医学界新聞

 

〔連載〕
感染症Up-to-date
ジュネーブの窓から

第6回 鳥インフルエンザにおける渡り鳥の役割を考える

砂川富正(国立感染症研究所感染症情報センター)


前回よりつづく

トルコ,イラク,そしてナイジェリアへ

 ナイジェリアで大量死した家禽より鳥インフルエンザウイルスA/H5N1が検出された。現地では人への感染の不安が広がっているが,同国Kaduna州の,ほとんどの飼育鶏が死亡したある家族より,感染の疑いありとして小児2名が調査対象となっている(2006年2月13日現在)。この5歳と4か月の児は,いずれも症状が非常に軽いことが特徴的であり,軽症で推移しつつ短期間で多くの感染者を出したトルコのように,H5N1ウイルスの疫学が変貌しつつあるか,それとも鳥インフルエンザとはまったく関連のない患者を検出したのか,今後の情報が待たれる。ナイジェリアの死亡した鶏から分離されたウイルスは,トルコで採取されたH5N1に高い相同性を有していることが報道されている。先にイラクで確定された15歳女児はトルコとの国境に相対的に近いイラク北部のクルド人居住地区住民であり,H5N1に感染した鳥や人の報告が,ヨーロッパのトルコから中東のイラクへ,そしてアフリカのナイジェリアへと移動してきたことはきわめて興味深い。これらの出来事が,ここ1-2か月の間に発生したのである。

 これらのウイルスを運んだものとして,渡り鳥の役割がこれまで以上に注目を集めている。2005年になり,渡り鳥によって鳥インフルエンザウイルスが運ばれたと考えられた地域では,住民の不安が著しく高まり,渡り鳥を一部捕獲する動きにまで至ったという。鳥インフルエンザからパンデミックに至る過程で,渡り鳥はやはり危険な存在として考えなければならないのか。筆者は渡り鳥やインフルエンザウイルスの生態学の専門家ではないが,この重要な問題に対して,力の及ぶ範囲で情報をまとめてみたい。

渡り鳥における鳥インフルエンザ臨床像の変化

 世界中のすべての鳥類は,A型である鳥インフルエンザウイルスに感受性があると考えられている。特に野生の水鳥に感染することが知られており,この水鳥が膨大なウイルス宿主としての役割を持つことが知られるようになった。これまで,水鳥を始めとする渡り鳥は,はっきりした症状がなくともウイルスを運搬し得るとされてきた。実際,ほとんどの水鳥は感染時,何も症状を起こさないようである。すなわち,家禽への感染時に認められる,低病原性ウイルス(羽毛の乱れ,産卵数の低下など)あるいは高病原性ウイルス(急性・重症の疾患,急速伝播,48時間以内にほぼ100%の致死率,多臓器不全)の病像は野鳥においては観察されてこなかった。現在,すべての高病原性鳥インフルエンザはH5あるいはH7サブタイプによって引き起こされている。野生の水鳥は鳥インフルエンザウイルスを低病原性の形で家禽の群れに持ち込み,低病原性のH5やH7ウイルスが家禽集団を循環している間に高病原性になり得ることがわかってきた。つまり,高病原性ウイルスを直接に伝播するわけではないとされてきた。

 しかしながら,この役割には最近変化があったかもしれない。2005年中頃から,実際には不明な点が多いが,数種類の渡り鳥は高病原性のままでH5N1ウイルスを運び,渡りのルート沿いの地域に伝播を起こしたと考えられる情報が相次いだ。その象徴的な例は,渡り鳥の世界的な繁殖・中継地である,中国・青海湖(Qinghai Lake)で2005年の5月後半に確認された6000羽を超える渡り鳥のH5N1感染による大量死である。多くの研究者が渡りの経路に沿ったその後のウイルス伝播を警告し,果たして,渡りの経路に沿った地域で,鳥(そして一部はトルコなどにおけるヒト)でのインフルエンザ発生という状況が見られた。このH5N1ウイルスは,まれとされた野鳥の死亡を生じさせた。トルコにおける初期のヒト感染2例(死亡例)から得られたウイルスは,事実上中国・青海湖からのウイルスに一致したと報告されている。ウイルスは生き延びた渡り鳥とともに,はるか数千キロの旅を経て中国からヨーロッパにやってきたのかもしれない。そして今,アフリカ大陸に到達したのである。

