医学界新聞

 

座談会

はじめての指導医
明日から使える! “教え上手”入門
大西 弘高氏
東京大学 医学教育国際協力
研究センター・講師

郡 義明氏=司会
天理よろづ相談所病院
総合診療教育部長

尾藤 誠司氏
国立病院機構 東京医療センター・総合診療科

藤沼 康樹氏
東京ほくと医療生活協同組合
生協浮間診療所・所長


 新たに臨床研修病院に認定され,指導医となった中堅医師の皆さん。または初期研修を終えて後輩を教える立場になった若手医師の皆さん。「研修医とどうコミュニケーションを取ればいいのか?」「何をどこまで教えたらいいのか?」と,急に教える立場となり戸惑うことも多いのではないでしょうか。でも大丈夫です。医学教育や臨床指導で活躍する方々が大切にしていることは,とてもシンプルなことでした。多忙な現場で奮闘する“はじめての指導医”のために,明日から使えるヒント満載の座談会をお届けします。


“振り返り”で成長をサポート

 昨年度,36年ぶりに医師臨床研修の大改革がありました。新制度導入に際して研修医側も受け入れ病院側もそれほど大きな混乱はなく,予想していたよりは順調に始まったと言えます。しかし,大きな問題として,指導医の養成が遅れてしまったことがあります。例えるならば,「生徒は集った,学校の建物や教材も揃った,でも教える先生がいない」という状況です。多くの施設の指導医は,どう指導したらいいのか戸惑っているのが実情かと思います。

 教育の価値を決める時に,指導医のあり方がいちばん大事だと私は思っています。今日は,医学教育や臨床指導で活躍されている先生方に,指導のノウハウについて忌憚のないお話を伺いたいと思います。初めに藤沼先生,研修医指導に関して臨床現場でどんな工夫をなさっているでしょうか。

藤沼 ここ数年は,「研修医が,医師というプロフェッショナルになるプロセスをどうサポートするか」という点で工夫してきました。というのも,医学生がプロの医師として成長していくプロセスが昔よりも格段に難しいと思うのですね。最近は前野哲博先生(筑波大)らの研究で,研修医のメンタルヘルスの問題が非常に注目されています。これにはハードワークの問題ももちろんあるのですが,「研修医のつまずきどころに指導医が気づきながら,学びを援助していく」ということがシステマティックにやられていない印象があります。研修医のつまずきどころは,指導医からはあまり見えません。当然できると指導医が思うところで研修医はつまずいています。

 ですから,研修医がつまずいたと思ったことを自分で話してもらって,それを皆でshareしていく“振り返り”という取り組みを4年くらい前から開始しました。それと,研修医はつまずきだけでなく,good achievementもたくさんあるので,そういうことも発表させてます。夕方1時間くらいを確保して,最初は他の医師から「何やってるんだ?」と思われたふうもあったのですが(笑),研修医はそこでずいぶん救われたようです。研修開始当初は,彼らも大変なので1か月くらい毎日やりますが,だんだん週1回になって,2年目以降は月1回,3時間くらいの“振り返り”をやっています。

研修医は診断・手技より コミュニケーションで困る

 指導医は気がつかないけれども,実際に研修医が日々困っているのはどんなことでしょうか?

藤沼 診断が難しいとか,針がうまく刺さらないというのもありますが,もっと大変なのは,実はスタッフや患者さんとのコミュニケーションです。そういう話題のほうが多いです。

 学生時代と比べると,急にいろいろな人と出会うわけですね。職域の人はもちろん,患者さんとも,浴びるように人と接する。この状況が避けられないというのが大きいでしょうか。

藤沼 そうですね。あと,真面目な研修医は,患者さんに没入していくことが多く,医師としての役割の線引きがまだできないんですね。例えば,患者さんに「お腹が空いたから,お弁当買ってきて」と言われて,本当に買いに行っちゃった研修医とか(笑)。

 ありますね。お弁当ならまだいいけど,タバコ買ってきたり(笑)。

藤沼 医学部という同質の集団から来て,ぜんぜん価値観の違う人たちと出会う。だからsurpriseが多いんですよ。

尾藤 ただ,普通の社会で普通のバイトをしている医学生は多いですよね。医学生が医師になった時に戸惑うのは,“医師という特殊な職業を持って”普通の人と会うことによるのではないでしょうか。

