医学界新聞

 

新春随想
2006


患者の声を医療に活かす

開原成允(国際医療福祉大学・大学院長)


 医療が患者のためにあることは誰も否定しないが,私が大学を卒業した40年以上前には,主治医である医師が治療方針を決めて一方的に患者に通達するといった感じだった。この点は最近ではずいぶん変わり,医師は患者に病状をよく説明したうえで,治療方針を話し合って決めるようになった。

 上記は,医師と患者の個人的な関係の変化であるが,医療関係者と患者の関係には,もう1つ社会的な立場での関係がある。最近の社会では,いろいろな立場の人々がその立場を代表する形で発言することが多い。経営者を代表して経営者団体が発言する,医師を代表して医師会や病院会が発言する,大学を代表して大学協会が発言するというような場合で,例はいくらでもあげることができる。日本の行政においては,こうした「立場」の代表者が意見を戦わせて,ものごとが決まっていく場合が多い。

 このことを医療について考えてみると,医療関係者はさまざまな場で発言の機会を持っているが,医療のもう一方の当事者である患者が,「患者」という立場で社会的に発言する機会は日本ではこれまで非常に少なかった。社会的には,「医師が決めて患者に通達する」という関係がまだ残っているのである。医療は患者のためにあるのであれば,患者が医療のあり方についてもっと発言してもよいはずであるし,事実,外国などでは,患者会の代表が大きな発言権を持っている場合が多い。

 日本にも患者会がないわけではない。非常に多くの患者会があるのに,日本ではなぜ患者会が公式に発言する場を持っていないのかに私は長年疑問を感じていた。このため,私は国際医療福祉大学大学院の公開講座「乃木坂スクール」で,2005年の4月から7月まで13回にわたって,「患者の声を医療に活かす」という題名で,さまざまな患者会の人たちにその活動について講義をしてもらった。この講義は医療関係者には非常に新鮮で,医療について医療提供者とは違った見方があることを聴衆は皆実感した。反響が大きかったので,このたび医学書院から,この連続講義を基礎に同名の本が出版される。

 この連続講義の成果は,日本でも非常に優れた患者会が現在育ちつつあり,その「声」は日本の医療を改革するうえで非常に貴重なものであることがわかったということである。近い将来,日本の医療行政にも患者の代表が委員として加わり,医療関係者と議論を戦わす日が来るように思う。そうなれば,政府主導の医療改革よりは,はるかに優れた改革案が生まれるような気がしてならない。


「理学療法の可能性」を求めて

内山 靖(群馬大学教授・理学療法学/第41回日本理学療法学術大会大会長)


対象者の可能性をひろげる理学療法

 理学療法は,障害の予防を通して,対象者の日常生活および健康観の改善を支援するものです。現在では,世界保健機関が提唱した国際生活機能分類を共通の枠組みとし,動作学的な機能的制限と機能障害との因果関係を究明・解決しながら,生活基盤・社会貢献モデルとして症候障害学的な思考をてんかい(展開・転回)しています。

 対象者の生涯発達におけるあらゆる“場”を通して,健康増進と介護予防・自立支援,疾病や外傷による機能障害・活動制限/参加制約の軽減,再発予防によって,対象者のさまざまな可能性を引き出すために知識と技術を個別に適用していきます。

 そのために,多施設間無作為化比較対照試験,実践能力を高めるための教育カリキュラムなどを推し進めています。また,脳卒中,運動器,呼吸・循環不全を始め,多くの学会と連携して診療ガイドラインに資するデータベースやプロトコルを作成・検証するなど理学療法学の発展とともに,理学療法を理学療法士の手で確実に実施できるような体制作りが急務となっています。このため社団法人日本理学療法士協会では,学術・教育,社会・職能のバランスが取れた目標指向的な活動によってさまざまな方策を提言・実行する必要があります。

第41回日本理学療法学術大会に向けて

 2006年5月25-27日に,グリーンドーム前橋を会場に「理学療法の可能性」をメインテーマとした学術大会を開催します。研究・教育,臨床実践,職能・職域からみた可能性を模索し,対象者の可能性をひろげるための礎石にしたいと考えています。

 1200題ほどの演題と公募によるケーススタディの討議を中心に,脳科学・基礎医学(伊藤正男氏・東大名誉教授,佐藤達夫氏・東医歯大名誉教授),臨床実践(Luise Rutz-Lapitz氏・International instructor,里宇明元氏・慶大教授,鳥巣岳彦氏・九州労災病院長),社会に求められる専門職(永井和之氏・中央大学総長・学長,大川弥生氏・国立長寿医療センター研部長,村田幸子氏・元NHK解説委員)などの多くの視点から議論を進め,頭書の目標を達成するための場にしたいと考えています。


