医学界新聞

 

寄稿

ドイツの緩和ケアの現状と将来
-緩和ケアの機能分化と適応の拡大

加藤恒夫(かとう内科並木通り診療所/岡山市)


 筆者は昨年,本紙にて英国とフランスの緩和ケアの現況について報告した(26032604号)。その際,ある読者からドイツも取材するよう勧められたが,この4月初旬,第9回ヨーロッパ緩和ケア学会(European Association for Palliative Care: EAPC)総会がドイツの古都アーヘンで開かれたのを機に訪独し,ハンブルクを中心にドイツの緩和ケア事情を取材した(表1)。そのうち,ここでは主にドイツの緩和ケアの歴史(表2),PCU(緩和ケア病棟)とホスピスの違い,緩和ケアの教育体制を紹介し,最後にEAPC総会にも触れて,日本の緩和ケアの発展への一助としたい。

表1 ドイツ取材訪問先(2005年4月4-6日)
4日 Uwe Koch教授:ハンブルク大学医療心理学,Ursula Steiner師長:Helenenstift(ハンブルクのホスピス),Klaus Lang博士:ハンブルク大学医療心理学者(緩和ケア講義担当)
5日 Ulrich Muellerleile診療部長:Barmbek病院緩和ケア病棟(ハンブルク)
6日 Monika Wiemer診療部長:Lehmradeがんリハビリテーションセンター(レームラーデ),Ulrihi R. Kleeberg教授:Altonaがんクリニック(ハンブルク)
9日 Eberhard Klaschik教授:マルテーザー病院(ボン)

表2 ドイツの緩和ケアの歩み
1983年 ドイツ初のPCUがケルン市に誕生(“Station fur Palliative Therapie”Chirugishen Universitatsklinic Koln)
1986年 ドイツ初のホスピスがアーヘン市に誕生(“Haus Hörn”, Aachen)
1994年 ドイツ緩和医療学会の誕生(DGP;Deutsche Gesellschaft für Palliativmedizin)
1996年 看護師のための緩和ケアカリキュラムの誕生
1997年 医師およびその他の医療職のための緩和ケアカリキュラムの誕生
1999年 ドイツ初の緩和医療学教授の誕生(Prof. Dr. Eberhard Klaschik, Malteser-Krankenhaus, Bonn)
2002年 地域で緩和ケアを受ける権利の保障の法的確立1)
2003年 2人目の教授の誕生(Prof. Dr. Lukas Radbruch, Universitätsklinikm Aachen)
<註1:資料はケルン大学のProf. Dr. Eberhard Klaschikによる。註2:ドイツでは,PCUとホスピスは異なった役割と機能を持っている(本文参照)。>

 なお今回の訪問は,これまで,故河野博臣先生の招きでたびたび来日している,ハンブルク大学医療心理学(medical psychology)教授,世界サイコオンコロジー学会副会長のUwe Koch氏のご好意により実現した。

ドイツ緩和ケアの特徴

1)死亡の場所
 ドイツ全体の統計的数字は,今回入手できなかったが,ハンブルク大学医療心理学教室のDr. Phil. Klaus Langの協力によりいくつかのデータを収集できた。それによると,ドイツ南部のMannheimでは,1997年には50%のがん患者が病院でなくなり,21%が老人施設で,そして,29%が主として自宅で亡くなっている2)。また,元東ドイツのJenaでは,1999年には48%の患者が病院で死亡しており,29%が老人施設で,29%が自宅である3)。これらの統計は,他の欧米諸国の数値と相似しており,日本のそれ(病院81%,老人施設3%,自宅等16%)4)との違いが際立っている。

2)PCUとホスピス
 ドイツの緩和ケアの特徴は,PCUとホスピスの位置づけが異なることがあげられる。表3の施設数推移で,PCUとホスピスが別個に数えられているのも,その現れである。

表3 ドイツの緩和ケア施設数の推移
年次 PCUの数(ベッド数) ホスピスの数(ベッド数)
1993 21(137) 11(165)
2003 93(780) 113(1023)
(資料:Klaus Lang博士より)

 PCUの特徴は,(1)病院附属が原則,(2)がんおよびその他の治癒不可能な疾病を持つ患者の終末期ケアのうち,急性期(acute crisis)のみを診る,(3)医師主導の完全な急性期医療モデル,(4)症状がとれれば元の臨床科あるいは自宅に帰る(ターミナル期であればホスピスへ移る),(5)在院日数は平均8-20日,(6)在院死亡率は約30%,(7)ボランティアはほとんどいない,等である。

 ホスピスの特徴は,(1)独立型が原則,(2)がんおよび他の治癒不可能な患者の安定したターミナル期の患者のみをみる(死の場所),(3)看護師主導の慢性期モデル,(4)医師は常駐しない,(5)在院日数は3-4か月,(6)自宅に帰ることはまずない,(7)少数のボランティアの存在,等である。

