果として得られるものです」

 ポトビン夫人は,さらに,避妊法の技術的側面よりも,「愛の行為」が夫婦にとって何を意味するのかということに議論を集中すべきであることを強調した。

「私たちの生き様は,『方法』に振り回されるべきではありません。『生きる』ということは,お互いを受け入れ,許し,すべてを与える,素晴らしい時を共有することに他ならないからです」

「夫と愛の時を分かち合った翌朝はとても満ち足りた気持ちになりますし,子供たちに対してもいつもより寛容になれるのです。交接のオーガスムと『体中に虹が輝くような素晴らしい感覚』がもたらす精神的平安ほど,家庭の平和に貢献するものはないのです」

 ポトビン夫人が,あからさまに「性」の喜びと効能を強調した直後,聖職者と神学者が大多数をしめる会議場は,しんと静まりかえったのだった。

この項つづく