医学界新聞

 

シネマ・グラフティ

第9回
「桜桃の味」


2653号よりつづく

■遺言ならぬ遺DVD

 私は今52歳。人生も半分以上が過ぎた。同世代の仲間が突然,大病に倒れたり,亡くなったりすることも時々経験する。明日はわが身だ。すでに遺言を書いたという友人さえいる。

 しかし,遺言を書くのは私の柄ではない。ありきたりの言葉も気恥ずかしいし,残すほどの財産もない。ところが,ふと,遺言ならぬ遺DVD(遺ビデオでもいい)を思いついた。娘や息子にはこの映画,親友にはあの映画と,伝えたいメッセージを映画に託すというのはどうだろうか。

 何を伝えたいかはその映画を観た人の解釈次第。解釈は千差万別だろう。無味乾燥な遺言などよりもよほど面白いと思うのだが,さて,もらった人はかえって迷惑かもしれない。でも,観たくない人は観なければよい。こんな考え方はどうだろうか。

自殺志願者と老人の出会い

 「桜桃の味」は不思議なタッチの映画である。

 埃っぽい道を,中年の男バディ(ホマユン・エルシャディ)が自動車を走らせている。彼は仕事を探していそうな男を見つけては,山の中まで連れていき,穴を指さして,妙なことを頼む。「明日の朝,私はこの穴の中に横たわっているから,私の名前を呼んでくれ。もし返事をすれば助け起こし,無言ならばそのまま土をかけ,埋めてほしい」

 誰も進んでこんな願いを引き受けてくれはしない。男は延々と車を走らせながら,願いを聞いてくれる人を探そうとする。とうとうバゲリ(アブドルホセイン・バゲリ)に出会う。ひどく年老いて見えるのだが,この男には病気の子どもがいて,治療費が必要だった。バディの頼みを聞き入れたうえで,バゲリは昔の出来事を話し始めた。

 若い頃,バゲリ自身も自殺を考え,桑の木に紐をかけた。しかし,ふと実が手に触れたので,それをひとつ口に含むと,とても甘かった。そこで思い直して,生を選択した。桑の実が彼を救ったのだ。

 バゲリはこれまでの人生を淡々と語る。別れ際にもう一度依頼の念を押すバディ。しかし,バゲリは「平気だ。きっと返事があるさ」と言って去る。さて,バゲリと別れたバディに,カメラのシャッターを押してほしいと頼む娘がいた。写真を撮り終わると,娘から「ありがとう」と微笑まれた。その笑顔を見て,バディはもう一度バゲリに会いに行く。「明日の朝,私が返事をしなかったら,石をふたつ投げてくれ。そして肩をゆすってほしい。眠っているだけかもしれないから。絶対にだ」。バゲリは静かにうなずいた。

 バディは家で薬を飲み,タクシーで木の下まで行く。そして,穴に横たわり,目を閉じた。

この映画を遺言代わりに(!?)

 死の直前まで,自殺の意図は100%固まっているものではない。死に対する両価性をたくみに描ききっている映画だ。この映画を初めて観た時に,私にふと遺DVDの構想が浮かび上がった。ただし,この映画を遺された人は,きっと解釈に苦労してしまいそうである。今のところ,この映画を遺言代わりに贈ろうという特定の人は思いついていない。

「桜桃の味」1997年,イラン
監督,製作,脚本:アッバス・キアロスタミ
出演:ホマユン・エルシャディ,アブドルホセイ・バゲリ,アフシン・バクティアリ

次回につづく


高橋祥友
防衛医科大学校防衛医学研究センター・教授。精神科医。映画鑑賞が最高のメンタルヘルス対策で,近著『シネマ処方箋』(梧桐書院)ではこころを癒す映画を紹介。専門は自殺予防。『医療者が知っておきたい自殺のリスクマネジメント』(医学書院)など著書多数。