医学界新聞

 

看護のアジェンダ
 看護・医療界の“いま”を見つめ直し,読み解き,
 未来に向けたアジェンダ(検討課題)を提示します。
〈第3回〉
看護界の遺伝子

井部俊子
聖路加看護大学学長


前回よりつづく

臨地実習での心的外傷体験

 「学長は,学生がどのような思いで学校に来ているのか考えていますか」と,その学生は私に問うた。最初は真意をつかめずにいたが,鍋料理を囲むうちにわかってきた。つまり,臨地実習で教員の言葉による心的外傷体験を受けている学生が少なからずいるというのである。いわく,「そんなことでよくこれまで挫折せずにやってこれたわね」,「あなたとは(実習を)やりたくないわ」などと,その教員は平気で言うらしい。

 以前にも似たような状況があったなとすぐに思い起こした。これは『マネジメントの魅力』(日本看護協会出版会,2000年)の「とっておきのルール」に書いた。「4.新人の指導に親の顔は要らない」である。「ある先輩ナースがなかなか要領よく仕事ができない新人ナースに“まったく,親の顔がみたいわ”と言ったということで,そこまで言われることはないと新人が嘆き悲しんでいるという話を婦長(当時)が伝えてきた。このような無神経な言葉を発する先輩ナースの親の顔をみたいものである。私は相手の人格を無視するこうした言動は許せないとついコーフンしてしまう」と,看護部長の私は書いている。

 実習に関連した内容は,『マネジメントの魅力2』(日本看護協会出版会,2004年)にも出てくる。「41.看護学生たちの夏」の章である。この章では,看護学生のインターンシップサマープログラムのことをテーマにしており,5日間のプログラムの最終日に,彼女たちの発言を記述した箇所である。「発言の多くは,これまでの実習内容もしくは実習病院での体験と比較して述べられる」のだが,「自分の実習病院では身構えているが,実習がこんなに楽しいのかと思った」ことや,「煙たがられていた実習だったが,ここでは,みんな親切で上下関係がなく自由に仕事をしていた」と感じたことや,きわめつけは「他校の学生と触れ合うことで,病院の看護が学生の価値観に影響していることがわかった」という名言があり,私をうならせた。

繰り返される 「否定的フィードバック」

 理論と実践を統合する実習という学習形態は,看護学生からみると,「煙たがられている場所」であり,そこでの体験が自らの価値観を形成していると考えている。しかしながら,実習指導はどうあるべきかは十分に検討されていない。学生が増えると,まず実習指導者の確保が問題になる。急ごしらえの実習指導者は,実習指導方法論を習得することもなく,自分の臨床経験だけを頼りに,学生と対峙する。そうなると,自分がその昔されたようにするという現象が起こる。しかも恐ろしいことに,若い頃にやられたことを批判し,自分はああはなりたくないと思っていたことを無意識にやってしまうのである。

 実習指導方法論はさまざまな研究すべき課題を含んでいる。教育側の実習指導者が,忙しい臨床側に迷惑にならないように配慮するあまり,学生の体験をコントロールし,まるで養殖場のような環境を作り上げてしまうため,学生は大海という現実を体験することなく,受け持ち患者とのやりとりだけで実習が終わってしまうことになる。このことが彼らのリアリティショックを助長する。学年が長じるにしたがって,養殖場の囲いを取り本当の海を体験することができるようにすべきではないかと思う。

 いつも否定的フィードバックを受けて育った新人看護師が,経験を積み,指導者になり,再び否定的フィードバックを実践し,そして教育の現場に入り,そのことをくり返す。そうした指導を受けた学生が次世代でも同様なサイクルを作る。こうして看護界の遺伝子が受け継がれる。まるで『永遠の仔』(天童荒太著.幻冬舎,1999年)のように。