藤沼 研修医の遭遇するギャップについて,木村琢磨先生(国立病院機構東京医療センター)の研究があるんですね。社会人としてのギャップのほかに,「プロフェッション・ギャップ」などがあって,それら多様なギャップをうまく乗り越えていけないとガクッとくるようです。

 たしかに,日常の会話のコミュニケーションとは違って,情報を的確に集めて,決断をしなければならないという,その責任の重さの加わったコミュニケーションなので,よけいに戸惑うんでしょうね。

尾藤 研修医自身が“仕事人”として自分が特殊な役割を持つことに気づいているかどうかというと,かなり温度差があるかもしれません。特に2年目になると,自分の役割を意識している人と,それが漠然としたままの人で差が出ます。そして,指導医側がその差に気づいていないかもしれません。「研修医ならこのくらいできないといけない」とか,逆に「まだこのくらいしかできないだろう」といった紋切り型のパターンを持っていて,そのせいで教えようとしていることが伝わらない。

 「この時期にはこのくらいのレベルで教える」ということが十分整理しきれてないから,指導医の側も,どこまで教えればいいのか戸惑うのかもしれないですね。

「教える」のではなく「伸ばす」

大西 医師としてのプロフェッショナリズムを会得するようなことは卒前ではどうしても教えきれないので,卒後教育に負うところが多いと思います。卒前教育に大きな問題があるとすれば,「勉強して医学知識さえつければしっかりした医師になれる」という隠れたメッセージが常に伝えられていたことかと思います。

尾藤 そう,そこですよね! 僕自身,比較的若い医師が多い病院で,先輩医師としてずっと働いてきた中で,いろいろ気づくことがあったんですね。

 最初はやはり,「いかに知識・技術をたくさん教えるか」が大事だと思って,躍起になっていた時期がありました。しかし,そういうことをやりだすと,自分が何でも知ってるスーパーマンじゃなければいけない(笑)。少なくとも僕はそういう人にはなれない。それに,「オレはこんなに努力して研修医に教えている」という達成感があるだけで,研修医はあまり変わってない(笑)。自己満足的ではないかと,だんだん気づき始めたんですね。

 そこでもう少し発想を転換させて,「教える」のではなく「伸ばす」と考えたほうがいいんじゃないかと思ったんです。「伸ばす」ということであれば,別に自分が完璧な医師じゃなくてもいいかな,と私自身の心の折り合いがついたし,単に自分の持っている知識を吐き出すだけではなくなる感じでした。

藤沼 僕も昔はそうだったんですが,自分の持っている知識をガーッと喋って,「どうよ,オレのほうが偉いぞ!」みたいな発想があった(笑)。でもそれだと,「その研修医がどう育ったか」という点においては何の保証もしていないことに気づきました。これは,大西先生がふだんから強調されている「教育者中心から学習者中心へ」というキーワードですよね。

大西 指導して成果があがったと感じるのは,「あの時,先生にこう言われて,それがすごく印象的で,その気持ちがずっと残っています」とか「あれからは,先生に言われたことを常に心に抱いて診療するようになりました」とか,そういう話をされた時ですよね。

(一同同調)

大西 ただ,往々にして,こちらが言いたかったことと,相手の受け取った意味が違ったりして,「あれ,そんなことを感じてもらえるの?」みたいなことがあります。

藤沼 そうそう!

大西 それで,「自分はこんなことを大事にしていたのか」と改めて気づかされたりします。そういう体験を指導医同士で共有したりすると,もっといい指導医になれるかもしれません。

尾藤 常に「与える」という感覚ではなく,自分も研修医から「与えられている」というスタンスが,学ぶ者と教える者の間にないといけないですね。

伝えるべきは,知識より 医師のプロフェッショナリズム

藤沼 僕は権威主義的な指導医に会ったことがないです。最初の指導医は30代の優秀な女性で,いまだに忘れられないことがあります。

 僕は卒業直後で熱心に勉強して,自分では知識があると思ってるわけです。それで,症例のプレゼンで,CRPの説明なんかしてたら,「患者さん,便が出てないみたいだけど,どうしたの?」って聞かれて,「ウッ」と詰まってぜんぜん答えられなかった。僕は知らなかったんです,患者さんの便が出てないことを。

