医学界新聞

 

鼎談

中国医療の現状
-医療の市場開放・SARSを経て
孫貴範氏
中国医科大学
公共衛生学院院長
森岡恭彦氏
日中医学協会
理事長
紀伊國献三氏
笹川記念
保健協力財団理事長


 交通・情報手段の飛躍的な進歩が世界をより身近にした。反面,鳥インフルエンザ・SARSなどのアウトブレイク防止には多国間で協力が不可欠になり,隣国との情報交換・医療交流の重要性が高まっている。しかし,日本の医学交流は欧米中心で,周辺のアジア諸国との交流は乏しい現状である。

 今回,中国との医学交流を推進している,森岡恭彦氏(司会:日中医学協会理事長),紀伊國献三氏(笹川記念保健協力財団理事長),そして笹川医学奨学金制度1期生の孫貴範氏(中国医科大学公共衛生学院院長)に,中国医療の現状や日中間の医学交流の意義などを語り合っていただいた。


■経済発展にともなう環境問題

森岡 本日は,中国の医療・医学の状況,そして日中間の医学交流について,ちょうど来日中の孫貴範先生を交えてお話ししたく席を設けました。

 孫先生は,中国医科大学の公共衛生学院,日本でいうところの公衆衛生学院の院長を務めておられます。また,笹川医学奨学金制度の1期生でもおられます。紀伊國先生は,ご承知のように,病院管理学の権威でおられる一方,中国関係では20年以上にわたり中国からの留学生受け入れ制度である笹川医学研究者制度を立ち上げ,毎年約100人,総計1800人の中国からの研究者の交流に多大なご尽力を注がれています。そしてたびたび中国にお出かけになられ,中国の現状にも精通しておられます。そういうお2人を迎えて,中国の医療・医学の状況と今後の展望についてお話を聞きたいと思います。

 まず,孫先生のご専門である公衆衛生のことから聞きたいと思います。中国経済は急速に発展し,公害等の環境衛生についての問題点が見受けられますが,いかがでしょうか。

公衆衛生教育の必要性 -井戸の功罪

 中国経済はこの20年間で急速に発展してきましたが,環境問題についてはまったく考えてきませんでした。その顕著な例が大気汚染です。私の大学は瀋陽にあるのですが,一時は10分外を歩いたら顔が真っ黒になってしまうほど酷い状況でした。しかし政府が熱心に改善に取り組んだことで,現在はかなり改善されています。

 大気汚染のほかに,中国国民13億人のうちの農民10億人が対象となる「地方病」,日本でいう風土病対策がクローズアップされています。特に水質汚染によって,砒素中毒やフッ素中毒などが多数発症しています。フッ素高濃度汚染者は約1億人,砒素高濃度汚染者は約300万人に上ると推測されています。しかし水質汚染は大気汚染と異なり,自然汚染によるものです。

 なぜ最近になり砒素・フッ素中毒が発生してきたのか。文化大革命後,農民はお金や土地を与えられポンプ式の井戸を作りました。その井戸の水に高レベルのフッ素や砒素が含まれていたのです。そのことがわからないまま10年,20年と使い続けたため,中毒患者が多数でてしまいました。これは東南アジア広域で起きている問題です。大気汚染はだいぶよくなりましたから,今は水質汚染の問題に取り組んでいます。

 ともかく中国の医学・医療分野で公衆衛生は今でも大きなウエイトを占めています。

紀伊國 井戸を作って便利になったら被害が広がったというのは皮肉なものですね。ところで大気汚染が改善したいちばんの要因はなんでしょう。

 暖房の燃料です。11月に入ると揚子江の北側全体が暖を取らなければ過ごせないほど寒く,昔から石炭を使っています。しかし石炭で暖を取ることは環境に悪いです。1つの村で大きいものから,小さいものまでたくさんのボイラーを使いますから,大気汚染は半端じゃないのです。最近の政策で,地域全体で暖房をする中央暖房に変更されずいぶんよくなりました。

紀伊國 では井戸水の問題は,どのように解決を図っていこうとお考えですか。

 いろいろな方法を試している状況です。砒素を例にあげると,井戸の約30に1つの割合で高レベルを示します。その場合,新しい水源を探し,全戸に水道を引くようにしています。しかし中国は広すぎます。村と村が近いところはいいのですが,内モンゴルなどは隣の村と30km以上離れていますので,全戸に水道を引くことは無理でしょう。

 1つの村の中に100の井戸があれば,必ず汚染されていない井戸があります。その井戸の水を,飲み水や料理に使うようにして,汚染されている井戸の水は,洗濯などに使うよう教育しているところですが,なかなか難しいです。とにかく中国は広大ですから……。

