医学界新聞

 

教養としての
Arztliche Umgangssprache als die Allgemeinbildung
医  者  

ディレッタント・ゲンゴスキー

〔第2回〕 老先生の手紙


前回よりつづく

 くだらない,あるいは生意気だというお叱りを覚悟でおそるおそる連載を始めたところ,第1回を読んだ幾人かの方から励ましや賛同のお便りをいただいた。うれしい驚きで,かつ非常に心強い。紙面を借りて厚く御礼申し上げる。

 さて,前回は綴り間違いに和製独語と,ドイツ語として正しくない医者語ばかりを紹介してしまった。今回は一転して,正しいドイツ語教育を受けた世代の先生の文章の例を掲げよう。開業医からその地方の基幹病院への紹介状である。

 もちろん過去に出会った複数の手紙を思い出しながら作った筆者の創作で,特定の医師および症例には対応していない。


【例文】

診断:V. a. Lungenkrebs
 毎々お世話になります。○○殿(xx才男性)はHochdruckのため弊院に長年通院中のKrankeで御座います。1か月前よりHustenが続くためBrustの写真を撮りましたところ,左中肺野に毛羽立ちのあるSchattenを認めました。Bösartigなものが懸念されますので,御高診,御加療を宜しくお願いいたします。

標準的な日本語への訳
診断:肺癌疑い
 いつもお世話になります。○○殿(xx才男性)は高血圧のため当院に長年通院中の患者さんでございます。1か月前より咳が続くため胸部写真を撮りましたところ,左中肺野に毛羽立ちのある陰影を認めました。悪性のおそれがあると考えますので,ご高診,ご加療をよろしくお願いいたします。

年輪にうっとり

 カルテ診をしていると,最近は様式が一定の「診療情報提供書」やワードプロセッサで書かれた紹介状が多くなったことに気づく。しかし筆者は,要点を外さず書いてくださっている限りは,古風な手書きも風情があってなかなかよいものだと思っている。医院名の入った特製の便箋を使い,綴りも意味も正しいドイツ語を適所に散りばめた,簡潔にして依頼意図明瞭なフリースタイルの手紙が万年筆のインクの色も鮮やかにしたためられていると,その先生の人柄と医業歴を感じて,うっとりと敬愛してしまう。感傷はさておき,例文に使われている用語にゲンゴスキー的解説を加えよう。

疑診

 V. a.とはVerdacht auf(フェアダハト・アウフ)の略。Verdachtは疑念,疑いを意味する名詞,aufは前置詞で,ここでは「~に対する」といった感じで用いられている。医学生,レジデントの皆さんもきっと多用している,英語のs/o(suggestive of)に当たる。また,英語でいうr/o(rule out)のニュアンスの時はnegieren(ネギーレン)という動詞が好んで使われ,例えば例文の最後の文ならば「Bösartigなものがnegierenできないように思いますので……」などとなる。

ガチャリと合体!

 Lungenkrebs(ルンゲンクレブス:ドイツ語では子音の前のbは無声化して[p]音になるので本来の発音に近くカナ表記するとルンゲンクレープス)は名詞Lunge(肺)に複合語を作るための「-n-」が付き,続けて癌を意味するKrebsが,語頭が小文字になって綴られる。ドイツ語は既存の語を合体ロボットのようにガチャリと組み合わせて,ひと綴りにした複合語を作る傾向が強い。

 この語も英語ならlung cancerと2語になるところがひとかたまりになっており,朴訥(ぼくとつ)とした味わいがあって楽しい。ちなみに筆者はドイツ語を習い始めたころ,手袋のことをHandschuh(手+靴)と呼ぶと知って感激した。しかしながらGallenblasenkarzinom(胆嚢癌),Bindehautentzundung(結膜炎:Entzundungは炎症)のように3語分の合体産物になってくると「どこで切れるのかわからない」「うなぎみたいに長くてつかみどころのない」厄介物として,ドイツ語が嫌いな理由の1つにあげる人たちもいるのである。なお,各臓器の名称にKrebsを付ける病名についてはいずれ稿を改めて詳しく述べてみたい。

医者語って名詞が多いゾ

 医者語は日本語の変種であるから,横文字の用語も漢語と同じようにかな混じりの文脈に埋め込んで使われ,冠詞や活用語尾変化は原則として付けない。例えば前回紹介したKurが「化学療法を6回行って寛解した」という趣旨の文章中に使われても,Kurenと複数形で記載されることはまずない。そして外来語は文中で中心的な意味を担う性格上,品詞としては圧倒的に名詞が多い。