3)市民社会とホスピス運動の関連
 これらの「異なる位置づけ」の根拠について,Prof. Dr. Eberhard Klaschikは次のように説明してくれた。「緩和ケアは医療者の側から始まったもので,ホスピスは市民の側から始まった運動。両者は,歩調を合わせる必要を認め,今ではともに歩んでいる」。PCUとホスピスの数がほぼ同じ割合であることから,相互補完していることが察せられる。

 マイスターに象徴される厳しい資格制度の伝統があるドイツだけに,医療者側の権威は非常に高い。それに対抗する形で,まず市民側からのホスピス運動がおきたといえよう。それは,英国における近代ホスピス運動の始まりとも軌を一にしている。「今ではともに歩んでいる」という具体的な姿ははっきりとはつかめなかったが,日本における緩和ケアの制度的設立過程においては,「“市民社会”の産物としての近代ホスピス」の思想的見落としがあると言えよう(1970-90年代の日本のホスピス運動の揺籃期にはそれが理念的中枢だったはずであるが)。

PCUとホスピスの実情

 次に,取材してわかった施設それぞれの実情を報告する。

1)PCU
 人口150万人のハンブルク市には現在3つのPCUがある。筆者が取材したのは,市の中心部にある公立病院の1つBarmbek総合病院(600床)の附属施設で,血液・腫瘍科の一部として位置づけられている。ベッド数8に対し,人員配備は,医師が常勤2人(ともにオンコロジスト),看護師11人,サイコロジストとソーシャルワーカーが常勤・非常勤各1人である。責任者のDr. Ulrich Muellerleileは,ドイツのPCUの機能と役割について次のように語ってくれた。「PCUは,臨床的問題を持った人たちに,医学的介入による症状緩和を図るところ。完全に医師の主導下にあり,看護師の主導下にあるホスピスとは,そこが一番の違いだろう」。

 次に,このPCUの現況を尋ねた。「ここの患者の70-80%は自院の他科から紹介された人であり,外部からの紹介は20%前後。在院日数の削減は管理部門から常にうるさく言われ,最近では平均在院日数がかつての18日から7日に減少した。……かつては,このPCUでも多くの人々が亡くなっていたが,急性期ケアと慢性期ケアが分かれたので,今では30%程度の人が緊急事態で死亡する以外は,看取りはほとんどない」。

 入院診療のほかに,1日平均30-40人の外来診療も行っているが,ほとんどの患者が化学療法中の人であり,緩和ケアを主体としている人たちは1日5-6人である。氏によると,ドイツでは進行がんの患者の約70%が化学療法を望んでおり,ほとんどが外来で実施されているとのことである。

2)ホスピス:地域指向型ターミナルケアモデル
 以上紹介したPCUに対して,ドイツのホスピスはほぼ完全に「看取りの場所」といえよう。取材したのは,やはりハンブルク市中心部にある1999年開設のHelenenstiftホスピスである。ベッド数15に対し,パートタイムの医師2人(麻酔科などとの兼任で,週2回,必要な患者のみを診る),フルタイム看護師14人,サイコロジスト1人(事務職兼任),ソーシャルワーカー1人,そしてボランティア15人の体制である。Ursula Steiner師長に,このホスピスの状況について尋ねた。

 「患者の98%ががん患者で,他は神経難病。これまでのところ,HIVの患者はいません。患者さんは安定した病期の人ばかりで,症状が変化すればPCUに送ります。逆に,ホスピスから退院する人はいません」。ついで,運営の経済面については,「3か月間のみ保険でカバーされます。それ以上長くなれば,審査が入り,説明すれば1か月ほどは延長できます。その後は,元の病院に帰ったり,老人ホームに移ったりしてもらいます。それと,どのホスピスも運営費の10%は,できるだけ地域の寄付でまかなうように義務づけられています」。寄付の集まり具合などについては答えてくれなかったが,ハンブルク市域には現在3つのホスピスが計40ベッドで稼動している。さらに,1両年以内に60ベッドの追加があるとのことだが,募金を含めて経営的にはあまり心配はないと言う。

3)終末期在宅ケア――専門家のボランティア活動に支えられて
 筆者は,ハンブルク市の北西にある外来化学療法専門の診療所を訪れる機会に恵まれた。Altonaがんクリニックは,ハンブルク化学療法学会の会長であるUlrihi R. Kleeberg教授が経営する私的医療機関で,3人の専門的常勤医師がおり,1日約70名のがん患者の化学療法を実施している。ドイツの都市部では近年,がんの化学療法はほとんどが外来となっているとのこと。先述したように,その中には多くの進行がん患者の化学療法も含まれており,同クリニックでは必然的に終末期ケアも提供せざるを得ないという。

 氏によると,ドイツにおける末期がん在宅ケア(以下,在宅ケア)の発展はこれからの大きな課題であるとのこと。なぜなら,近年,私的医療保険制度の充実で,在宅ケアの経済的保障がなされるようになって需要は拡大しつつあるものの,訪問看護師や一般医が終末期ケアに不慣れなために,緩和ケア専門家のアドバイスが必要となっているからという。