 僕としては,勉強してきたことを示して,優秀だと認められたかった。でも,その先生に質問しても,「あの本を読んでみたら?」と言うだけで教えてくれない。ずっと,患者ケアのことばかり教えられました。結局,いまだにそれが染みついていて,attitudeの基本を学んだと思うんです。その頃はいろんな先生方の講義を聞く機会があったのですが,20年経って,その先生方については「熱心だったな」ぐらいしか覚えてない(笑)。だから,attitudeは恐ろしいほど残るということを実感しています。そこだけちゃんとやれば,知識はどうせ忘れちゃうんだし,「自分で勉強してみたら?」ぐらいでいいんじゃないかと思ってます。

大西 特に今は情報ツールが本当に発達しているので,on demandで必要な情報を取り出せます。そう考えると,医師としての態度,プロフェッショナリズムを伝えることがいちばん大切に思えますね。

 指導医も決して完成された存在ではなく,自分たちもよりよい医師になる努力の過程です。だから「自分たちも努力しているんだ」というメッセージが若い先生たちに伝われば,僕はいいと思うんです。

 それと,先ほどの話にあったように,「この人を伸ばしてあげるためにどうすべきか」という発想を持つことが大切でしょうね。例えば,CRPばかり診て患者さんの日常生活で最も大事な「食べる・排泄する」ということに気がついていなければ教えてあげるとか。そういう気づきの場面を,できるだけ実際に受け持っている患者さんを通して与える,そこがすごく大事だと思いますね。

EBMプラスreflection
不明確な情報で判断を考える

尾藤 PBL(problem-based learning:テュートリアル)が入って少しは変わったかもしれませんが,少なくとも私たちが医学部で教えられてきたのは,「正しいこと」か「間違っていること」でした。でも臨床は,不確実な情報で判断しなければならないことが多いですよね。

 私も後輩医師に曖昧な部分を教える時に,「正しい答えを持ってなければいけない」という観念を払いきれない。これがいまでもあります。だから,「正しい答え」がない中で,妥当な判断をしていくプロセスを見せること。これは大事なことかもしれません。

 たしかに,臨床というのは複雑な要因がからんでいて,仮に誤った処置をしていても,よい結果が出ることがあります。「こういうことをしたら,こうよくなる」と単純に学んでしまうと,将来とんでもない過ちをおかすことに結びつきますね。

 個別の事象から,普遍化する。次の症例に応用できることは何か,1つひとつの症例で教えていく。この作業をしないと,いくら経験を増やしても将来につながっていかないと思います。尾藤先生は,その点で何か工夫をされていますか?

尾藤 これは初期研修医というよりは後期研修医を対象にしたものですが,不明確な情報でどのように妥当な判断をするのか,患者さんとどう話をしていくのか,などについて,研修医と一緒に考える試みをしています。

 例えば,「この患者さんに対してCTスキャンの検査をするかどうか」という意思決定,もしくは,「禁忌薬に近い薬だけれども,明らかに使ったほうがいいと思える状況で,その薬を使うかどうか」などの問題を,3-4人のグループで話し合います。まず,検査や投薬をしたほうがよい理由を,医学的根拠を含めてあげ,次にそのマイナス面についての根拠をあげます。このあたりは,EBM的な考え方です。さらに今度は,患者さんの性格や生活を一緒に考えます。最終的に意見が分かれたら,「なぜこういうふうに分かれたのか」というところまで話し合って納得する。

 こういう非常に面倒くさい話し合いの時間をつくって,意識下の臨床力を表面化しています。ただこれが本当に臨床力をあげる結果につながっているのかどうか,よくわからないのですが(笑)。

藤沼 それをやっているところ,ほかにもありますよ。“Clinical Jazz”と呼ばれていて,EBMプラスreflectionですね。アメリカのFamily Practiceのレジデンシーで,毎週1例そういう検討を行うことを主たる教育方略にしているプログラムがあります。尾藤先生の試みは最先端だと思いますよ。

尾藤 最初は若い医師も,「白黒つけるんだったら,こうすれば?」「早く結論を言えよ」みたいな意見を言うわけです。そこをあえて,本当に行ったり来たりしながらやっていて,効果がどこまであるのか,いまでも自信はないのですが。

