医学界新聞

 

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影 第 60 回

メディケイド危機(6)
メディケイド被保険者の無保険者化

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2632号よりつづく

 前回,フロリダ州知事ジェブ・ブッシュの,「丸投げ・民営化」メディケイド改革案を紹介したが,画期的モデルの実例としては,他にも,ユタ州の「プライマリー・ケア・ネットワーク(PCN)」が注目されている。

ユタ州PCNの 「恐ろしい」仕組み

 PCNは,あまり費用をかけずに低所得無保険者に「保険」を提供する目的で2002年に始められた制度であるが,現在加入者1万9千人で運営されている。どこの州でも,メディケイドの被保険者となるためには,ただ貧しいだけでなく「親」であることが要件とされているが,PCNは子どもがいない低所得者にも加入資格があることが特徴となっている。

 これまで医療保険と縁のなかった無保険者が,PCNのおかげで,低額の自己負担分さえ払えば医療サービスにアクセスできるようになったのだから夢のような話であるが,実は,低コストでの運営が可能となっているのは,その名のとおり,保険給付をプライマリ・ケアのみに徹し,その他のコストがかかる医療サービスは一切保険から除外する,という原則で運営されているからである。

 具体的にPCNで「コストがかかる」と保険給付から除外されている医療サービスとは,専門医受診,救急外来受診(註1),入院医療である。つまり,患者がひとたび大病をすると,その途端に無保険者に逆戻りするという「恐ろしい」仕組みになっているのだが,では,入院や専門医受診の医療費は誰が払うかというと,病院や医師の「慈悲」にすがる,というのであるから,「こんな制度は医療保険とはいえない」という批判が出るのも当然だろう。

背後に見える ブッシュ政権の意図

 PCNを実現した立役者は,元ユタ州知事であり,現保健省長官のマイク・リービットである。メディケイドの支出増は,連邦政府にとっても大問題であり,ホワイトハウスは,2005年度の予算案で,メディケイドの支出を今後10年にわたって総額600億ドル減額することを提案しているほどなのだが,リービットは,「低コストのメディケイド・モデル」として,自分が実現を推進したPCNを,本気で推奨しているのである。

 ちなみに,前回紹介した「丸投げ・民営化」モデルを推進しているフロリダ州知事ジェブ・ブッシュは,周知のとおり,ブッシュ大統領の実弟に当たる。同知事の改革案も大統領と意を通じて作成されたものであると言われているが,リービットやブッシュ知事の動きの背後には,「メディケイドのさらなる低コスト化を実現するためには,ドラスティックな給付制限が必要」という,ブッシュ政権の意図がほの見えるのである。

 もともと,ブッシュ大統領は,「政府が運営する医療制度は間違い。米国の医療が世界一であるのは,『民』に医療を委ねるからこそであり,現在のシステムを守り抜く」(註2)と常々公言していることでもわかるように,市場原理派を代表する存在であり,たとえば「民」の自由度を究極まで高めるフロリダのメディケイド改革案は,まさに,「我が意をえた」ものなのである。

国民の3人に1人が 「実質的無保険者」

 しかし,「米国の医療は世界一」という大統領の思いこみとは裏腹に,こと「アクセス」に関しては,米国の医療は先進国中最悪と断言せざるを得ない。無保険者が国民の7人に1人(4300万人)という現実はそれだけで悲惨であるが,今回のシリーズで見てきたように,実はメディケイドでの大幅な給付制限が進行し,メディケイド被保険者の「実質的無保険者化」が進展しているのであるから事態はいよいよ深刻である。国民の6人に1人と言われるメディケイド被保険者(5000万人)を潜在的無保険者として数えた場合,米国では,実に国民の3人に1人が無保険者あるいは潜在的無保険者となっているのである。

 無保険社会が常態化している米国の医療を「世界一」と誇るブッシュ大統領の主張は完全な間違いと言わざるをえないが,こと「米国医療制度の現状は『民』主導のたまもの」という点に限れば,その主張は全面的に正しい。購買力がある者のみにサービスを提供するという市場原理の原則で医療を運営すれば,社会に無保険者が氾濫するのも当たり前だからである。

 アクセスが保証されない医療制度を,「世界一」と豪語する傲岸さには呆れる他ないが,ここで本当に恐ろしいのは,米国型の「民」主導の医療制度を日本にも押しつけようとする動きが力を強めていることである。「混合診療全面解禁」の主張はその代表的な例と言えるが,医療における一連の「規制改革」の動きの背後に,日本における市場拡大をねらう米保険業界の強い意図を感じるのは筆者だけだろうか。

(この項おわり)


註1:ただし,本当に命にかかわる状態であったという医師の事後診断があった場合に限り,保険給付が認められる。
註2:引用は大統領年頭所感演説(2004年)から。