医学界新聞

 

【投稿】

タイ山岳医療実習日記

窪田 祥吾(金沢大学医学部6年生)


 1日目の夜,小さな救急処置室では下痢で脱水を起こした男の子が1人,鼻出血が止まらないという女性が1人,そして交通事故で頭蓋骨をむき出しにして運ばれてきたばかりの男性1人が処置を受けていた。するとそこへ,COPDのお爺さんがひどい呼吸困難を訴えて運び込まれてきた。必死で息を吸おうとするが,吸えない。見る見るうちに頸静脈は怒脹し,胸はパンパンに張ってきた。「緊張性気胸・」教科書でしか見たことのない文字が頭を過ぎる。と思う間もなく,3年目になったばかりの女性医師は18ゲージの針を前胸部に刺し,空気の返りを確かめるなり,側胸部にドレーンを挿入する。気がつけば応援に来たもう1人の女性医師が反対側にもドレーンを入れていた。お爺さんの呼吸が落ち着いていく。僕は部屋の隅で,この山奥の病院を支える2人の3年目女性医師の手馴れた動きに釘付けになっていた。

 ここはタイの首都バンコクより夜行バスで一晩北へ行ったところにある,ミャンマー国境沿いの町メソートからさらに車で4時間,山岳地帯にある人口5000人ほどのウンパーンという村。

 ここでは4階建ての病院が村で唯一の「建物」。丘に上がれば村が見渡せるほどの集落だ。村から少し離れた森には東南アジア最大級の滝や澄んだ小川が流れる,大自然の中。僕は将来国際医療に携わりたいと考えているため,今年度から金沢大学では6年生の前半を自分の選んだ病院でクリニカル・クラークシップができるようになったのを期に,高校時代に留学していたタイでへき地医療実習をすることにした。留学時代の同級生が働いているへき地病院で,1か月受け入れてもらうことになったのである。

山岳地域の中核病院

 敷地内にマンゴーの実る,この長閑な田舎病院には3人の常勤医師,うち30歳代の院長は事務仕事に追われ,実質的には僕と同じ27歳の女性医師2人と看護師30人,検査技師など数人で,ウンパーン村の周辺も含め,約5万人が住むと言われる山岳地帯の医療保健を支えている。周辺には病院がないため,このあたりの山岳地帯に点在する村々の中核病院であり,スタッフは交通が不便な村にはヘリコプターで往診をする。患者さんの中には2日間山道を歩いてくる人もいる。

 タイの西側には,ミャンマーからの難民が多いためUNHCRのような国連機関や各種NGOも活動しており,ウンパーン病院も難民キャンプからの患者さんを受け入れている。病床数は30床だが,ベッドの間や廊下の床にも患者さんが寝ているので,入院患者数は60人ほど,家族全員での宿泊も珍しくなく,大部屋はいつも賑やかだ。都市から眼科医が来る日には階段の踊り場にまで,ござを敷いて寝ている。

 血液検査やX線,エコーなど基本的な設備は揃っており,一般内科,小児科,産科,外科では簡単な開腹手術を行っている。ここで手に負えない患者さんや検体は3次医療施設のあるメソートまで送るが,車で4時間といってもタイ語を話せない山岳民族にしてみれば,そこは外国。そこまで行くのならここで死んだほうがいいという患者さんもいるという。逆にもっと奥地の村や難民キャンプに行くと,2年間の訓練を受けたMedics(Medical assistant)と呼ばれる,いわば「準医師」たちや数か月の看護保健訓練を受けた村の「肝っ玉母ちゃん」たちが輸液や抗菌薬投与といった医療業務に携わっている。つまりこのウンパーン病院は準医師・準看護師が1次医療保健を行う診療所と,専門医が3次医療を行う都市病院の間に存在し,診療所スタッフの指導や重症患者の引き取り,また高度医療を必要とする患者を都市に送るといった,地域保健医療におけるリファーラル(患者紹介)・システムの中心的役割を果たしていると言える。

入院適応は出身集落が決め手

 患者さんにはやはり肺炎,下痢症,マラリアなどの感染症が目立つ。このミャンマー国境地帯はタイでも有数のマラリア蔓延地域であり,赤ちゃんとお母さんが親子そろってマラリアで来る光景なども見られる。世界的にもメフロキン耐性マラリアで悪名高い地域である。発熱があればマラリアが鑑別の第一にあがるため,診察室に入る前に疑わしきは看護師が採血をし,検査技師がスライドを見た後,「マラリアです」と言って診察室に入ってくる。

