医学界新聞

 

連載
臨床医学航海術

第3回 現代医療のパラダイム・シフト(3)

田中和豊(済生会福岡総合病院臨床教育部部長)


前回よりつづく

 臨床医学は大きな海に例えることができる。その海を航海することは至難の業である。吹きすさぶ嵐,荒れ狂う波,轟く雷……その航路は決して穏やかではない。そしてさらに現在この大海原には大きな変革が起こっている。この連載では,現在この大海原に起こっている変革を解説し,それに対して医学生や研修医はどのような準備をすれば,より安全に臨床医学の大海を航海できるのかを示したい。


確実性から不確実性の時代へ

 現代医療のパラダイム・シフトとして,今回は「確実性から不確実性の時代へ」という変化を取り上げたい。

 この「確実性から不確実性の時代へ」という言葉を聞いて,「逆ではないか?」という読者がいると思う。「確実性から不確実性の時代へ」ではなく「不確実性から確実性の時代へ」ではないかと聞きなおされるかも知れない。なぜならば,日常のわれわれの診療は,検査・診断・治療そして予後について不確実なものをより確実なものにしていく努力をしているからである。確かにその通りである。

 しかし,このように医師の検査・診断・治療などを不確実なものととらえるようになったのはごく最近のことで,それ以前は医師の検査・診断・治療は絶対であった。つまり,確実なものと認識されていたのである。この医師の絶対性あるいは確実性が医療におけるPaternalism(父親主義,家父長的権威主義,温情主義:医師が患者の父親のようにして患者の検査や治療を決定するという考え)という思想につながったのだと筆者は考えている。ところが,このPaternalismを前提にした絶対で安全なはずの医療において多くの医療過誤が発生していることが明らかになった。この医療過誤の徹底した考察から判明した事実は,「誰もが間違えるTo err is human」という単純明快な事実である。つまり,医師も不確実な存在なのである。この不確実な医師が行う医療は不確実に決まっている。だから,この不確実なものをよりいっそう確実なものにするようにわれわれは日夜努力しているのである。

 この確実性から不確実性への変革は現代科学においては,もともと物理学から始まっている。近代物理学は1687年のニュートンの『自然哲学の数学的原理』で記載されたニュートンの3法則に始まっている。周知のように,ニュートンの3法則とは,「慣性の法則」,「運動の法則」と「作用・反作用の法則」である。このうち2番目の運動の法則は別名「古典力学の因果律」と呼ばれている。その意味は,この運動の法則「F=ma」(F:力,m:質量,a:加速度)は,「質量mの質点に力Fが働いた結果,質点は加速度aで運動する」という意味である。つまり,論理学的に「F⇒ma」(因果関係)であって,「F⇔ma」(同値)ではないのである。

 このニュートンの運動の法則にしたがって,さまざまな物体の運動が予知できるようになった。高等学校の物理で学習したように,質点の投げ上げのような放物運動から天体の運動に至るまで正確にその運動が予測できるようになったのである。これを物理学的に言いかえると,質点の運動は初期条件のもとに運動方程式という2階微分方程式を解くことによって解が一意的に決定するということである。この「古典力学の因果律」は,もともと天体のような物体の運動を表記したものであったが,やがて人間の人生もこのような「古典力学の因果律」という物理法則で支配されているのではないかと考えられるようになった。つまり,人間の一生も誕生日という初期条件を決定すれば,天体の運動が何時何分にどこの位置をどの速度で運動しているか正確に予告できるように,人間の一生も個人の努力に関わらず何時何分にどこで何をしているのかは正確に決定しているのではないかと考えられるようになったのである。これがいわゆる「古典力学的世界観」で,別名「運命論・決定論」と呼ばれているものである。

 この「古典力学の因果律」に起因する「古典力学的世界観」あるいは「運命論・決定論」と呼ばれる思想は,19世紀の世紀末とも重なりウィーンで一大文化潮流として花開いた。いわゆる「ウィーン世紀末文化」である。独特の廃頽美を特徴とするKlimtやSchieleの美術,そして,人生に対する諦観に満ち不安にさいなまれながらも一条の希望の光を抱き続けるMahlerの音楽などである。この「ウィーン世紀末文化」以外にも,共産主義社会が必然的に出現すると予言した1867年のMarxの「資本論」,そして,人生は苦痛に満ちているとしたSchopenhauerの厭世哲学もこの「運命論・決定論」の影響と言われている。

 ところが,20世紀に入りすべての物体の運動を説明すると思われたニュートンの古典力学が絶対でないことが判明した。光速の物理学である相対性理論とミクロの物理学である量子力学の登場である。すなわち,これら光速とミクロの世界では何と古典力学は成り立たないことがわかったのである。そして,1927年Heisenbergによって「不確定性原理」が発表された。この「不確定性原理」によると,ミクロの世界では物体の位置と運動量を決定することはできず,その確率だけが計算可能ということが判明した。このことは言いかえると物体の運動は正確に予測できずにただその確率だけが予測できるというのである。つまり,これを人間の一生にたとえると人間の一生は運命で決定されているのではなく,その確率だけ予測でき,そして,努力によってその確率は変更することが可能であるというものである。この思想は「古典力学的世界観」に対して「確率論的世界観」と呼ばれている。

 この「確率論的世界観」が医学に応用されたものがEBM(evidence-based medicine)であると筆者は理解している。EBMとは患者の診断,治療成績そして予後の確率を少しでもよくするために臨床疫学研究を行い,臨床疫学のデータを蓄積するという壮大な試みである。頭部CT正常の頭痛の患者にクモ膜下出血を否定するために腰椎穿刺すべきか,ARDS(acute respiratory distress syndrome)の患者の人工呼吸器をどのように設定すれば最善の治療効果が得られるのか? このようにわれわれの日常診療はすべて不確実な診療の確率を向上させる努力である。

 このことと関連して,かの有名なSir William Oslerは「臨床医学は不確実性のサイエンスであり,確率のアートである」と言っている。「サイエンスは確実なもの」で「アートは不確実なもの」であるはずなのに,Oslerはそれをあえてわざわざ「不確実性のサイエンス」,「確率のアート」と言ってのけているのが憎い。

医療のパラダイム・シフトの諸相
・基礎医学から臨床医学の時代へ
・疾患志向型から問題解決型の時代へ
・専門医から総合医の時代へ
・単純系から複雑系の時代へ
確実性から不確実性の時代へ
・各国主義からGlobalizationの時代へ
・画一化からtailor-madeの時代へ
・医師中心から患者中心の時代へ
・教育者中心から学習者中心の時代へ

次回につづく


田中和豊
1994年筑波大卒。横須賀米海軍病院インターン,聖路加国際病院外科系研修医,ニューヨーク市ベスイスラエル病院内科レジデント,聖路加国際病院救命救急センター,国立国際医療センター救急部を経て,2004年済生会福岡総合病院救急部,05年より現職。主著に『問題解決型救急初期診療』(医学書院刊)。