名郷直樹の研修センター長日記 |
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流れに求める2
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(前回2666号)
×月××日
研修医との会話も途切れがち。研修医は目の前の患者のことに必死で,それ以外が目に入らない。私はと言えば,週に2日の外来だけで,考える時間がたっぷりある。たっぷりある時間の中で考える。忙しい研修医にとって,そんな暇なやつが考えることは無意味か?
ある研修医が言う。
「90歳の糖尿病の患者さんなんですけど,どうすればいいんでしょうね」
「その人は本当に糖尿病なの?」
「HbA1Cも8%前後ですし,空腹時血糖も200くらいと,糖尿病の診断基準を満たすので,糖尿病と言っていいと思います。今回は肺炎で入院したのですが,肺炎も糖尿病と関連しているかもしれません」
「1年前のデータとかどうだった?」
「それはわかりません」
そこで長々と話したいことがあるんだが,なかなか言い出せない。私自身が都会の電車の窓に映る観光旅行へ来ているかのような景色をみるように,研修医が患者をみている。10年前は?20年前は? さらに50年前は? あるいは1年後は? 5年後は? そんなふうに問い詰めていっても研修医は困るだけだ。研修医は僕ほど暇じゃないし,ほかにやらなきゃいけないことも山ほどある。
診断基準は便利だ。診断基準という便利なツールで得たものと失ったもの。得たものの大きさの前に,失ったものを完全に見失ってはいないか。90歳の糖尿病と40歳の糖尿病,年齢を考えただけでもぜんぜん違うものだ。それを同じ診断基準で糖尿病と診断していいものか悪いものか。そんなふうに二分法で考えるのは適切でないかもしれないが,少なくとも全面的にいいとは思えない。もちろん研修医自身だって,そう思うからこそ相談している。しかしだ。研修医に何をどう言えばいいのか。診断基準を得て,逆に失ったものは何だと,単刀直入に聞けばいいのか。
パウル・クレーに「ガラスのファサード」という絵がある。見たことないんだけれど,その絵の裏側には,石膏の下地の下に,単純な線で書かれた少女の絵が描かれ,画枠には「少女が死に,そして,成る」,そう書かれているという。時間の経過の中で,表側の下地の石膏が剥がれ落ち,あたかも塗り残しのように見える。裏側でも石膏が崩壊し,はがれ,死んだ少女が再び現れる,そういう仕掛けらしい。今日電車の中で読んだ絵画についての本に書かれていた。今の話にジャストフィットだ。
完成して止まって見える絵画でさえ,時間の中にある。診断基準だって同じだ。ある時間の流れの中にある診断基準。時間とともに崩壊していく,あるいは何かに成っていく,結果でなく,経過を刻むような,そんな診断基準があればいいのだが。またしてもできるのは時間を止めてできた診断基準。もちろんそれ以外の診断基準なんてないのだけど。
90歳の老人もまた,時間の流れの中にいる。そして研修医も,もちろん私自身も。しかし何かを考えようとなると,流れを止めて考える。止めないと考えられない。流れを止めてしまったら,どうすればいいのか,わかるわけがない。
昨日と今日と明日が,病棟の部屋でも流れている。「今」に答えはない。その流れの中に答えはある。研修センターに戻って私に聞いたところで,時間は止まったままだ。決して明日に流れていかない。時間を止めたところに答えはない。時間を止めて考えることの気味悪さ。早くその気味悪さにこそ気づいてほしい。
今が大事,なんていうけれど,今っていつだ。時間よ,止まれ。でも止まらない。止まらないから無理やり止める。「今」というのはそういうことだ。時間を止めなければ,今なんてない。「今」より流れが大事,そうじゃないか。
行く川のながれは絶えずして,しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは,かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと,またかくの如し。
そう言えば,こんなふうに歌っていた歌手もいたな。
「答えは風に舞っている」
本当は,人と,すみかと,かくの如し,なのだ。いつも流れている。決して止まったりしない。それが普通だ。しかし自分自身の現実はどうだ。時間,流れ,それが頭に取り付いては離れない。答えは風に舞わない。時間を止める癖は,かくまで強固か。
研修医にパウル・クレーの絵の話をしよう。絵は崩壊する。崩壊することで成る。診断基準も。患者も。あなたも。私も。全部。診断基準を得て,診断基準以外はすべて失った。もう一度それを取り戻す。しかし,何の話だかぜんぜん通用しないだろう。方丈記を一緒に朗読してみる。行く川の流れは……。たぶん気が狂ってると思われるな。
そんな観念奔逸状態の私に研修医が一言。
「1年前といわず,5年前,10年前についてちょっと聞いて,調べてみます」
なんだ。馬鹿なのは自分じゃないか。研修医には問題を解決する能力がある。そんなことが信じられずにいったい何のセンター長か。今日はひたすら反省である。
名郷直樹 1986年自治医大卒。88年愛知県作手村で僻地診療所医療に従事。92年母校に戻り疫学研究。 95年作手村に復帰し診療所長。僻地でのEBM実践で知られ著書多数。2003年より現職。 |
本連載はフィクションであり,実在する人物,団体,施設とは関係がありません。 |