 風邪のように来るたくさんのマラリア患者のうち,脳マラリアなど合併症を起こした人と,自宅が遠く,今後合併症の危険性がある熱帯熱マラリアの人は入院,その他は風邪薬のように抗マラリア薬を処方されて帰る。これは他の疾患にも言えることだが,患者さんを入院させる際には疾患や病態の他にその人の出身集落が大切で,外来には一帯の集落の地図が置いてあるところに,山間の地域医療らしさがうかがえる。

難民キャンプを訪れる

 滞在中に,1万人規模の難民キャンプを訪れる機会があった。ある難民キャンプの男の子が髄膜炎菌による髄膜炎だとわかると,次の日にスタッフが病院のトラックに乗り込み,往復数時間かけてその難民キャンプまで赴く。密集した高床式住居に入り込み,家族や周辺の住民に予防薬を投与する一方で,キャンプ内の診療所に寄り,そこのスタッフに輸液の方法や病院へ送るべき患者のトリアージなどを指導する。この診療所の運営,スタッフ育成はフランスのNGOが担っていたが,その他にもDVやレイプなどのGender based violence対策に関わるアメリカのNGOや,農業を担当するオランダのNGOなども同じキャンプ内で活動しているようだ。

 いずれ祖国に帰った時のために職業訓練学校もあるが,診療所の医療スタッフたちは,ミャンマー政府がキャンプでの業績を認め,資格を与えてくれることは簡単ではないと話していた。

ウンパーン病院での1日

 実習はタイの学生と同じ扱いで医師の指導の下で診察や検査,手術に入れてもらった。朝8時前から医師とともに回診をした後,担当患者さんの処置オーダーを,時間をかけながらもタイ語で書く。その後,9時からは外来診療に加わる。午後からは手術があれば,1人が手術に入り,もう1人が外来を続ける。時間外外来も入れると多い日は医師2人で1日に100人近くの患者さんを診る。ここでは学生にも手術を執刀させるため,僕も2週間目からは医師に横についてもらいながら卵管結紮などの簡単な手術を執刀させてもらっていた。ここではコンドームなど売っている店もないので,避妊方法はこれが主流のようだ。その他は分娩や外傷の処置なども行わせてもらった。

 この地域の人口の80%がカレン族という山岳民族で,その他ビルマ人などタイ語が通じない人が多いため,患者さんとは「ここ痛い?」や「ご飯食べられた?」など必要最小限なカレン語を教わって何とか会話をするが,わからないところはタイ語を話せるスタッフや患者さんに訳してもらう。一番役に立ったカレン語は「オーカードー!(動かないで!)」。気管挿管や腰椎穿刺,胸腔穿刺など初めてのことばかりだったので,冷や汗をかきながら「オーカードー,オーカードー!」と叫ぶ毎日だった。この地域は識字率が低く,何か言いたそうにしている挿管中の患者さんに紙とペンを渡すと,紙に絵が描かれて返ってくる。絵心のない僕はこの患者さんとコミュニケーションの手段がなく,こんなところでハンディになるとは思ってもいなかった。道理で禁煙奨励ポスターもマラリア対策ポスターも絵が多いわけだ。

 外来や検査,手術が終わるのが5時頃。山の向こうに夕日が沈む頃,田んぼの中を自転車こいで屋台に夕食を食べにいく。土の匂いに蝉の声,川で水浴びしてる子どもたちが「先生,こんばんわー」と手を振ってる。そんな子どもの笑顔を見てふと思い出す。医者になりたいって思った頃に思い描いた絵の一枚にこんな風景があったなーと。

自分に合った医療

 国際医療に携わりたいという思いで医学部に入ったものの,普段の学生生活からは,なかなかその実態がわからない。今自分が学んでいる医療がさまざまな状況下でどのような使い道があるのかを見たくて,休みの度にカンボジアやパレスチナ,イラクなどでの医療活動を見に行った。大学で国際医療に興味ある友達とフィールドトリップなどをするサークルを立ち上げたが,毎年興味を持ってくれる後輩たちも少なくない。日本でも医療過疎化などが問題になっているが,学生のうちに地域医療などの魅力に触れる機会があると,そういう道に進む人も増えてくるだろう。そういった意味でもクリニカル・クラークシップのように大学では体験できない,自分に合った医療を見つける機会は意義深いものだと思う。


窪田祥吾さん
1978年大阪生まれ。高校の時タイで1年間ホームステイ,出家生活などを通じ,国際協力を志す。米国Wesleyan大学で仏教人類学を専攻し,インドへの留学などで地域に即した協力のあり方を学んできた。その後金沢大学に学士編入学,現在6年生。趣味・バイトとしてContact Improvisationというコンテンポラリー・ダンスをしている。