医学界新聞

 

カスガ先生 答えない
悩み相談室

〔連載〕  2

春日武彦◎解答(都立墨東病院精神科部長)


前回2630号

 担当していた患者さんが亡くなりました。気難しい糖尿病の入院患者さんで,外出した際に自ら命を絶ってしまいました。ことさら自殺の徴候には思い当たらなかったので驚くと同時に,亡くなったことに対して悲しみや無力感,悔しさといったものがほとんど生じてこないことに自分でも驚いてしまいました。正直なところ,厄介な患者から解放されてほっとしていたのです。こんな自分に医療者として適性があるのかと心配でたまりません。

(研修医・♂・26歳/内科勤務)


-まっとうな懐疑

 わたしが医者になりたての頃,患者が死んだことで涙を流している内科医を見かけたことがあります(以来,そんな医者は見かけていませんが)。病院で医者が泣いているなんて,異様な光景です。どうやらその内科医はいわゆる熱血医師で,死んだ患者は肝硬変の末期。医師としての彼の力不足だったから,という話ではなかったのです。

 口にこそ出しませんでしたが,わたしの感想は「鬱陶しい奴だなあ」というものでした。泣けば患者が生き返るものでないことは,彼も知っているはずです。なのに,感極まって泣いてしまったのは,思い入れが強過ぎたか,それとも患者が死んだことで泣くような心を持った医師こそが素晴らしいと考えているか――そのどちらかでしょう。ま,若くして情動失禁を呈している可能性もあるのかもしれませんが。

 思い入れの強すぎる医療者は危険です。相手と自分との区別がつかなくなります。自分の考えを相手に強要し,相手をコントロールせずにはいられません。「相手のため」と「自分のため」とが混同されると,あたかも一石二鳥のように思えるかもしれませんが,大間違いです。なぜなら,実際のところ医者と患者とは対等でないからです。主導権は医師が握っている。そのような関係性においてコントロール願望を満たそうとするのは犯罪です。自分と他人とはまったく別な存在であることを前提に,あくまでも治療契約を介してさまざまな応援を図るといった姿勢こそが誠実なのだと思います。愛だとか献身的態度だとか篤実な振る舞いと「コントロール願望」とを区別しない生き方は賛成できません。そのような人は新興宗教でも始めたほうが似合っています。

 精神科では家族病理だとか共依存などといった言葉がしばしば使われ,またそのような概念なくしては,人生の幸福といった問題は考えられないといった状況を呈しています。そしてそのような現状は,コントロール願望といったものがいかに人間の「業」であるかを物語っているのです。

 さて人は漠然と自分なりの役割モデルを想定して生きているものですが,ときおり,何を間違えたのかおそろしく陳腐でステレオタイプなモデルを心の中に据えてしまう人がいます。これこそバーチャルリアリティーと現実との取り違えであり,本物の医者の中にも安っぽいテレビドラマみたいな医者を模倣する者がいるということでありましょう。無視するに限ります。

 あなたは自分がエゴイストの冷血漢ではないかと懸念されているようですね。しかし心配にはおよびません。あなたのような懐疑こそは,人間としての品性を示すものです。謙虚さや羞恥心の存在を示す思考であります。のめりこむ,一途になる,激情に走る,こういった態度は騒がしいだけです。医師に必要なのは,若干のシニカルさと強迫的傾向,そして羞恥心です。優しさとか共感が必要なのは言うまでもありませんが,それは不完全な自分に対する自己嫌悪と表裏一体のものとして現れることこそが「まっとう」なのです。

次回につづく


春日武彦
1951年京都生まれ。日医大卒。産婦人科勤務の後,精神科医となり,精神保健福祉センター,都立松沢病院などを経て現職。『援助者必携 はじめての精神科』『病んだ家族,散乱した室内』(ともに医学書院)など著書多数。

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