医学界新聞

 

インタビュー

「なぜ」を考えるアセスメント
山内豊明氏(名古屋大学教授・医学部基礎看護学講座)に聞く


 医学書院第5回看護教員「実力養成」講座の講師をお願いした山内豊明氏は,医師として8年間臨床に携わった後,米国の看護大学に学び,看護学博士まで取得したユニークな経歴の持ち主。そのまなざしは,一貫して生活者としての患者さんにやさしく注がれている。本紙では,山内氏が看護を志した理由や氏の専門である「アセスメント」について,インタビューした。


――先生のご経歴ですが,医師の資格をお取りになってから,看護の博士号まで取得されています。どうしてそのような選択をされたのかをまずお話しください。

山内 大学の医学科を卒業後,2年間,プライマリケアの基本を学び,神経内科に進みました。神経内科は,他科に比べて割り切り方が難しいところがあります。何か原因を取り除けばよいとか,補えばよいという発想と違って,原因がはっきりせず,治療法も確立していない疾患が多くあります。けれども,「そこに人はいる」わけです。人がいて,暮らしがあります。

 私は大学で,医療として行うことの一部を習いましたが,それでは見えない,カバーできないことがたくさんあるとわかって,患者さんにかかわる人間として,「暮らしている人をみる」という観点をその中心に持っている,看護というものをもっと知らないといけないと思ったのです。そのために,いろいろな人の意見を聞いたり,いろいろな場面を見るよう心がけましたが,もっとも効率がよいのは,看護を系統的に学べる場に身を置くことだと思いました。

「わからない」をわかる

山内 神経内科には,脳梗塞などが原因で,うまく飲み込めない球麻痺の患者さんがいます。そういう人が食べやすいのは,プリンやあまり硬くない寒天など,スプーンですくえて,噛まなくてよいくらいの硬さのものだと言われています。それは,経験的にわかっていますが,例えばこれくらいの嗄声の人に,どのくらいの硬さの食べ物がよいのかは,実はあまりよくわかっていません。

 私がそんな患者さんを受け持った時に,食事のことについていちばん詳しいのは経験の深い師長さんか主任さんだろうと,教えてもらいにいきました。「5分粥くらいがいい」と教えてくれるのですが,私のクセで,つい「どうしてですか」と聞いてしまうのですね。なぜかがわからないと,その場はしのげるけれども,次に使えない。いつまでも,わからないことがあるたびに聞きにいかなければならない。だから,「どうしてですか」「なぜですか」と聞く。それは,ある意味,とても迷惑なことだったかもしれなくて,そのうちに教えてもらえなくなったのですが(笑),その時にハッと思ったのです。

 私が「わからない」というのには,2つの理由がある。私が勉強不足でわからない時の「わからない」と,それから,世の中でまだよく整理されていなくて「わからない」という場合。この2つを,自分は区別して使っていないことに気づき,ただ「わからない」と言っていたことが,とても恥ずかしく感じられました。

 それで,看護の勉強を徹底的にして,何がわかっていることで,何がわかっていないかを知ったうえで,「わからない」と言おうと思いました。

患者中心のアセスメント

――では,先生がフィジカルアセスメントの重要性を認識されたのは,どうしてでしょうか。

山内 臨床の大学院時代,週1回,大学から100kmくらい離れた病院の専門外来を担当していました。10万人くらいの医療圏で,私が行く時しか神経内科医がいない状況で,例えば在宅で暮らしているパーキンソンやALSの患者さんたちの情報は,みんなその病院に集まってきました。家庭訪問の時に,患者さんが例えば「胸が痛い」と言えば,病院だと心電図の器械を使ってすぐに診ることができます。でも,家庭にはそういう設備はありませんから,素手で対処することになります。

 そうなった時に,頼りになるのは,自分の目であり,耳であり,手であるわけです。それらをどう使うかを,少し整理しておくだけで随分違うと思います。これは医師のやることで看護師のやることではない,というようなことではなくて,場面の情報を捉えるところは,医療職皆に共通のニュートラルゾーンだと思います。

 それに対して,どのようなお薬を出したらよいかとなる場面もあれば,清潔を保持するにはどういう提案をしたらよいかという場面もあります。そこには,それぞれの職種の特性が出ます。でも,素材はできるだけいろいろな人が共通に集めてきたほうが,患者さんのためになると思います。

記録には「根拠」を残す

――職種間に限らず情報の共有は大切だと思いますが,中には言語化が得意でない方もいらっしゃいます。先生は,看護記録をご覧になって,何が問題だと思われますか。

山内 経験を積んできたからこその落とし穴というのがあり得ると思います。場面をパッと見たり,話をちょっと聞いただけで,「あ,こういうことなのだな」とわかるのですね。つまり,患者さんがこんなことをおっしゃっていたという主観情報と,こんな顔色をしていたという客観情報とが,頭の中で統合されて,「こういう状態だな」とアセスメントの結果がでるのですね。それは,ある意味ですごくよいことなのですが,記録にアセスメント結果しか書いてないと,その人が「なぜそう考えたのか」がたどれないです。

 看護は3交替で働かなくてはならない仕事で,1人の看護職が責任を24時間取り続けるのは,そもそも無理があり,記録で伝達していくしか方法がありません。判断の根拠となるものを残しておかないと,日勤の人はこう考え,凖夜の人はこう考え,深夜の人はこう考えたとなって,その捉え方,整理の仕方,アセスメントの仕方がみんな違って,全部バラバラということが起こり得るわけです。

「なぜ」を考える

――今はベテランナースのお話でしたが,現在,先生には新人ナースと看護学生を対象とした本をお作りいただいています。その本の特徴を教えてください。

山内 アセスメントするとは,結局,入ってきた情報にどうまとまりを作るかということで,何かを捉えて「何なのだろうか」というまとまりを作って,それを「○○という」と言語化するところまでが1セットだと思うのです。ただ,「なぜこれを見るのか」「これを見たら何がわかるのか」を,「わかる人はわかる」としてしまうと,わからない人はいつまでもわからない。そこで,「経験で身につけているものはこんなことですよ」ということを言葉にして,新人にもそれができるよう配慮しました。

 「なぜ」を考えることによって,やっていることの意味がわかり,応用が利くようになり,自信を持ってできるようになる。ですから,本書には「なぜ」「どうして」を多く盛り込みました。

――本を拝見するのが楽しみです。本日はありがとうございました。


山内豊明氏
1985年新潟大医学部医学科卒,91年同大学院博士課程修了。93年カリフォルニア大医学部神経科学部門勤務(~95年)。96年ニューヨーク州ペース大看護学部卒,97年同大学院修士課程修了。98年オハイオ州ケース・ウエスタン・リザーヴ大大学院博士課程修了,2002年より現職。