医学界新聞

 

虐待予防は周産期医療の現場から

厚生労働科学研究班が虐待予防の新たな方向性を提唱


 児童虐待予防における医療機関の役割は,これまで主に「虐待の早期発見と関係諸機関への連絡・連携」という文脈で議論が交わされてきた。しかし,厚生労働科学研究「ヘルスプロモーションに基づいた,医療・福祉の連携等地域資源の有効活用による子育て不安解消に関する研究班」(座長:櫃本真聿・愛媛大医療福祉支援センター)では,「妊娠・周産期における虐待予防」に注目し,医療機関自らが出産前後から始める子育て支援を行うことによって虐待の発生そのものを予防することをめざし,議論を重ねてきた。同班の3年間に及ぶ研究では,全国の医療機関等で,子育て支援を通した虐待予防に先駆的に取り組む実践家・研究者から多くの知見が寄せられた。ここではその取り組みの一部を紹介したい。


出産前後の母親を サポートするシステム作り

 出産前後における産婦は,出産そのものへの不安はもちろん,自身の体調の変化,その後の育児不安などから,精神的に非常に不安定な状況に置かれる。しかし,現在のような少子化・核家族化社会では,半世紀前の本邦で見られたような,大家族による出産・育児のサポートは望みようもない。

 研究協力者の1人,小谷信行氏(松山日赤)は,2004年の7月から24時間体制で母子を支援することを目的に小児科と産科を合体した成育医療センターを立ち上げた。出産前後における産婦の不安を医師,看護師,助産師らのスタッフによってサポートするとともに,胎児から大人になるまで,切れ目なく医療的サポートを受けることを可能にするのが狙いだ。

「ハローベビー・カード」 が妊産婦の不安を解消

 松山日赤ではこれまでもさまざまな形で育児支援に取り組んできた。2000年11月から始めた「ハローベビー・カード」は,出産・退院後の母親に手渡すもの。カードには助産師の院内PHS番号が記載されており,生後3か月間は,24時間いつでも産後の生活指導や育児相談を受けられるホットラインが引かれている。

 「カードを配った人の8割ぐらいの方が電話をかけてきます。ほとんどは電話の相談で済みますが,必要があれば来院して小児科医が診療することもできる。何より,『あなたたちは守られている』という安心感を与えられることが大きな効果だと感じています」と小谷氏は言う。

 松山日赤成育医療センターではこのほかにも,出産前から新生児のカルテを作る「胎児カルテ」や,診療の空き時間に妊婦への相談やサポートを行う「成育医療ボランティア」といった試みを行っている。特に胎児カルテは,胎児に人権があるということを関係者の間で共有し,胎児を中心とした産科医療を行う基盤となりうる試みであるとして,研究会の議論でも注目を集めた。これらは診療報酬に裏付けられたものではなく,あくまで医療機関のボランタリーな活動である。

肌の触れあいから始める 母子関係づくり

 同じ周産期からの虐待予防でも,出産直後からの母子の触れ合いに注目した取り組みを報告したのは,堀内勁氏(聖マリアンナ医大横浜市西部病院周産期センター)である。取り組みの主な中身は「カンガルーケア」と「ナラティヴ」である。

 カンガルーケアとは,産まれたばかりの児を母親の裸の胸に立位で抱き,肌と肌を接触させて哺育する方法で,保温,無呼吸発作の減少などの効果のほかに,養育遺棄が減少するといったデータも報告されている。

 研究会で堀内氏は,出産後30分,60分,120分……と,それぞれ異なる時間,カンガルーケアを行った母親にインタビューを行い,そこで語られたこと(ナラティヴ)を報告。カンガルーケアが母親にとってどのような体験であるかを紹介した。

 報告では,カンガルーケアを長く行った母親ほど,たくさんの「語り」が得られ,またその内容も肯定的なものが多くなったという。例えば,産後2時間カンガルーケアを行ったある母親は,「お腹の中にいた赤ちゃんが外に出てきて,今,私のお腹の中にある不思議な感じと,赤ちゃんの暖かさが伝わってきて,ああ,生きているのだなと思いました」と語っている。堀内氏はこれについて,「当たり前のように“妊娠・出産”という言葉を使っていますが,実際にはとても複雑なことが起きています。ご本人に話をうかがうと,カンガルーケアの有無とは関係なく,どの母親も出産前後の急激な身体変化に適応できないということをおっしゃいます。出産直後に児と直接肌を触れ合うことで,それまでお腹の中にいた子どもが“失われた”喪失感や,出産の痛み・苦痛をポジティヴなものに置き換えていくことができるのだと考えています」と説明する。

周産期医療に 「生活モデル」導入を

 現在,多くの病院で行われているお産では,産後すぐに母子別室となり,母乳育児も積極的に行われていない。こうした医療管理型の出産環境が,妊娠・出産期の不安定な状態にある母親の不安を高め,自信を失わせ,後の虐待へのリスクを高めていると堀内氏は指摘する。

 「ほとんどの妊娠・出産は正常なのです。そう考えれば,周産期では医療モデルをもう少し相対化し,生活モデルを導入していくことが重要ではないでしょうか」

 具体的には,本人自身の産む力をエンパワメント(内なる力の賦活化)し,妊娠・出産期の身体的・心理的変化や,産まれてくる新しい命に向き合うことができるようにサポートしていくことが今後の成育医療支援には求められるということだ。このような活動は,WHOとユニセフが認定するBFH(Baby Friendly Hospital;赤ちゃんに優しい病院)の認定により,全国への普及が図られている。

始まったばかりの 「子育てエンパワメント」

 これらのほかにも,多くの先駆的な取り組みが本研究班で紹介されたものの,全国的に見れば,こうした取り組みを行っている医療機関はまだ少数派である。また,行政との連携など課題は多い。研究班の座長である櫃本氏は,次のように今後の展望を語っている。

 「児童虐待の『対策』ではなく『予防』を推進するためには,行政や専門家主導の保健・医療の観点からではなく,生活モデルを重視したヘルスプロモーションの考え方の下で,子育てを支援しエンパワメントする環境整備が必要です。特に,妊娠・周産期において医療機関(医師や助産師等)が,行政からの依頼ではなく自ら子育てエンパワメントに取り組むことは極めて有効と考えています。本研究で明らかになったように,全国には既に医療機関のボランタリーな活動があり,これらが普及するよう住民への広報とともに,関係スタッフの養成や医療機関へのバックアップ等が期待されるところです」

 周産期の現場から始める虐待予防。草の根の取り組みはまだ始まったばかりだ。