医学界新聞

 

第132回医学書院看護学セミナー
講師インタビュー

臨床で役立つ看護倫理教育

中尾 久子氏(九州大学医学部保健学科助教授)


 看護倫理が注目されるのに伴い,授業の構築に取り組む教育施設が増えている。教育方法はまだ手探りだが,事例検討を通して学生が主体的に看護倫理を考えるという教育方法が広がりはじめた。第132回医学書院看護学セミナー講師で,倫理教育に長年取り組んできた中尾久子氏に,倫理教育の意義や事例検討のねらいを聞いた。


すべての看護行為は 倫理的判断を伴う

――倫理に関する授業を構築する教育施設が増えています。いまなぜ,看護倫理が注目されているのでしょうか。

中尾 近年になって医療技術が向上したことによって“治らない疾患”や“治療の選択肢”が増え,また患者さんの権利意識の高まりや価値観の多様化など社会も変化してきました。そうなると,「QOLをどう維持していくか」を考える必要があり,倫理的な問題が出てきます。看護師は医師の補助者にとどまらず,患者さんや家族の立場でかかわることができる存在だということも認知されるようになりました。そこで看護師に対する期待と,その応分の責任が生じ,いま再び倫理教育が必要とされているのだと思います。

 それと近年,医療法や保助看法が改正され,看護師もインフォームドコンセントを促進する役割を持つことや,従来は助産師や医師だけだった守秘義務が看護師や准看護師,保健師にも求められるようになりました。これらは,看護師の倫理に対する社会からの要望を踏まえての法改正だと考えられます。さらにこの4月からは個人情報保護法が施行され,看護活動の基礎となる倫理の重要性が改めて認識されたことも関連しているでしょう。

――学生のうちから倫理を学ぶ意義は何でしょうか。

中尾 学生のうちから学んだほうがいい理由は,「よりやわらかい感性を持っている」ということ。それに,組織に属すと“組織の論理”があるので,自分たちにどういう可能性があって,どういう選択ができるのかという模擬的な思考訓練を,学生のうちにしておいたほうがいいと思います。

 倫理というと先端医療などの特別なものだと思われがちですが,実は日常の看護活動は倫理に根ざした行為なんですね。例えば手洗いにしても,「一処置一手洗い」で感染予防するのは,「人に害を与えない」というケア倫理に根ざした倫理です。このことは他者に見られていなくても手洗いをするという個人の倫理観ともつながっています。技術教育の中で看護行為の手順や方法は教わりますが,実際の場面でどういう方法や内容を選ぶかという時には看護職としての倫理的な判断が入っていると思うのですね。

「考える学生」を育てる事例検討

中尾 以前ある大学で学生に身体拘束の話をした時,「ベッド柵を立てて,そこに寝かせておくだけだったら拘束じゃない」という意見がありました。縛られていないので拘束になっていない,という考え方です。どう思われますか?

――「移動ができなくなる」という意味では,紐を使わなくても縛っている。

中尾 そうですね。さらに言えば,「言葉による拘束」(きつく叱るなど)であるとか「薬物による拘束」(必要以上に眠らせるなど)も拘束と考えられます。

 その学生には,「いま自由に動けているあなたが,24時間ベッド柵の中に置かれて,今後もずっとその状況だとしたらどう思う?」と聞いたんです。こういうふうに返して自分の身に置き換えてみないと,たぶん実感できないと思うんですね。少しずつ,具体的に。

――こうやって問答しながら,自分がその立場になったらどう思うかを考える方法で授業を進めていらっしゃるんですか?

中尾 はい。あともう1つは,グループワーク。例えば,子どもへの病状説明で,「このケースでは説明したほうがいいと思いますか」と学生に聞きます。子どもが14歳ぐらいとしたら,学生はどう答えると思います?