紀伊國 そこが孫先生の腕の見せ所でしょう。中国の急速な発展の影響で日本にも,酸性雨や風に乗って黄砂が届くなど影響が見受けられます。独立した空間でそれぞれの国が存在しているわけではありませんので,環境問題は国際レベルで協力しなければならないと思います。

■情報共有の重要性

SARSの経験から

森岡 紀伊國先生から国際レベルでの協力という言葉がでましたが,中国でSARSや鳥インフルエンザの問題が起こりましたね。そのことについてお聞かせください。

 SARSが流行した際,おおげさではなく毎日,目が回るほどの忙しさでした。どのように対処すればよいのか情報があまりに少なすぎ,手探り状態だったからです。今のところSARSは収束しましたが,中国政府は警戒を続けています。

紀伊國 SARSの問題で改めて国際協力の重要性が浮き彫りになりました。これだけ交流が盛んになりますと,何かが起きた時,一国だけの問題ではすまないとつくづく感じました。鳥インフルエンザの問題でも,2国間,あるいはWHOなどを通した国際的な協力が重要になります。

 この2件をとっても国際協力の重要性を,各国に知らしめたことは非常に意義の深いことだと思います。

森岡 SARSは,たしかに中国にとって大きな転機となりましたね。情報を閉ざしたことで,対策が大幅に遅れたのですから。

 あれ以後,中国は情報を公開するようになり,今回の鳥インフルエンザでもWHOに協力しています。その意味でもSARSは中国にとって教訓になっていますね。

 そうですね。そして今後はこの経験を活かし続けていくことが重要だと思います。ですが私はSARSよりもHIV/AIDSなどの性感染症や結核を警戒しています。

 HIV/AIDSや結核は世界的にも増加していますが,中国ではここ数年感染者数が倍増し続けています。以前は大都市だけの問題でしたが,現在は河南省の農民の売血問題などで徐々に農村へ広がりつつあります。いちばん多い感染経路は薬物の注射によるものです。割合的には現在少ないのですが,性交渉による感染も増加していくでしょうから,農村でのHIV/AIDS予防教育が重要になってきています。

紀伊國 農村の問題は,これからますます重要になってくると思います。率直に言わせていただくと,医療格差がますます大きくなっているのではないかと心配しています。そして医療を受ける場合でも,沿海部,都市部に住んでいる方たちは,よい医療を受けられる。一方で,農村部の方たちは難しいの一言ですね。

 日本でも格差がないとは言いませんが,これからの医療の問題は,この格差をどのように縮めるかが大きな課題ですね。

森岡 たしかに,一歩都会を出ますとまだまだ厳しい現状がありますね。これには経済政策上の問題もあり解決はそう簡単ではないと思いますが,改善されていくことに期待しています。

 そうですね。国土も人口も非常に大きいためなかなか難しい現状ではありますが,少しずつでも改善していきたいです。

人員不足と職種偏在の問題

紀伊國 孫先生は,日本にたびたび来て,日本の医療をご覧になっています。日本の医療体制は悪いという人もいますけれども,日本の医療はバランスがわりあいに取れていると思います。

 中国では医療人員の問題でも,医師の数がかなり不足していますね。この点はどのように改善しようとされているのでしょうか。

 国土が広く人口が多いこともあり,医師の絶対数が不足しているのは事実です。しかし,本当に医師不足が深刻な問題となっているのは県以下(注:中国の行政単位は,上位から省級,地級,県級,郷級という組織形態からなる)の地域です。大都市は医師が多すぎ,農村部は少なすぎるということです。現在,笹川医学奨学金制度で日本へ留学する医療関係者は約100人ですが,大部分が大都市の大学や研究所に所属している優秀な人たちです。ですから多くの人は,卒業後も都市部を離れません。この医師の不均等な分布は日本でもありますよね。

森岡 中国ほどではありませんが,偏在は確かに日本にもあります。中国では医師数がまったく足りていないこともありますが,その他で,偏りの最たるところは医師のほうが看護師より多いことでしょうね。日本の医療従事者にとっては耳を疑ってしまいますが……(表)。結局,患者さんのケアは,家族もしくは資格のない人に頼っていることの裏返しでしょう。さまざまな問題を内包していますね。この点についてはいかがですか。

 中国の医療従事者数の推移(人)
  1980年 1990年 2000年 2004年
総医療従事者数 279万8241 389万7921 449万0803 438万9998
医師 70万9473 130万2997 160万3266 152万0967
看護師 46万5798 97万4541 126万6838 130万7814
薬剤師 30万8438 40万5978 41万4408 35万5284
その他 131万4532 121万4405 120万6291 120万5933

