医学界新聞

 

〔連載〕
感染症Up-to-date
ジュネーブの窓から

第4回 「フェーズ3-4」におけるパンデミック対応とは

砂川富正(国立感染症研究所感染症情報センター)


前回よりつづく

 この文章が世に出る頃は,明けて2006(平成18)年1月を迎えているはずである。本稿を書いている2005年11月24日(ジュネーブ時間)にも,中国が3例目のインフルエンザA/H5N1ヒト感染確定例(2例の死亡を含む)を発表したことがWHOより示され,A/H5N1の世界における状況は,日々じわじわと緊迫の度合いを増しているように見える。現時点でのパンデミックフェーズは,全6段階中(国立感染症研究所ホームページの表参照http://idsc.nih.go.jp/disease/influenza/05pandemic/WHOtable.pdf)の第3段階目(ヒトへの新しい亜型のインフルエンザ感染が確認されているが,ヒトからヒトへの感染は基本的にない)である。ヒトに感染しうるウイルスへの変化が見られ始めた時,フェーズ4の段階となるが,これまで東南アジアの国々(ベトナム,タイ,カンボジア,インドネシア)および中国より報告されている感染患者(2005年11月24日時点で患者数131人,うち死亡者数68人)のほとんどは感染した鳥からヒトに感染が起こったと考えられており,まれに限定的なヒト-ヒト感染が起こったことも推定されている(ウイルスの性質は鳥インフルエンザのままである)。

 日本ではヒトの発症者はこれまで報告されていないが,山口,大分,京都,茨城等の複数の自治体において鳥インフルエンザウイルスによる鶏の集団感染が報告されてきた(関東地方では弱毒のA/H5N2)。この冬の状況に思いを馳せる時,劇的に変わることはなかろうという思いと,それを保証するものもないという相克した感情にとらわれる。しかしながら大事なことは,世界中の公衆衛生・防疫担当者は落ち着いてプロフェッショナルとしての準備を行い,業務をこなすべきということだ。筆者の胸に,約2年前の2004年春に対応を支援した,京都府における鳥インフルエンザ事例が思い出された。

京都での経験-2004年春

 筆者は国内の鶏における鳥インフルエンザ集団感染事例(京都)にて実際に対応に関係した。2つの養鶏場を合わせて24万羽が処分された。現場で対応に当たった自治体をはじめとする人々の誠心誠意の努力は特筆すべきものであり,筆者は今でも大きな敬意を感じずにはいられない。筆者の業務は各関係機関の間を調整し,FETP(国立感染症研究所実地疫学専門家養成プログラム)とともに現場の防疫作業を情報収集と感染予防の面から支援することであった。その作業従事者において臨床症状を呈した者は幸いにもいなかったが,数名のマイクロ中和抗体陽性者(1名は抗体陽転を確認)があったことから,わずかながらにヒトへの感染があったと考えられた。どのような状況で感染が起こったのか……2つの大きな印象が残った。

 1つ目は,鳥インフルエンザが発生しているかもしれないという情報に乏しい状況下で病気の鳥(病鳥)の状況チェックに入らざるを得なかった人々は感染のリスクが比較的高かったということだ。これは,各国で病鳥と無防備に接触した者に感染が発生している状況とまったく同じで最もリスクが高い。やはり,事前に情報をいかに共有し,備えるかがカギである。次に,大量の鳥を処分する任務に当たった人々は医療従事者ではなく,PPE(感染防護具)の着用を含め,医学的な清潔・不潔の操作を短期間で修得することは非常に難しかったということである。すべての作業員が感染予防策を常に遵守できたとは思えない。これは鳥の処分に当たる人々にとって世界的な傾向であるとの情報を聞く。京都においては,結果的にウイルスのヒトへの感染力はそれほど強くはなかったわけだが,今後,日本においてもどこで発生するかわからない鳥インフルエンザによる鶏等の集団死への対応に関して,作業従事者の健康面での追跡(場合によっては治療も)をより慎重に行うと同時に,一般の人々への感染予防策に関する教育・周知の効果的な方法を検討すべきであると痛感された。

フェーズ3-4はすべてリスクで考える

 鳥インフルエンザがヒトのパンデミックに移行することが懸念されて久しい。「問題は発生するかではなくいつ発生するかだ」と多くの公的な情報源の中で繰り返される。臨床や公衆衛生の現場で気をつけなければならないのは,最初から鳥インフルエンザあるいは新型インフルエンザに罹患した顔をして患者は現場には現れないということだ。病鳥との接触のあった有症者は感染した「リスク」を有する。医療機関における感染防護は万が一のウイルスの曝露があるかもしれないとか,(真の感染率は不明だが)報告された発症時の致死率が高いから,という「リスク」に対して行われる。さらには,鳥インフルエンザ発症と思い込んでいた患者が,実はウイルスは突然変異を起こしており,新型インフルエンザに変わっているかもしれないという「リスク」もある。

 まさに,想像力の世界である。危機管理における想像力の欠如は時として大きな惨事を招く,とはかつてテロに対して用いられた言葉であった。今回も,痛感しているのは私だけではあるまい。強調したいのは,単に想像を巡らせよということではない。臨床および公衆衛生のプロフェッショナルとしてのわれわれは,自らが周知すべきリスクおよびその対応方法の習熟に加えて,リスクの概念から具体的に地域に応じた対応の体制を構築すること,そして地域全体にリスクをうまく伝えていく役割を背負っている。

つづく