医学界新聞

 

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影 第 61回

閑話休題:
「こぶとり」の自己責任

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2634号よりつづく

「こぶとり爺さん」に 「自己責任」はあるか?

 アメリカで暮らし始めた頃に驚いたことの1つが,こちらでは,食塩にわざわざヨードを添加して売っていることだった。日本の食習慣では,わかめとか海苔とか海藻類を頻繁に食するのでヨード摂取不足となることはまずないが,こちらでは海藻類を食する習慣が希薄なので,食塩にヨードを添加することで国民がヨード摂取不足となることを予防していたのである。

 アメリカで食塩にヨードが添加されている事実を認識してから数年後,ある開発途上国での「ヨード添加食塩普及運動」を題材としたドキュメンタリー番組を見る機会があった。番組に扱われた国での,ヨード摂取不足による甲状腺腫の頻度の高さにも驚いたが,それ以上に驚いたのが,ヨード不足を放置した後にできあがる甲状腺腫の「巨大さ」だった。甲状腺腫多発地域の住民は,まるで,「こぶとり爺さん」のこぶと見紛うような巨大甲状腺腫を,文字通り,首から「ぶらぶら」ぶら下げて,平気な顔でいるのだった。「こぶとり爺さんの話はヨード不足の地域で作られた」という説の信憑性が,改めて実感されたのだった。

 ヨード摂取不足による甲状腺腫は典型的な例だが,食習慣に起因するとされる疾患は多い。そういった疾患については,食習慣を改善しさえすれば予防や治療が可能となることが多いので,ややもすると,「患者が病気になったのは誤った習慣を続けてきたせい」と,その「自己責任」を問う傾向がある。しかし,こぶとり爺さんのこぶと見紛うような甲状腺腫をぶら下げることになってしまった人々は,ヨード不足が原因だとは夢にも知らずに,ずっと,生まれた土地で普通に暮らしてきただけなのだから,「海草類を食べなかったせいだ」と,その「自己責任」をあげつらうのは酷というものである。

医療の「常識」とともに 変わる患者の「罪」

 ヨード不足による甲状腺腫を(ヨード入り)食塩で予防・治療するのと反対に,食塩の過剰摂取が発症に大きく寄与するからと,ずっと,塩分を制限することが予防や治療の中心に据えられてきた疾患が高血圧である。つい最近まで,高血圧患者が,「塩辛い物ばかり食べるから」と,その食習慣の悪さを主治医から叱られるのが当たり前の時代が続いたのである。

 しかし,もともと食習慣だけでなく遺伝要因の寄与が高い疾患であるうえに,90年代後半になって,カリウム摂取等の重要性が認識されるようになると,高血圧の食餌療法に関する理論そのものが変わってしまった。高血圧の食餌療法のように,時代とともに医療の「常識」が変わることはまれではなく,医療の「常識」が変われば,患者の「罪」の中身も変わることとなるのである。

「肥満」は本当に「有罪」か?

 高血圧の例でも明らかなように,生活習慣病にまつわる患者の「罪」の中身は,医学の進歩とともに変わり得るのだが,いま,病気になったのは患者のせいと,自己責任についての「有罪」が疑いの余地を入れないほど確定している疾患といえば,「肥満」だろう。しかし,いくら「有罪」が確定しているとは言っても,「食べる量を減らしなさい。やせなさい」と医者が一言叱っただけで治る患者など皆無と言ってよく,最近は,有効な治療法を確立するためには,「なぜ食べずにいられないのかについて,肥満の病態生理学の基本を理解しなければ」という反省が医療の側に広がっている。肥満は自己責任と,患者の有罪を責め立てたところで,事態の解決には一切結びつかないからである。

 そもそも,自己責任について肥満患者の有罪が確定してきた最大の理由は,体重が重すぎることの害については誰も疑わずにきたことにある。体重が増えるほど糖尿病や高血圧になるリスクが高くなることはよく知られているし,摂取カロリーが増えるほど寿命が短くなることは動物実験でも確認されてきた。肥満(obesity)や過体重(overweight)が罪であることを疑う者など誰もいなかったのである。

 しかし,今年4月,センター・フォー・ディジーズ・コントロール(CDC)が,「適性体重の人(18.5<BMI<25,BMIはbody mass index)と過体重(25<BMI<30)の人を比べると,過体重の人の方が長生き」という衝撃的なデータを発表(JAMA 2005年293巻1861頁),事態は一変した。体重が重すぎることが「罪」でないどころか有益かも知れないとする結果に,(筆者もその一人であるが,)過体重であることに罪の意識を抱いてきた無数の「こぶとり(小太り)人」たちは,ほっと胸をなでおろしたのである。

自己責任の追及より 医療の本質の追求を

 と,「こぶとりの自己責任」について書いてきたのも,「生活習慣病は自己責任なのだから,医療保険の適用外とせよ」などという暴論を唱える人がいるように,「最近の日本は,患者の自己責任を追及することに性急すぎる傾向があるのではないか」と,筆者は心配するからである。博物学の祖,大プリニウス(23-79年)は,「医者には気をつけないといけない。病気がよくなると自分の手柄にするが,いざ悪くなると患者のせいにするからだ」と言ったというが,自己責任を追及することに性急すぎる医療は,大プリニウスの時代の医療と何も変わらないと言われても仕方がない。重要なのは,「悪しき」生活習慣について患者の非を責めることにあるのではなく,患者の生活習慣を改善するために医療に何ができるのかを追求することにあるはずだと思うのだが,どうだろう。

次回につづく