医学界新聞

 

特集

「戦略研究」はじまる
――厚労省が新たな研究開発課題を創設
黒川 清氏 福原俊一氏
(日本学術会議会長) (京都大学大学院教授・医療疫学分野)
辻 一郎氏 山田信博氏
(東北大学大学院教授・公衆衛生学分野) (筑波大学大学院教授・代謝内分泌制御医学)


 厚労省では,厚生労働科学研究費補助金において,従来の一般公募による研究課題に加え,成果目標を設定した大規模な戦略研究課題を創設することになった。「戦略研究」とは,国民のニーズが高く,確実な解決が求められている研究課題について,研究の成果目標と研究方法を定め,選定された機関が実際に研究を行う施設等を一般公募して進める多施設共同研究である。

 今年度,「糖尿病予防対策研究」と「自殺関連うつ対策研究」の2つの戦略研究課題が創設された。予算は年間8億6000万円と2億円,研究期間は5年間で,かつてない大きなプロジェクトとなっている。

 本紙では,戦略研究課題の創設にかかわった先生方に,経緯と抱負についてうかがった。


――今回,厚生労働科学特別研究で,黒川先生の研究班が「戦略研究」の枠組みと,糖尿病対策研究課題について,具体的なご提案をされたわけですが,どのような狙いがあるか教えてください。

黒川 疾病構造の変化,医療への社会のニーズの変化など,医療政策を転換させるに足る,いろいろな情報が広がってきています。新しい治療法が開発されてきましたが,問題はこれまで医療提供側が「これはいいはずだ」という治療をしてきたことで,患者さんの側には,時に本当にそれでよいのかという疑問があったと思います。例えば手術をするか否か選択する場合です。日本では特にそうなんですが,医局のしきたりで治療法が決まっていたり,それが本当に普遍性の高い治療法なのかは,必ずしも明確ではなかったのが現状でした。

 1980年代初めの頃から,『New England Journal of Medicine』『Lancet』『BMJ』などの一流医学誌で,大量の治験と患者さんのアウトカムをエンドポイントにした臨床研究の成果が次々と発表されるようになりました。それは医療の進歩と医療費の高騰等が背景にあり,いろいろな治療法の選択肢の中で,どれがどういう理由で医学的にも,政策的にもよいのかが問われた結果です。いわゆるEBM(Evidence-Based Medicine)でやらなければならないということです。政策を転換するには,きちんとしたエビデンスが必要ですからね。

数十時間に及ぶ ブレーンストーミング

黒川 そういう風潮になってくると,日本でも行政も政策として,「EBMをつくる」といって公募しますよね。しかし,公募をする前に,どういうデザインで,どういうことをやればよいのか,同じプラットフォームに乗って,そのためには今まで統計的にどういうデータがあるから,どのくらいの対象者数が必要でという話が必要ですね。

 日本は公的な医療保険制度ですから,その支払いが可能なのかどうか。皆がどんな診療をしているのか。そのことによって,どれだけ診療の質が上がってくるだろうか。いろいろな可能性がある。それらをもう少しブレーンストーミングして,どういうスタディをやるべし,という話をしなければならないわけです。それで,問題意識を持っている福原先生,辻先生,山田先生にご参画いただいて,行政担当者も交えて数十時間,ブレーンストーミングしたのです。

 例えば自殺が増えていることや,うつの問題があって,確かに行政的にはそれが大事ですし,糖尿病にもいろいろな問題があります。それで糖尿病に関しては,われわれが勝手に決めるのではなくて,糖尿病に関係のある先生や,学会,栄養士さんのグループなど,いろいろな方にヒアリングをして,実態としてどんなことがあるのかを聞いたうえで計画を進めてきた,というのが今の段階と思います。

――それでは,各先生に「戦略研究」に期待することなど,ご発言いただきたいと思います。

インフラにまで配慮

福原 優先順位が高いテーマについて,臨床と研究手法の専門家のチームでプロトコールを作成し,そのプロトコールに対して全国から研究参加施設を公募することが第一の特徴です。また,今まで公的研究で大型の臨床研究がうまくいかなかった理由の1つに,それを支えるインフラが脆弱なことがありました。このインフラにまで配慮した大型予算が企画されたこと,期間も5年と長いことなども特徴です。このように質の高い臨床研究を実現するためのいろいろな工夫が,この戦略研究に取り入れられたことは画期的なことだと思います。

わが国初の多施設共同 大規模トライアル

 今までクリニカル・トライアルを日本でも積んできたわけですが,1つの施設とか小さなグループでやっていたので,症例数が少なかったという問題があったと思います。1つひとつの施設のクリニカル・トライアルのレベルは,世界的にみてもひけをとらないところまできていると思いますが,なぜ今まで日本から一流ジャーナルに載る機会が少なかったかというと,基本的には,共同研究として根づいていなかったということがあります。多施設共同の大規模トライアルを今回初めて行うという点は,戦略研究の大きなポイントだと思います。

世界に誇れるデータを

山田 疾病構造は変化しており,変化に対応した,きちんとした医療システムを構築する必要があり,そのためには,そのベースとなるエビデンスが必要だと思います。そのエビデンスをつくるためのシステムがあるかというと,それもどうも曖昧で,今までの厚生科学研究は,個別研究に任されていて,研究成果が実際にどれだけ政策に反映されたかというと,非常に曖昧な部分があったと思います。

 今回は,その曖昧さをなくして,conflict of interest(利害相反)もなくして,できるだけ透明かつ公平に,国民の税金を,そのエビデンスをつくるために100%投入しようという意気込みで始まったのだと私は信じています。その結果として多施設共同研究というものが可能になると,世界に誇れるデータが出てくると思っています。多施設共同研究は質の高い成果を期待できます。国際的に信頼できるデータを出すことは非常に大事で,それを国が主導することに私は期待しています。

黒川 もう1つ言うと,米国やイギリスの多施設共同研究に参加するためには,例えばデータ整理などのインフラがきちんと整備されていることが必要です。基盤をつくり,それを政策に反映させることは,行政としてはすごく大事なことだと思います。

 そういう意味では,行政は国民が考えていることを汲み上げて,われわれ医療提供サイドは何ができるのかということを考えて,皆で一体となってやろうということがすごく大切です。今度の一部のプロトコールはそうですが,それを実際に,現場の診療の質の向上に反映させていくという視点も,日本としては新しいと思います。

福原 臨床研究を支える若手研究者,しかも疫学統計の専門家だけではなくて,プロジェクト・オフィサーなどの臨床研究に必要な人材を育成することも,この研究事業の視野に入っていますので,そういう意味でも期待ができると思います。