 日本,アメリカ,ヨーロッパにおいて看護師は重要な役割を担っています。日本の看護師数は医師の数倍いますよね。それに比べ中国は極端に少ないのです。看護師不足というレベルではありません。私たちが病気を患った時,医師だけではなく,看護師も必要です。しかし大都市でさえ,医師と看護師のバランスは取れていないのです。

紀伊國 医師に関しても中国はまだまだ全体の数が少ないのでまずは増やす,ということが必要ですね。また孫先生が言われたように,看護職をもっともっと大事にしなければいけない。それはリハビリテーションなどにも同じことが言えますね。近代の医療は,さまざまな職種の人が必要ですから,そういう人たちの教育にもバランスを取る必要があるでしょう。

 医療の世界で,医師ばかりではなく,さまざまな職種が必要だということがわかってきて,国民も要求し,看護師自身が,「私たちがいたら,このように医療がよくなりますよ」と積極的に発言すべきです。中国にも護理協会という看護師の協会がありますから,もう少し自分たちの地位を高める運動を行うことが必要でしょうね。

 そうですね。看護師不足は深刻な問題です。市場経済の考え方が入っても,看護師が必要なことに変わりはありませんしね。最近は,老人問題もあり有料の老人ホームがあるんです。しかし,看護師が足りなければ誰に頼めるでしょうか(笑)。

森岡 日本でも看護師のなり手がなくなったら大変なことですね。日本は現在も看護師はわりと人気があるので助かっています。ですが,なり手が少なくなった時,日本でも非常に大きな問題となるでしょう。

■市場主義導入がもたらした諸問題

所得格差 -医療へのアクセスの不平等

森岡 意外なことに共産主義の国である中国は,日本よりはるかに内陸と沿岸部の貧富の差が大きいですね。その点で医療を市場経済に開放したことの,患者さんへの影響はどうでしょうか。

 医療を市場経済に開放した結果,私の病院では1000元,あちらの病院では2000元といったように診療価格の差が見られます。それでも,よいサービス,よい薬を出さなければいけません。それは競争ですから……。

紀伊國 中国の病院に行くと,「○○先生の診察,何元」と書かれています。日本では,森岡先生の手術と卒業したての医師でも,同じ診療報酬というのはいかがなものかという議論もありますね。

 たしかに新人医師と森岡先生の手術料が同じなら森岡先生に執刀していただきたいですね(笑)。ですが,医療は健康のために重要なサービスです。医療は社会主義の中だけでなく,資本主義にあっても変わりません。

 しかし,今の病院はお金儲けのために経営をしています。そのしわ寄せが患者さんにいっています。そして最も苦しんでいるのが10億人の農民です。農民には,医療保険がありませんから全額自己負担です。

森岡 所得格差が広がっていることを,中国政府の人たちは切実に感じ,いろいろ手を打とうと考えておられるでしょう。

 かつて日本でも,同じように深刻なへき地問題があり,そういうところへ医師を強制的に行かせようと議論がありました。中国では,あまり聞きませんね。昔,中国では下方政策がありました。現在の政府はあのように強制することは,自由を認める気運が強くなりできないということですか。

 そうですね。良い意味でも悪い意味でも自由を認める方向に進んでいますから,強制することはできないでしょう。

 とにかく地方,つまり農村に医師がいないこと,そして農民は物々交換を今でも行っている場合もあり金銭収入が乏しいことが重い病気を患った時に問題となります。都市へ行く移動費を捻出するだけでも大変なのに,さらに保険に加入していないので全額自己負担の入院費は親戚や村の人たちに借りなければとても無理です。

 私見ですが,病院の経営は市場経済に任せてはいけないと思います。日本のように医療へアクセスしやすいことも国民の健康維持には重要なことですから。

紀伊國 確かにそうですね。孫先生は,日本でも勉強し,視野が広いから特にそう思われるのではないでしょうか。しかし日本では経済人で,「医療を市場経済でやればきっと今よりもっとよくなるはず」と考える人がおります。その方々の中には,医療の内容について十分な知識を持っていない人がいます。そこが心配です。

森岡 市場経済への開放を要求する声は昔からありましたが,最近はより顕著になってきましたね。

紀伊國 そこをどうするかというのは,これから考えなければならないことです。

 もし経済格差が拡大し,医療の格差も拡大したら,将来の社会は不安定なものになります。日本でも市場経済導入については慎重に議論していただきたいと思います。

紀伊國 中国でもこのような発言ができるようになってよかったですよ(笑)。

医学研究-頭脳の流動化

森岡 医学研究についてですが,¥外字(cc24)華大学などには立派な研究室があり,トップクラスの仕事が出ていますね。ただ,全体的なレベルはまだまだかなという印象をうけます。研究費の面は十分確保できているのでしょうか。