 同クリニックでは,そのような専門的役割を担う看護師を,1人ではあるが,自らのボランティア活動の一環として受け入れて配備している。先述したようにドイツでは,在宅ケアは日本よりもかなり広く行きわたっているが,氏によると,その多くが同クリニックと同じような専門的ボランティア活動に基づくものであるという。

4)がんのリハビリテーション――ドイツ社会保障政策の光と影
 ハンブルク市のはるか東方,旧東ドイツとの州境にあるLehmradeがんリハビリテーションクリニックは,がん患者に特化した施設である。その制度的歴史は古く,ビスマルク時代の社会保障政策に由来し,同様の施設が全国で150あるとのこと。Lehmradeでは,ベッド数90に対して,医師6人,看護師9人,そしてリハビリテーション専門家が14人,パートではあるが心理療法士がいることも大きな特徴であろう(ドイツのリハビリテーション施設には必ず心理療法士がいるという)。医長のDr. Monika Wiemerは長年,化学療法に従事し(氏はまた,サイコオンコロジー学会の会員でもある),3年半前にここに赴任してきた。リハビリテーション医学を自分の職業的最終ゴールと考えるようになったのが転身の理由だと言う。「リハビリテーションのゴールは,決して患者のADL改善のみにあるのではなく,患者の尊厳を回復することであり,全人的医療そのものですから」。

 ただ,ドイツのリハビリテーション体制に問題を感じないわけではない。それは,リハビリテーションの対象が,社会復帰が望める患者に限られていることである。したがって,終末期患者はリハビリテーションの対象にはならない。がんの患者のリハビリテーションとは,自分の生きる意味を見つける過程の援助そのものであり,ADLとは無関係に行われなければならない場合も多々ある。その意味からするとドイツの現状は,がんのケアにおけるリハビリテーションの一部をカバーしているに過ぎず,今後,その概念の発展と新しい実践を展開する必要があろう。それは同様に,わが国の課題でもある。

ドイツの緩和医療教育

 ドイツにおける緩和ケアは,開始こそ日本に比べて5年ほど遅いものの,教育制度面の整備は,日本よりも先立つこと数歩とみなせよう。整備されているカリキュラムは以下のとおりである。

(1)ドイツ緩和医療学会カリキュラム――医師用基礎コース
(2)ドイツ緩和医療学会カリキュラム――医学生用
(3)ドイツ緩和医療学会カリキュラム――医師用上級コース(基礎コース修了者用)

 また,ハンブルク大学では,主として医療心理学教室が合計36時間の「がん患者の心理とコミュニケーション」にかかわる教育を医学生に行っている(紙面がないので内容は割愛するが,興味ある方はDGPのホームページhttp://www.dgpalliativmedizin.de/を参照されたい)。

第9回EAPC――近代ホスピス運動の総括

 今回のドイツ訪問を通じて強く感じたのは,ドイツおよびヨーロッパでは,緩和ケアはすでに「がんの患者に限られたものではなくなってきた」ことである。ハンブルクのどのPCUでもホスピスでも,当然のようにがん以外の患者が受け入れられている。また,今回の第9回ヨーロッパ緩和ケア学会の大きなテーマは,緩和ケアの技術と知識をどのようにがん以外の疾患に拡大するかにあった。シンポジウムや講演の多くが,高齢者の疼痛管理や,鎮痛薬の高齢者に及ぼす薬理学的・生理学的影響に焦点が当てられていた。

 今EAPC総会でとりわけ印象深かったのは,故シシリー・ソンダース氏と近い関係で仕事をしてきた緩和ケアの専門的研究者が,「シシリーは,確かに偉大な業績を残した。しかし,がんのみに焦点を当てたことで,緩和ケアの対象をがんに規定してしまうという大きな間違いをしてしまった」と公言したことだ。さらに続けて,次のようにも述べた。「緩和ケアにおける医療者の犯した大きな誤りは,高齢者の痛みを,高齢であることを理由に無視したことである」と5)。これらの発言は,2004年にヨーロッパWHOがProf. Irene Higginson編集で発行した“Better Palliative Care for Older People”の趣旨と呼応しつつ行われている活動の一環なのであろう。日本より早く高齢化社会を迎えたヨーロッパ社会は今,がん以外の人たちにどのように緩和ケアを拡大・適応するかを,真剣に考えているのである。


〈参考文献〉
1)Weber M:Time expenditure in patient-related care provided by specialist palliative care nurses in a community. Palliative Medicine, 2004;18:719-726.
2)Bickel H:Das letzte Lebensjahr: Eine Repraesentativstudie an Verstorbenen. Zeitschrift fur Gerontologie und Geriatrie, 1988;31:193-204.
3)van Oorschot B, Klak V, Reichert L, Hildenbrand B, & Wendt TG:Sterbeorte in Jena im Jahr 1999. Retrieved 2005-04-11.
4)池上直己:終末期ケアの課題と将来展望.社会保険旬報2004.9.1号
5)Julia Addington-Hall:Palliative Care in Chronic Condition: extending our borders. Plenary Session, Friday 8th 2005, 9th Congress of the EAPC.