医学界新聞

 

寄稿

がんをウイルスが治療する
単純ヘルペスウイルスHF10を用いたウイルス療法

中尾昭公(名古屋大学大学院医学系研究科教授・病態制御外科学/第二外科)


 がんに対する治療法は,飛躍的な進歩を遂げている。しかし,手術療法,化学療法,放射線療法,がん標的療法,免疫療法など,さまざまな治療法があるにもかかわらず,いまだにこれといった決定的な治療法がないのが現状である。

 われわれは,がんを撲滅すべく,さまざまな取り組みを行ってきた。本稿では,その中でもユニークな治療法である,単純ヘルペスウイルス(herpes simplex virus;以下HSV)を用いたoncolytic viral therapy,すなわちがんに対するウイルス療法について,われわれの取り組みを紹介する。

がん細胞で選択的に増殖

 1990年代に入り,病原性を減弱したウイルスががん治療に使用されるようになってきた。現在,さまざまな変異HSVを利用して,世界的に第I相から第II相臨床試験が行われている。また,遺伝子組み換えHSVも開発されている。HSVを用いる理由には,

1)ヒトのほぼあらゆる種類の細胞に対して感染可能である。
2)アデノウイルスなどに比べて感染効率がよい。
3)ウイルスの生活環とゲノムの全塩基配列が解明されている。
4)比較的低い感染多重度ですべての細胞の死滅が可能である。
5)増殖を抑制する抗ウイルス薬が存在する。

といったことがあげられる。これまでに作製された,いずれの組み換えウイルスも,ウイルスをがん細胞に感染させることにより,がんの退縮を図るという発想の基に開発,試験されている。

 これらの方法は,がん細胞の増殖する速度が正常細胞に比べ著しく速いことを利用している。ウイルスは増殖に必要な遺伝子の一部を不活化され自己増殖能が低下しているので,核酸合成の活発ながん細胞の中においてそれが補われ,結果としてがん細胞で選択的に増殖するわけである。

 アメリカなどでは特にγ134.5という中枢神経病原性に関係した遺伝子を不活化した変異株であるG207やNV1020が注目されているが,病原性を抑え弱毒化を進めたぶん,抗腫瘍効果も弱く,期待されたほどの結果は得られていない。

高い抗腫瘍効果と安全性

 名古屋大学ウイルス学(西山幸廣教授ら)で,既知のHSV株から自然分離されてきたウイルスをHF10と命名した。これが,われわれが本療法で用いているウイルスであり,その遺伝子型,表現型についての研究・解明が今日まで進められている。

 HF10のゲノム構造としては,UL56遺伝子の欠損,L領域の両端に存在する倒置反復配列の部分的欠損などがあり,培養細胞での継代におけるゲノムの安定性が高いことが特徴である。また,培養細胞での増殖性はwild typeに劣らないほど極めてよいにもかかわらず,マウスに対する病原性,つまり中枢神経侵襲性は10000倍以下に抑えられているという特性を持っている。HSVに対する感受性がヒトより高いとされるマウスに対する投与においても,安全性が確認されているわけである。

 マウス由来大腸がん細胞,同肉腫細胞,同乳がん細胞などを用いたin vitro,in vivoでの実験でも,その安全性と抗腫瘍効果は確かめられている。大腸がん細胞株を用いた腹膜播種モデルでは,HF10を3日間連続投与すると,コントロール群では100%死亡するのに対し,治療群では90%が生存した。また,生存したマウスでは,腫瘍細胞の再接種を行っても完全に抵抗性を示し,特異的な免疫能が獲得されていることが示唆されている。

 乳がん細胞株を用いた皮下腫瘍モデルでも,HF10接種群ではコントロール群に比べて明らかに腫瘍の増大が抑制され,生存期間は延長した。またヒト乳がん細胞を用いた実験でも,培養細胞内での増殖が確認され,抗腫瘍効果が確認された。これらのことから,HF10は腫瘍の種類に関わらず,さまざまな種類のがんにおいて増殖および細胞障害性が確認されたばかりでなく,感染によって免疫系が賦活化され抗腫瘍免疫が誘導されることも示唆された。したがって,HF10は直接的,間接的に抗腫瘍効果をもたらすものと考えられる。

臨床試験でも効果を確認

 こうした基礎実験を基に,2003年に当院倫理委員会の承認を得たうえで,再発乳がんの皮膚転移巣に対するHF10を用いたウイルス治療の第I相臨床試験を行った。その結果,試験を行った6例全例において抗体価の上昇や,明らかな副作用等を認めず,局所療法におけるHF10の安全性が確認された。また,全例に病理組織学的にgrade 1aから3の効果を認め(写真),極めて有効な治療法であることが確認された。今後は接種するウイルス量の増量,接種回数の増加などにより,更なる効果が期待される。

HF10の可能性

 現在われわれは,高度進行膵がんに対するHF10療法の臨床試験を計画し,2005年3月末現在2例の方に対し,すでにHF10を投与している。この臨床試験は進行中ではあるが,今のところ大きな副作用の発現等を認めていない。効果については随時確認を行う予定になっている。

 今後の展望としては,もちろんHF10単独での投与についての可能性を探ることは言うまでもないが,抗がん剤や放射線との併用によっても,相加あるいは相乗効果が出ることが期待される。また,ウイルスを投与することによる免疫能の上昇により,二次的にあるいは間接的に抗腫瘍効果が波及することも考えられている。一方,実験系ではがん性腹膜炎や肝,肺などにおける遠隔転移巣に対するHF10の効果なども検討する方向である。

 本稿では,HSVを用いたがんに対するウイルス療法を簡単に解説し,当院で行われている臨床試験の一端をご紹介した。今後更なる基礎研究や臨床試験を行いこの療法が確立すれば,がんを克服するための有効な手段となることは間違いない。これからの進展をご期待いただきたい。


中尾昭公氏
1973年名大医学部卒。89年ピッツバーグ大留学,消化器がんを中心とした診断,外科治療に従事。特に膵がん手術においては多くの新術式を考案し,集学的治療も数多く行ってきた。99年名大医学部第二外科教授就任後は,ウイルス学の西山研究室とoncolytic viral therapyの共同研究を積極的に進めている。