医学界新聞

 

連載
臨床医学航海術

第2回 現代医療のパラダイム・シフト(2)

田中和豊(済生会福岡総合病院臨床教育部部長)


前回よりつづく

 臨床医学は大きな海に例えることができる。その海を航海することは至難の業である。吹きすさぶ嵐,荒れ狂う波,轟く雷……その航路は決して穏やかではない。そしてさらに現在この大海原には大きな変革が起こっている。この連載では,現在この大海原に起こっている変革を解説し,それに対して医学生や研修医はどのような準備をすれば,より安全に臨床医学の大海を航海できるのかを示したい。


疾患志向型から問題解決型の時代へ

 現代医療の第2のパラダイム・シフトとして,「疾患志向型から問題解決型の時代へ」の変換がある。前回述べたようにほとんどのコモン・ディジーズはその病因が解明されて疾患が体系化された。内科学,外科学,産婦人科学や小児科学などがその例である。これらの学問では診断が前提となってその疾患の検査や治療が記載されている。つまり,疾患志向型に体系化された学問である。しかし,実際の患者は主訴とともに来て,診断とともに来ることは少ない。このような疾患志向型医療では,実際の患者に十分に対応することは不可能である。

 そこで,現在までに疾患志向型に体系化された学問を実際に有益な問題解決型に体系化しなおすことが必要である。具体的には,「腹痛」という問題に対して,内科・外科・産婦人科・小児科・精神科などのできる限りすべての鑑別診断を考慮した系統的診断プロトコールをつくる必要性がある。なぜならば,実際に医療を行っている臨床医はこのような系統的な診断過程で診断を行っているからである。

 この「問題解決型」という概念は1960年代に欧米で始まって以来日本でも人口に膾炙しているが,まだまだ系統的に問題解決可能な医師は少ないように思える。

専門医から総合医の時代へ

 このような問題解決型の診療を行うということは,専門以外あるいは専門科の特定ができない傷病をも診療するということである。ということは,言い換えると今までの内科学・外科学・産婦人科学・小児科学などの単一の専門医では対応できないということなのである。したがって,そこにどうしてもジェネラリストという新たな専門分野が必要になってくる。このような社会の要求もあって現在全国に総合診療科や救急部が設立されている。欧米では,実際プライマリ・ケア医やジェネラリストが社会的にも認められている。日本でも現在この「専門医から総合医の時代へ」の変換が起こっているのである。

 過去の専門医による医療の図式では,図1のように各専門領域が重なり合わずにどの専門領域にも属さない領域が取り残されていた。しかし,欧米流の診療方式では,図2のように各専門領域が重なり合いお互いに補完しあうことによって,患者に利益のある包括的で全人的な医療を可能にしているのである。現在日本でも図2のような欧米流の診療形態に移行しつつあるのである。

単純系から複雑系の時代へ

 総合医が問題解決型診療を行うにしたがって,過去には単純系の疾患モデルしか取り扱わなかった医学が,複数科にまたがる傷病や多臓器不全を扱う集中治療などの複雑系の疾患モデルも取り扱うことになった。

 単純系の傷病モデルとは,肺炎は肺の感染症なので抗生物質で治療する,虫垂炎は虫垂の感染症なので外科手術で摘出する,癌は無限に増殖するから摘出する,外傷性気胸は肺に穴が開き胸腔に空気がたまっているので胸腔の空気をチューブで抜いて治療する,などの単一で単純な傷病のメカニズムでしたがって治療も単純な傷病モデルを言う。しかし,現代の医療では,ARDS(急性呼吸促迫症候群),敗血症,DIC,多臓器不全や多発外傷などの複数の臓器の傷病をも治療しなければならない。このような複数の臓器の傷病は,今までの単純系の傷病モデルでは対処できないのである。

 例えば,敗血症については,1991年にAmerican College of Chest Physician/Society of Critical Care MedicineのConsensus Conferenceで,「敗血症=感染症によるSIRS(全身性炎症反応症候群)」と定義された。これ以後SIRSの本態は「高サイトカイン血症」と理解され,敗血症の治療もこのサイトカインをターゲットにした治療の開発に心血が注がれた。しかし,炎症性サイトカインとその関連物質をターゲットにした20近くの無作為化比較試験はすべて失敗に終わり,1999年Critical Care Medicineで2つの論文が,敗血症に対して敗北宣言を出し,新たな戦略の必要性を説いた。これを受けて,2001年SCCM(Society of Critical Care Medicine),ESICM(European Society of Intensive Care Medicine),ACCP(American College of Chest Physicians),ATS(American Thoracic Society),SIS(Surgical Infection Society)の5組織がInternational Sepsis Definitions Conferenceを開催した。その後SCCM,ESICMとISF(International Sepsis Forum)の3組織はThe Surviving Sepsis Campaignという運動を開始し,その目標として敗血症の新たな定義の必要性や5年以内に敗血症による死亡率を25%軽減させることなどを掲げた。しかし,いまだに敗血症に対する新たな戦略は提唱されていない。

 このように複雑系の傷病モデルというのは,戦争で例えてみればテロやゲリラ戦で,現在欧米諸国がテロやゲリラ戦を制圧できないのと同じように,現代医学もいまだに複雑系の傷病は克服できていないのである。これは,近代科学が1637年のデカルトの『方法序説』以来主に単純系についての研究を優先し,複雑系の研究にまで到達していないためである。しかし,現代科学の世界でも近年この単純系の科学に飽き足らずについに「複雑系の科学」の研究が始まっている。そして,日本においても小川道雄先生の著書『侵襲に対する生体反応と臓器障害-SIRS・CARSからSLIRS・LISISへ』(メジカルセンス社)では,侵襲に対する生体反応を説明するのに「複雑系の科学」が言及されている。

医療のパラダイム・シフトの諸相
・基礎医学から臨床医学の時代へ
・疾患志向型から問題解決型の時代へ
・専門医から総合医の時代へ
・単純系から複雑系の時代へ
・確実性から不確実性の時代へ
・各国主義からGlobalizationの時代へ
・画一化からtailor-madeの時代へ
・医師中心から患者中心の時代へ
・教育者中心から学習者中心の時代へ

次回につづく

参考文献
1)Nasraway SA. Sepsis research: We must change course. Crit Care Med 1999;27:427-430.
2)Bernard GR. Research in sepsis and acute respiratory distress syndrome: Are we changing course? Crit Care Med 1999;27:434-436.
3)Levy et al. 2001 SCCM/ESICM/ACCP/ATS/SIS International Sepsis Definitions Conference. Intensive Care Medicine 2003;29:533-538.
4)Ramsay G. The Surviving Sepsis Campaign日救急医会誌 2003;14:481-2.
5)吉永良正:「複雑系」とは何か(講談社現代新書,1996)
6)小川道雄:侵襲に対する生体反応と臓器障害-SIRS・CARSからSLIRS・LISISへ(メジカルセンス社,2004)


田中和豊
1994年筑波大卒。横須賀米海軍病院インターン,聖路加国際病院外科系研修医,ニューヨーク市ベスイスラエル病院内科レジデント,聖路加国際病院救命救急センター,国立国際医療センター救急部を経て,2004年済生会福岡総合病院救急部,05年より現職。主著に『問題解決型救急初期診療』(医学書院刊)。