――「説明したほうがいい」と……。

中尾 最初はみんなそう言います。そしたら,「そうよね。中学生ぐらいになったら,自分のことは自分で決めたいよね」という話をして,「でも,親が反対したりドクターが躊躇する理由もあるはずだから,その反対側の意見に立って考えましょう」と言って,本人たちは嫌々なんですけど,説明賛成派・反対派に分かれるんです。

 最初にそれぞれのグループで意見を書いてもらって,そのあとでディスカッションを行います。「もし,自分の子どもだったら」とか,そういったことまで話が深まっていくと,簡単には言えないと気がつく。

――最初は嫌々反対派になったのに,納得していくこともあるんですか?

中尾 納得というよりも,「どうもそんなに簡単なことではないのかもしれない」という思いですよね。

 子どもに説明できない背景には,家族背景やカウンセリングなど日本の医療体制の問題も絡んできますから,ディスカッションの後は関連するデータも示しながら,「説明するからにはリスクが伴うという現状も理解しなければいけない」「そして悩んでいる親も含めて何が望ましいか話し合うことが大切」という話もします。こうやって一歩ずつ,「考えてね」って投げかけています。

 医療の場ではもう少し言葉を足していれば,もう少し聞いていれば違う結果があったのでないかと思う場面がいろいろなところであります。例えば,薬を飲みたくないと捨ててしまう患者さんがいます。看護師がそれを見つけた時にどう対応するか。薬を飲まないという選択肢をとる以上,何か理由があるはずです。そこで相手の話をよく聞いているのか,納得していただくための努力ができているのか,与薬の援助ひとつにしても思います。

――「飲まないと大変なことになる」と言うのは簡単ですが,そこでなぜ飲みたくないのかを考えてコミュニケーションをとることが大切なのですね。

倫理教育を “よいケア”につなげる

――最後に,看護学セミナーの抱負をお聞かせください。

中尾 看護基礎教育の中で倫理教育の重要性が認知されてきましたが,教育方法はまだ手探りです。私は倫理教育の最終的なゴールを“よいケア”だと思っています。この十数年倫理教育を担当する中で,「学生のうちにこういった教育をしていれば,臨床で働くようになった時にきっとよいケアにつながる」と感じることが私なりにあります。そのための教育内容や授業展開について考えたいと思います。

 そしてもう1つ,臨床で看護職としてのジレンマを感じた時に,周囲のサポートもなく,ジレンマを増幅させて離職につながることのないようにしたいです。自分の考えをうまく整理して相談し,周囲の人にサポートしてもらえる対処方法を,卒業までに身につけてほしい。そして,いつか管理職になった時に,いろいろなことが話し合える職場風土をつくってもらえるといいですね。

――悩んでいると叱りつける師長さんではなく……(笑)。

中尾 その組織からみればルーチンのことでも,最初に疑問に思ったことは口に出して,管理者も「何かいい方法はないかしら」と応えて,いっしょに考えてみる。ディスカッションを通して問題を共有して望ましい解決策が考えられれば,患者・家族の問題に役立つだけでなく,その看護師の気持ちも安定するでしょう。そこから職場環境もよくなり,最終的には医療の質の改善につながるのだと思います。

 病院の看護師さん対象のグループワークをすることもあるのですが,最後に「正解をください」と言われることがよくあるんです。でも,私の考えたことが正解ではないのですね。学生に「これが正しい」という教え方をしてしまうと,それ以外のものを受け入れなくなり,悩みはじめた時に「自分だけが悩んでいる」と感じるのではないでしょうか。

 学生のうちから自分の意見を伝え,異なる意見も聞きながら自身の倫理観や看護観を深めていく体験を持つことが大切だと思います。

――ありがとうございました。


中尾久子氏
1977年九州大学医療技術短大看護学科卒。97年山口大学大学院経済学研究科修了。大学病院勤務,山口県立大助教授などを経て,2004年より九大助教授。ライフワークである医療倫理問題に関する事例検討を学際的に行い,その成果を『ケースブック医療倫理』(共著,医学書院)にまとめる。02-04年科研費「看護倫理症例集作成の試み」代表者。