医学界新聞

 

名郷直樹の研修センター長日記

27R

流れに求める3 患者はどうして死んだのか?

名郷直樹   地域医療振興協会 地域医療研修センター長
東京北社会保険病院
横須賀市立うわまち病院
市立伊東市民病院臨床研修センター長


前回2671号

●月△×日

 最近かなり本が読める。ちょっと余裕が出てきたのかな。昨日は『心の病理を考える』という本を読んだ。今の私にはあまり好ましくないような題の本ではある。私の病理を考える,そんな袋小路に入りがち。ソファーに寝そべって本を読んでいる私を,覗き込んで妻が言う。またそんな暗い本を読んで。確かに。返す言葉がないですが,私は私で楽しんで読んでいるんだから,ほっといて。お願いです。

 その中で,印象に残ったこと。生命とは何か。印象に残ったことが,いきなり生命である。かなりやばいな。でも印象に残ったんだから仕方ない。気にせず行こう。生命とは,一人ひとりの人間が死ぬのと一緒に消え行くものではない。一人ひとりの人間,いやあらゆる生物において,その死とともに消え去るものでなく,むしろ逆である。その個別の生物の生き死にを繰り返す中で,途切れることなく受け継がれるもの。それが生命である。ちょっと違った。命は「もの」ではない。「こと」である。受け継がれること。ただそれだけのことなのだが,なんか印象に残る。読んだあとこの部分が繰り返し思い出される。なんでそんなことが印象に残るのかと,自分でも考えてみる。

 たぶんその前に読んだ小説のせいだ。『豊饒の海』。輪廻転生の物語。輪廻転生の中で受け継がれるのは,魂なんかじゃない。アーラヤシキだ。漢字が思い出せない。阿頼耶識でいいんだっけ? なんとなく繋がった気がする。生き死にを繰り返す中で引き継がれるものがある。いや違う。また間違えた。「もの」じゃないんだ。決して魂とか,そんな「もの」じゃない。受け継がれる「もの」ではないのだ。「こと」としてとらえないといけない。すべては「こと」として繋がっている。途切れることがない。

 流れに求める。ひとつのことしか考えられなくなっている。妻が心配するのも無理はない。

 そんなところへ計ったかのようにまた研修医に降りかかる事件。受け持ち患者が病理解剖になったらしい。

「これからゼク*なんです」

疲れ果てた表情で,研修医が戻ってきた。解剖が始まる前の数分で3時間遅れの昼食だ。

 こんな研修医にも,センター長から容赦ない質問。

「なんで亡くなった患者なの?」

「敗血症だと思うのですが,感染のフォーカスがどこかはっきりしないんです」

「予想としてはどのあたりがフォーカスと考えているんですか?」

「椎間板炎とかそのあたりを疑っているのですが」

「なるほど。椎間板炎からそれが見逃されていて,そのせいで敗血症,死に至る」

 椎間板炎のせいで亡くなったのか,そう口に出してはっとする。何の脈絡があるのか,ある患者さんのことを思い出す。

 ある中年男性の突然死。駆けつけた家族。妻,そして息子。医師の診断は急性心筋梗塞。患者への説明は,こんな感じか。

「心臓へいく太い血管が根元で詰まったらしく,病院へ着いた時にはすでに心臓が止まった状態でした。どうすることもできませんでした」

 説明を聞いていた妻が,突然隣に立ち尽くす息子の腕を折れんばかりにゆすぶって言う。

「お父さんは心筋梗塞で死んだんじゃない。あんたが殺したのよ。あんたが心配ばかりかけるせいで,こんなことになっちゃったのよ」

 医師は,心筋梗塞のせいで死んだと言い,妻は息子のせいで死んだと言う。「もの」としての死,「こと」としての死。

 こんなことを思い出して,またついつい変な質問をしたくなる。

「ところで,仮に病理解剖の結果,椎間板炎をフォーカスとする敗血症という診断がついたとしよう。しかし,それで本当にこの患者さんは椎間板炎による敗血症のせいで死んだと言えるのだろうか」

「すいません。そろそろ時間なので,ゼクへ行ってきます」

 研修医は賢い。問題を解決する能力がある。そして,私には問題を解決しない能力がある。そういえば老人力なんてのが一時期はやったがどうなったのだろう。問題を解決しない能力,老人力,そんな感じがする。私も年をとったものだ。

 心筋梗塞のせいで死んだ,という説明は,生命を「もの」としてとらえている。もちろんそうして「もの」としてとらえてきたからこそ,さまざまななぞが解明された。人間の組織は,血液により酸素が送り込まれることによって生きている。血管が詰まって血液が流れなくなれば,その組織は死んでしまう。それが心臓で起これば心筋梗塞である。酸素欠乏になった心臓の筋肉が死んでしまって,心臓が動かなくなって死んでしまう。なんてわかりやすい説明だ。

 それを,決して途切れることのない流れとして,「こと」としてとらえてみた時に,この患者は何で,どうして死んだと言えるだろうか。妻が「あなたのせいで死んだのよ」と言うのはどういうことか。「もの」としての死に対し,「こと」としての死。

 心筋梗塞で死んだ。それは結果である。いや結果でもない。死ぬことにより,何かが受け継がれたのだ。心筋梗塞になるまで,いったいどんなことがあったのだろう。妻との間に,息子との間に。あるいは妻と結婚するまでに,息子が生まれるまでに。さらにさかのぼれば,生まれた時に,あるいは生まれる前に。要するに,生まれたから死んだ。いや生まれる前から死んでいる。いや死んで,終わるわけじゃない。死んでも生きている。また何かに繋がっている。

 そろそろやばい。カスガ先生に相談したほうがいいかもしれない。研修医教育で悩んでいます。どうしたらいいでしょうか。

ゼク:病理解剖のこと。ドイツ語のSectionから来ている。


名郷直樹
1986年自治医大卒。88年愛知県作手村で僻地診療所医療に従事。92年母校に戻り疫学研究。
95年作手村に復帰し診療所長。僻地でのEBM実践で知られ著書多数。2003年より現職。

本連載はフィクションであり,実在する人物,団体,施設とは関係がありません。