 例文でも一語を除き横文字表記の語はすべて名詞で,ドイツ語では大文字で始まっているので見分けやすい。順に補足説明すると,Hochdruck(ホーホドルック)は高いという意味の形容詞hochが接頭語としてBlutdruck(血圧)の「圧」の部分についたもの。英語のhypertensionと似た造語法だ。

 医学小説やドラマでおなじみの語,Kranke(クランケ)は形容詞krank(病気の,病んだ)が名詞化した形(つまり,病気の人)。Husten(フステン)は咳を意味し,咳止め薬の名前にはフストジル(閉じるにかけている),フスコデをはじめ,この語の一部を含むものが多いので,注意して探すと楽しい。Brust(ブルスト),ドイツ語では英語のchestとbreastの両方の意味を含んでおり,文脈により胸部全体を指す以外に乳房の意味になることがある。ちなみに腹部はBauch(バウフ)。

 Schatten(シャッテン)は陰影のことで,英語のshadowやshadeと同じ語源。最後に出てきたbösartig(ベースアルティッヒ:たちの悪い,悪性の)は例文ではたまたま文頭にあるので大文字で始まっているが,後ろに「な」を従えていることでもわかるとおり形容詞である。対語はgutartig(グートアルティッヒ:おとなしい,良性の)。

ジェイエルって何ですか?

 例文の紹介状はフリースタイルだが,もちろん項目を立てた書き方の紹介状もある。そういえば「古いカルテを調べようとしたら,最初のページに大文字2つの暗号みたいなものがいくつも出てきて独和辞典を引いてもわからなかった」とレジデントたちから体験談としてよく聞く。それはきっとH.K.,J.L.,V.G.,H.B.(あるいはF.K.)のことだろう。順にHauptklage,jetziges Leiden,Vorgeschichte,hereditare Belastung(Familienkrankheit)の略だ。

 Haupt(主たるもの)とKlage(愁訴)が合体すればハウプトクラーゲ「主訴」。Leiden(苦しみ)を形容詞jetzig(今の)が中性名詞用に語尾変化した形で修飾してイエッツゲス ライデンは「現病歴」。Geschichteは歴史,物語,それに「前の,以前の」を意味する接頭語vorが付いたら……そう,フォーアゲシヒテとは「既往歴」だ。Belastungは積荷ないし負担,それをラテン語起源の,英語hereditaryからの類推で意味がわかっちゃう形容詞が修飾すれば,ヘレディテーレ ベラストゥンクで「遺伝的な(負の)素因;家族歴」となる。もう1つの言い方ファミーリエン クランクハイトは「家族」と「病気」が連結の「-n-」をなかだちにくっついたもの。つまり4つの暗号は若い先生方がふだん英略語でC.C.(chief complaint),P.I.(present illness),P.H.(past history),F.H.(family history)と書いている項目にそれぞれ対応していたのだった。

古カルテ探検には必携?お勧め辞書

 普通の独和辞典に出ていないが綴りはわかっている医学ドイツ語を調べるには,平井信義編『独英和医語小辞典』(文光堂,1972年改訂第2版発行)が非常に役に立つ。対応する英語が載っているのがよい。ただし,発音記号は付いていない。

つづく

次回予告
 さてこの次は某科の用語を特集したい。「しばらく前からohne VeranlassungにCoxalgieを生じ,近医の湿布でVerlaufをbeobachtenするもzunehmenして最近はGangstörungもきたしているKranke」が受診する専門領域だが,何科だろう?

脚注例外としてein Arztをあげておく。医者をあらわす名詞に不定冠詞が付いて「一医師;とある(へぼ)医者」。英語のa local doctorと同じく軽蔑のニュアンスを含むことがある。医者語では発話者自身の謙遜にも使われる:「これはあくまでもアインアルツトの意見ですから,専門家にも確認してくださいよ」。


D・ゲンゴスキー
本名 御前 隆(みさき たかし)。1979年京都大学医学部卒業。同大学放射線核医学科勤務などを経て現職は天理よろづ相談所病院RIセンター部長。京都大学医学部臨床教授。専門は核医学。以前から言語現象全般に興味を持っていたが,最近は医療業界の社会的方言が特に気になっている。