2006年の新春に思う

越前宏俊(明治薬科大学教授・薬物治療学)


 2006年は日本の薬物治療の歴史において大きな転回点として認識されることになるだろう。医学界の方々には周知度が高くないかもしれないが,薬剤師教育が2006年度入学者から6年制となる。薬剤師の臨床への参入がより高度になるにつれ,諸外国でも薬剤師教育の年限は延長されてきた。日本もついにその日を迎えたのである。

 薬物治療は非侵襲的な治療手段の主体であるが,薬物応答性の個人差は大きく,副作用なく満足する治療効果を得られる患者の割合は30-60%に留まるとの報告もある。薬物治療を体系的かつ科学的に研究する学問分野として,臨床薬理・薬学が欧米で呱々の声をあげてから40年を迎え,研究面では患者の薬物治療の個別化を薬物の体内動態や感受性の個人差に関わる諸要因を考慮して遂行する,テーラーメイド医療の一端を担う学問として確立した。しかし,そのベッドサイドでの臨床活用はいまだに日本の医療に広く浸透するには至っていない。

 医科大学における臨床薬理学教育の充実が重要であることは論を待たないが,以下に述べるような理由で個別化された薬物治療を臨床の場で実現するためにはそれだけでは不十分である。医療における薬物治療の選択と遂行における医療提供者(care giver)の父権主義は過去のものとなり,患者の自己決定権(patient autonomy)の尊重が叫ばれている。しかし,薬物治療に関わる情報は,医療情報の中でも特に難解な内容が多く,医療提供者と患者との間に情報の非対称性が大きい。

 このため,科学的に妥当な薬物治療を計画しても,それを患者の理解と同意との上で遂行するためには,公平かつ中立な立場で患者の薬物治療上の悩みを聞き,薬物治療の情報を丁寧に説明する患者の擁護者(patient advocator)の確立が必要となるだろう。薬科大学6年制の目的には,そうした医療人として薬剤師育成が設定されている。

 ただし日本の薬科大学の教育は,伝統的に基礎科学研究を中心とする歴史的背景を持っている。そのため社会が必要とする医療人としての薬剤師教育を実現するには,進行中の医師教育制度の変革に勝るとも劣らない大きな痛みを伴う大学の自己改革が必要となるだろう。2006年は,薬科大学における薬剤師教育が大きく変化する年となるのである。


時間の流れと医学・医療

中澤 誠(東京女子医科大学教授・循環器小児科学)


 2000年の新年午前零時をシャンペンで祝ったのがつい最近のように思えるのは,歳をとって時間が経つのが速く感じられるようになったせいなのか,歳をとったぶんだけいろんな役回りが増えて,時間の流れを感じる余裕がなくなったのか。いずれにせよ,もうあれから6回目の新年,2006年を迎えています。

 昨今は暗い話題が多い中,昨年11月わが国の宇宙探査機「はやぶさ」が小惑星「イトカワ」の岩石のかけらを採取した,と報じられました。その直前に小型探査ロボット「ミネルバ」が小惑星に着地したかどうか,何処に行ったのかわからなくなった,と言っていたので,アー,中国の宇宙開発技術にも水をあけられたのかとがっかりしていたところでした。この採取成功のニュースは世界的にも高い評価だったようで,技術大国を自称する国の一国民として誇りに思うと同時に,むしろホッとしたというのが正直なところです。

 この探査機がわが国を出発したのが2年半前,そして,小惑星の岩石のかけらを地球に持ち帰るのが2007年6月予定と言うのですから,気の長い話です。しかし,宇宙開発の面から見ますと,これはむしろ迅速な時間の流れなのかもしれません。時間の流れがそれぞれの状況で違うことは,いろんな場合に言えます。『ゾウの時間ネズミの時間』(本川達雄著,中公新書)の中に,哺乳類では「時間は体重の1/4乗に比例する」とあります。ヒトを60kg,マウスを30gとしますと,ネズミの時間はヒトの時間の約6.7倍となります。ヒトの1年はネズミの約7年で,十二支には「ネズミ」が入っていますが,ネズミの「新年」はヒトの暦では7年に1度ということでしょうか。今年は戌年ですが,イヌの寿命は長くてヒトの4分の1くらいなので,4年に1度のお正月ですか。うーん,お正月の気分が大好きな私にとってこれは長すぎます。