医学界新聞

 

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第81回

ピル(医療と性と政治)(12)
教会(1)

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2675号よりつづく

〈前回までのあらすじ:1960年,経口避妊薬「ピル」が,ついにFDAの認可を受けた〉

杞憂だったローマ教会への危惧

 ピルの臨床開発に関わった関係者が,宗教界,特にローマ教会からの反発を危惧して神経質になっていたことは前回も述べたとおりである。しかし,現実には,ローマ教会による反発は恐れていたほど大きなものにはならず,ピルは,さしたる抵抗を受けることもなく社会に受け入れられた。関係者の当初の危惧とは裏腹に,ピルの実用化と普及で大きな影響を蒙ったのは,むしろ,ローマ教会の方だったと言ってよいだろう。

 周知のとおり,ローマ教会は,人工的手段による避妊を「罪」としてきた歴史があり,ピルについても,月経困難症などの治療に使用することは差し支えないが,避妊目的で使用することは認められないという立場をとっていた(註1)。これに対し,ピルの臨床開発を主導した産婦人科医ジョン・ロック(自身もカソリック信者)は,「ピルによる避妊は,ローマ教会がすでに容認している『周期法』を,生理的なホルモンを使うことで改善したものに過ぎない。『自然な』避妊法であり,ローマ教会の立場に反しない」と主張,ピルの使用容認を強く求めたのだった(註2)。

教会改革と婚姻・性を巡る議論

 一方,ピルの使用が急速に普及したことについては,カソリック信者と非信者の間に変わりはなかった。急速な普及とともに,信者の間に,教会が避妊に対する立場を変えることを望む声が強まったのも無理はない。

 折しも,ピルが急速に普及した60年代前半,ローマ教会には改革の嵐が吹き荒れていた。改革の象徴となったのが62-65年に開催された第二バチカン会議であるが,教会所在国の国語によるミサの開催・金曜日の肉食解禁など,急激な「近代化」が進められていたのである。

 教会全体の改革が進む中,避妊・産児調節についても見直しの気運が高まり,63年,法王ヨハネ23世は,ピルの使用を容認するか否かについての助言を求めるために,「人口・家族・出生についての法王委員会」を設置した。しかし,ヨハネ23世は同委員会が初回会合を開く直前に急逝,委員会は跡を継いだパウロ6世の下で,活動を続けることになった。

 法王委員会を設置したヨハネ23世の意図するところがどこにあったかは知りようもないが,法王委員会での議論は,ロックが提議した,「ピルが『自然な』避妊法であるか,それとも『人工的』避妊法であるか」という「技術論」にはとどまらず,婚姻および性のありように関する,カソリック教会教義の根幹に関わる領域に踏み込むものとなった。

「新思考派」vs「守旧派」

 性についてのカソリック教会の公式の立場は,当時も今も,「性交の一義的目的は生殖という『聖なる』目標を達成することにあり,快楽のみを追求する性交は『罪』である」というものである。しかし,今から40年以上前に設置された法王委員会で,この教義の是非を巡って,侃々諤々の議論が行われたのだった。

 性と婚姻についての教義見直しをめざす「新思考派」の委員たちは,「婚姻は本来幸福をもたらすべきものであるはずなのに,避妊を認めないことで,教会は,結婚している人々に苦痛を強いている。婚姻の一義的目標は『生殖』ではなく『愛』であるべきだ」と主張した。これに対して,「守旧派」は「『愛』を一番にしたら,後は何でも許されてしまう」と,教義を見直すことに頑強に抵抗した。

 守旧派と新思考派のやりとりは,ときに,熾烈を極めた。例えば,「周期法を忠実に守っている夫婦は自然の摂理に従っているが,避妊をする夫婦は罪を犯している」と発言した守旧派聖職者に対し,新思考派の委員(医師)が,「あなた方聖職者は,使命に忠実であろうとするためには,性を遠ざけることばかり考えていなければならないのでしょうが,私たちの使命は,お互いを愛することにあるのです」と切り返した,という逸話が残っている。

歴史的決断

 当初6人の委員で始まった同委員会,「婚姻と性のありよう」を巡る議論が決着を見ないまま,パウロ6世の下で,委員の数だけが増やされていった。65年3月に開かれた会合では,委員数55人と,当初の10倍近くにふくれあがったが,聖職者以外の委員は34人に達していた。特筆すべきは,新たに加えられた委員の中に3組の夫婦が含まれていたことだった。聖職者ばかりで「婚姻と性のありよう」を論議してきたローマ教会が,ついに,実際に結婚している夫婦から「婚姻と性のありよう」について意見を聞くという,歴史的決断がなされたのだった。

この項つづく

註1:1958年,ローマ法王ピアス12世による決定。
註2:1963年,ロックは『時来る:産児調節を巡る闘いを終結させるためのカソリック医師の提案』を出版,ローマ教会を巡る避妊論争に一石を投じた。