医学界新聞

 

シネマ・グラフティ

第11回
「キャバレー」


2663号よりつづく

■あの頃,私も若かった

 大の映画ファンである私からのアドバイス。「最近の映画はつまらない」「昔の映画はよかった」などと絶対に言わないほうがよい。「私も歳を取った」と自ら認めることになる。というのも,日本で公開される映画の多くはハリウッド製で,そのほとんどは10代半ばから20代半ばの若者を対象に作られているからだ。

 とはいえ,映画好きを自称する私もやはり1970年代の,私自身若くて,感受性が今よりは多少なりとも豊かだった頃の映画が好きである。そこで,心の中で「最近の映画はつまらない」とつぶやきながら,昔の映画を振り返ってみよう。

 時々,好きな映画を1本あげるように言われて,困ってしまう。1本に絞ることなどできるわけがない。たちどころに100本くらいの映画があがるが,「キャバレー」は確実に10位以内に入る作品である。

ナチとデカダンスのベルリン

 ナチズムが台頭し始めた1930年代初頭のベルリン。デカダンスも極みに達していた。キャバレーで司会者(ジョエル・グレイ)が歌い始める。まるで一時でも現世を離れて,夢の世界に誘うかのように。そして,いつかはスターを夢みるサリー・ボールズ(ライザ・ミネリ)もこの舞台に立つ。

 ある日,ロンドンからきた留学生ブライアン(マイケル・ヨーク)が,サリーのアパートにやってきた。そして,彼女の隣の部屋に引っ越してくることになった。ブライアンは彼女に紹介されたドイツ人のフリッツに英語を教え始める。

 徐々に関係が深まっていくブライアンとサリー。しかし,時代の変化には抗いようもなく,ナチスの台頭は確実に進んでいく。ブライアンの生徒に,ナタリアが加わった。彼女はユダヤ人の大富豪の娘。ナタリアがユダヤ人であることを知りつつ,フリッツは彼女にすっかり夢中になり,とうとう結婚。

 サリーとブライアンの関係も平穏ではあり得なかった。マクシミリアン・フォン・ヒューナ男爵が現れる。マクシミリアンはふたりを田舎の豪邸に招く。サリーは男爵夫人になるチャンスを夢想したが,マクシミリアンはバイセクシャルで,ブライアンとも関係を持っていたことが明らかになる。

 サリーはブライアンの子を身籠る。しかし,ふたりの将来はあまりにもかけ離れていると悟ったサリーは,ブライアンに相談もしないで,中絶する。傷心のブライアンはベルリンを去ることにした。ふたりは互いに愛し合っていることを知りつつ,それぞれの将来に向けて歩み始めた。サリーはそんな感傷を吹き飛ばすかのように,キャバレーの舞台で歌い上げる。確実に迫りつつあるナチスの時代をほのめかしながら映画はラストシーンを迎える。

懐かしい,自分だけの青春映画

 ナチズム,デカダンス,バイセクシャリズムと,扱う題材はきわめて重いのに,それでもすばらしい青春映画,恋愛映画になっている。今では50代の私にとって,忘れ難い映画である。誰でもこのように自分の世代だけの取っておきの映画というものがあるはずだ。「今の映画は……」という前に,懐かしい,自分だけの映画を思い出してみよう。

「キャバレー」(Cabaret)1971年,米国
監督:ボブ・フォシー

次回につづく


高橋祥友
防衛医科大学校防衛医学研究センター・教授。精神科医。映画鑑賞が最高のメンタルヘルス対策で,近著『シネマ処方箋』(梧桐書院)ではこころを癒す映画を紹介。専門は自殺予防。『医療者が知っておきたい自殺のリスクマネジメント』(医学書院)など著書多数。