■明日から使える“褒め上手,叱り上手”入門

藤沼 尾藤先生のようなgeniusな指導医は,勉強しなくてもこういう人だと思います(笑)。でも普通の指導医はこうなれるでしょうか? というのも,いま指導医として有名な人はgeniusな人が多くて,資質に還元されてしまっている気がするんです。

大西 これはもうgeniusであって,“いい指導医”というレベルとはちょっと違う,ということですね。でも,本来は皆がある程度のレベルで指導できる必要があって,FD(faculty development:教育能力開発)のワークショップも行われていますが,そこで何をやるのかが明確になっていない気がします。指導医を行動変容させるには,どうしたらいいのでしょうか?

藤沼 研修医を褒めたことのない指導医がたくさんいます。「褒められたことがないから,褒め方がわからない」というのが,いろいろなワークショップで必ず出てくる意見です。「このロールプレイを見て,ひと言でいいから何か褒めてください」というと,みんな戸惑うんですよ。研修医を褒めることが普及するだけでもずいぶん違うような気がします。

 褒め方上手の話が出ましたが,たまには叱らないといけないので,叱る時の工夫についてはいかがですか?

藤沼 僕は,あまり叱ったことがないです。性格的にあまり怒れないのかもしれない。ただ,「今回,うまくいかなかったことはある?」という聞き方はします。そうすると,自分で間違いに気づいている研修医からはそれなりの答えが返ってくるので,それに対して意見することはあります。

尾藤 僕もめったに叱ることはないのですが,叱る時は大きく分けて2つぐらいかなと思います。

 1つは,態度の面で,プロフェッショナリズムの完全な欠如ですね。自分の仕事に誇りがまったくない人に対しては,かなりの時間をかけて叱ります。僕がたまにそういうことをやるとインパクトがあるようで,「実はサドなんじゃないですか」と研修医から言われたりします(笑)。

 もう1つは,患者さんの命に関わることを知らない場合。これがプロフェッショナリズムの欠如から来るのなら最悪ですが,そうでないとしても,患者さんの命に関わるようなことで“大はずし”があった場合は,叱るという行為で事の重大性に気づいてもらいます。実際に患者さんに不利益が起こってしまった時には,それだけで研修医は落ち込んでしまうのでむしろ守るべきだと思いますが,ここで言うのはプロセスとしての大きなハズシがあった場合です。これに関しては,かなりエンターテインメントとして叱っているところもあります。「おまえなぁ!」みたいな感じで目をウルウルさせて……(笑)。

藤沼 そんなの,尾藤先生しかできない(笑)。

尾藤 はは(笑)。ただ,前者に関しては本気ですから,自分の感情もちょっと揺らぐような感じがあります。ここで指導者があまり冷静すぎるのもどうでしょうか。仕事をバカにしているような研修医には,心からムカッときてもいいと思います。

大西 僕も,時には怒ったほうがいいという気持ちがあります。例えば,指導医に何も聞かずに点滴を何回もやり直す研修医がいて,看護師から連絡がくる。最初は,「そういう時は指導医に言わないと危ないだろう」と諭すわけです。次に似たようことをやった時には「何を考えてるんだ! そういうことをやっちゃいけないと言ったのに!」と,研修医が何も反論できないような叱り方をしたことがあります。そういうことを繰り返して,少しずつ改善が見られる例もあるし,駄目な場合もありますが,教育者としてそこを諦めてはいけないと意識しています。

怒った翌日は自分から 爽やかに「おはよう!」

 僕は「怒る」という言葉をあまり使わないようにしてるんですね。どうも,「怒る」という言葉は,自分の感情を相手にぶつけるような,主体が自分のような感じがするので,「叱る」という言葉を使ってるんです。「叱る」というのは,相手の立場も考えて,「こうしたほうがいいよ」というものです。

 叱った場合は,「もっといい医者になってほしいから叱っているんだ」ということが,叱っている最中にメッセージとして伝わるようにします。ところどころ,「こうするともっとよくなる」「せっかく君のいいところが,このことで全部オジャンになっている。もったいない」という言い方をするよう心がけています。

大西 ただ,僕自身,自分が叱られた体験を振り返ると,理路整然と言われたことよりも,感情的に,非常に早いタイミングで言われたことのほうが残っています。ですから,自分の感情的な部分をなくさないようにしたほうがいいと思っています。