 世界の代表的な渡り鳥の飛来経路とH5N1ウイルスの検出地域の相関は,FAO(United Nations Food and Agriculture Organization)のホームページ(http://www.fao.org/ag/
againfo/subjects/en/health/diseases-cards/migrationmap.html
)で見ることが可能だが,そこから筆者には,渡り鳥がウイルスを運んでいるとしても,ウイルスは一気に飛来したのではなく,さまざまな種類の鳥を少しずつつなぐように渡りを繰り返して,長距離のウイルス伝播が発生したかもしれないと感じられる。伝播経路についても,渡り鳥の飛来経路として,東アジア・西アフリカ経路,黒海・地中海経路に加えて,インドやバングラデシュなどの地域へ至る中央アジア経路への警戒を促す論文もある(Webster et al. EID. Vol.12, No.1, Jan 2006)。

真に鳥インフルエンザを脅威ならしめるもの

 今日に至るまで,世界中で1億4000万羽を超える家禽がウイルスに感染あるいは殺処分されるなどして死亡した。H5N1ウイルスは,家禽集団への感染を繰り返していく中で,徐々にその性質を変えていると言われる。渡り鳥がウイルスを伝播していく一方で,渡り鳥自体に対するウイルスの性質変化は,ウイルスと(ヒトの産業である)家禽との相互作用の結果を,逆に野生動物である渡り鳥がもろに被っていることを示すのではないか。そして,猫科動物(虎など)への感染など,H5N1ウイルスは感染する範囲を徐々に拡げているようだ。これらの変化がウイルスへの変異圧力としてさらに働くことは確かだが,実際のヒトのパンデミックに至るインフルエンザウイルスの脅威としては,鳥への病原性の強さに関わらず,ヒトと鳥インフルエンザウイルスの接触頻度が最も重要であることには注意しなければならない。

 鳥インフルエンザは家禽の中で高度に伝染性が強いのとは別に,容易に農場から農場へ伝播することが知られる。すなわち,(他国への輸出入を含む)生鳥の移動や,人によるウイルスの伝播(特に靴や他の衣類が汚染された時に),汚染された乗り物,装備,飼料,鳥かご等である。これらの条件が容易に満たされるのは,アジアにおいてはWet market(生きた鳥を扱う市場)であり,特に初期のH5N1発生においては,Wet Marketのウイルス伝播における役割は大きかったとされる。そして今もアジア地域では,これらの市場や小規模の鶏飼育などの場で鳥インフルエンザウイルスの循環が続いていると考えられている。

 日本や韓国,マレーシアは,大規模ではあるが,商業養鶏場として鳥が室内で,多くは比較的厳しい衛生管理下で大規模に飼育されている場合が多かったことから,鳥インフルエンザが発生した場合の封じ込めがしやすかったと見なされている。しかしながら,多くのアジア諸国では,家禽を郊外あるいは裏庭で放し飼いにしているところでの抑制策を考えなければならず,封じ込めははるかに困難である。鳥が死んだり病気の徴候が見られたりすると食用に供するような習慣,すなわち貧困が状況を悪化させていることも厳然たる事実であろう。さらに最近のトルコでは,マイナス35℃にも及ぶ極端に厳しい天候時に室内に収容された感染鶏が感染源となることがあった。やはり,鳥インフルエンザの最大の脅威は渡り鳥からの直接的な影響ではないだろう。そして,渡り鳥に対して介入を検討することも現実的ではないだろう。不安の矛先を渡り鳥に向けてはならない。その先にある,家禽への感染防止策と監視の徹底,そして影響が見られた場合の速やかなリスクの排除が,ヒトへの健康被害の低減上,現在でも最も重要な方策であると考えられる。

つづく