 最近はよくなってきました。年々1つの研究課題に出される研究費は高くなっていますし,サポートされるタイトルも多くなっています。日本やアメリカ,ヨーロッパと比べるにはまだまだですが,状況は改善しています。それ以上に研究しなければならない課題が増えていますので研究費は不足しています。

森岡 日本でも幅広いフィールドの研究がされています。いちばん力が注がれているのは,やはりがんですね。そのあたりは中国も変わりませんか。

 がんは中国でも研究費が集中している分野の1つです。また先ほど話しましたHIV/AIDSもですね。あと心臓血管病や糖尿病もそうですね。

森岡 何がいちばんですか。やはりがんですか。

 がん研究です。治療法確立にはまだまだお金をかけてやらなければいけませんから。

紀伊國 研究に関して中国の方の多くが外国で勉強・研究されています。昔は外国に行ったきり帰ってこない「brain drain=頭脳流失」の問題がありましたが,今でもその辺りは変わらないのでしょうか。

 現在もありますね。ですが,昔と違い「留学先でよい環境があるのならば無理に帰ってこなくてもいいですよ。帰ってきたくなったらいつでも戻ってきてください」という柔和政策に変わり精神的負担が少なくなりました。ですから外国で実績を積んでから中国に戻り研究をされる方が増え,中国国内での競争が激しくなってきています。

■日中医学交流-交流を通じ双方向の理解へ

森岡 最後に,両先生に,日本・中国双方について今後の展望をお話しいただきたいと思います。

紀伊國 日本は医療に限らずさまざまな分野で,中国,あるいは韓国も含めて,東アジア文化の協力関係が,ますます必要になってくるだろうと思っています。今後,一人っ子政策が実施されている中国では,確実に高齢者問題にどう対応していくかということも起きるでしょう。超高齢化社会が目前に迫っている日本は協力できますし,他のいろいろな分野でも同じです。長い期間をかけて交流することが重要と思います。ですから関心のある方々を分野を広げて引き込んでいきたいと思っておりますし,日本も中国との医学交流を通じていろいろなものを学んだと思います。

 基本的には日本に来ていただいて,研究して帰っていただくということなのですが,日本の若い方々も中国からいろいろなものを学ぶ機会を得ています。これまで笹川留学制度では中国のお金持ちがたくさんいる地域からだけではなく,中国全土,辺隅の自治区から来ておられますから,意義のあることだと思っております。

 今後も医学交流を継続できるなら,目覚ましい経済発展をしている中国側にも何らかの負担をお願いして,対等な関係が交流を意味のあるものにすることだと思います。

 私は今後も日中交流は必ず発展すると自信を持っております。特にこの笹川奨学金制度は,選抜に際しチベット,シンジャンなど自治区の大学からも選抜していますので,中国全土で知られています。ですから本制度の影響はとても広く深いです。

 この制度を通じた日中の医学交流は,双方にとってよい刺激となっていますので,今後も継続を切に願っています。また,今までに築いてきた交流の絆は,今後の日中関係の礎であり続けることを確信しています。

森岡 最近,中国では反日デモがあったり,小泉首相の靖国神社参拝問題などでギクシャクしてきています。国と国との関係というのはどうしても難しくなってしまいますが,民間レベルでお互いに行き来し,人が交流することがいちばん大切だと思います。ですから,今後とも多くの中国の方が日本に来て,日本人も中国へ行って交流を深めることが大事だと思います。ぜひ,そういうふうに発展していくことを希望しております。

 本日は,お忙しいところをありがとうございました。


森岡恭彦氏
1955年東大医学部卒。72年自治医大消化器・一般外科教授。81年東大第一外科教授。90年関東労災病院長,91年東大病院長,宮内庁御用掛,94年日赤医療センター院長。2001年東大名誉教授。現日中医学協会理事長。『医の倫理と法-その基礎知識』(南江堂),『死にゆく人のための医療』(日本放送出版協会)などを執筆。

紀伊國献三氏
1957年国際基督教大卒。61年ノースウエスタン大大学院卒,同年,厚生省病院管理研究所研究員。70年ミズーリ大客員教授。77年筑波大社会医学系教授。93年東女医大客員教授。97年国際医療福祉大医療福祉学部長。2000年より笹川記念保健協力財団理事長。

孫貴範氏
1973年中国医科大卒,同大衛生学部教師。82年同大学院修士課程修了。87-88年,93年-94年筑波大研究員。94年中国医科大公共衛生教授。97年から同大公共衛生学院院長,同大予防医学研究所長。現在,中国地方病協会常務理事,中国衛生部地方病専門家諮問委員会副主任委員などを兼任。中国7年制・8年制用医学教材『予防医学』を執筆。百編余の論文を発表。