 研修医と年齢が近い場合はそれでいいかもしれませんが,僕の立場で感情的に怒ってしまうと,怒られた研修医は「否定された,自分は駄目な人間というレッテルを貼られてしまった」と捉えがちです。ですから,僕はどちらかというと控えめにして,若手の先生のお尻をつついて,「おまえが怒り役になれ」というように役割分担をしています。

尾藤 なるほど。そのあたりはかなり高度なテクニックですね。

 もしすごく怒った日があれば,次の日は何もなかったような爽やかな顔で,自分から「おはよう!」と声をかけるようにしています。

藤沼 それはいいですね。素晴らしい!

(一同感嘆)

尾藤 誰もがいい指導医となるためにはFDも大切ですが,全員が講習を受けるのも難しいでしょうから,小さなところから始められるといいですね。僕が思ったのは,後輩に「ありがとう」とか「ごめんな」と言える医師が少ないですよね。そういうひと言から始めてもいいような気がするんです。

ある優秀な研修医に対する 挨拶のススメ

 他に,指導の際に注意していることはありますか?

藤沼 知らないことは「ごめん,知らない」と言って,知ったかぶりはしないようにしています。それはすごく大事かと思います。

大西 上の立場の人がわからないことを「わからない」と言えるとか,感謝したら後輩に「ありがとう」と言うとか,そうやって上下関係を崩すような試みは,病院全体で取り組まないといけないことですね。医師と看護師の間や,その他の職種の人たちとも共有できるといいと思います。

 この前聞いた,非常に印象的な話があります。天理よろづ相談所病院には,今中孝信先生という偉大な指導者がいるのですが,ある優秀な研修医に対して「おまえは鼻が高いところがある。何かひとつ気をつけるとしたら,病院の職員の誰に対しても,おまえから先に挨拶しろ」と助言したらしいんです。その時の研修医は,いま他の病院で活躍されていますが,「俺は今中先生のアドバイスを守ってきて,それによってコミュニケーションが非常にうまくいった」というのを聞いて,このひと言は大きいなあと思ったんです。

藤沼 大きいですね。

大西 教育環境を整えるために指導医はどのように研修医に働きかけたらいいのか,というツボを押さえたひと言だと感じました。

藤沼 それはもう,金言ですね。

 教育の話はだいたい総論的になってしまうのですが,今日は本音をいろいろ話していただきました。現場ですぐに役に立つだろうし,臨床研修を充実させるヒントが得られたと思います。ありがとうございました。


叱る時は,「もっといい医者になってほしい」というメッセージが伝わるように叱る

郡義明氏
1977年徳島大卒。天理よろづ相談所病院,佐久市立浅間総合病院を経て,84年天理よろづ相談所病院で呼吸器内科専攻,研修医の教育にも関わる。2000年より同病院総合診療教育部長。

研修医に気づかされた体験を共有したりすると,いい指導医になれるかもしれない

大西弘高氏
1992年奈良医大卒。天理よろづ相談所病院,佐賀医大病院を経て,2002年米・イリノイ大で医療者教育学修士課程修了。03年より国際医学大学(マレーシア)にてカリキュラム改革等に関与した後,05年より現職。

後輩に「ありがとう」とか「ごめんな」と言う,そういうひと言から始めてもいい

尾藤誠司氏
1990年岐阜大卒。長崎医療センター,国立佐渡療養所,UCLA公衆衛生大学院を経て,97年より現職。2005年4月から国立病院機構本部研究課・臨床研究支援室長を兼任。

知識はいつか忘れても,attitudeは恐ろしいほど身体に残ることを実感している

藤沼康樹氏
1983年新潟大卒。王子生協病院を経て,93年より現職。現在英国ダンディー大Centre for Medical Educationにおいて,Study Fellowとして継続的に医学教育を学んでいる。

もっと知りたい人のために

多忙な現場でスグに使えるヒント満載の『決定版!スグに使える臨床研修指南の21原則』(編集:尾藤誠司/藤沼康樹)。「教育者中心から学習者中心へ」というキーコンセプトが理論的基盤とともにわかる『新医学教育学』(著:大西弘高)が,ともに好評発売中です。