看護のアジェンダ | |
看護・医療界の“いま”を見つめ直し,読み解き,
未来に向けたアジェンダ(検討課題)を提示します。 | |
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井部俊子 聖路加看護大学学長 |
(前回よりつづく)
先日もある病院の看護部長が深刻な顔をして「4月に20人採用した新人看護師のうち,数か月で2人辞めたのです。こんなことはいまだかつてなかったことです」と言う。今や看護管理者が集まるごとに交わされる会話は「就職して早々に辞める新人看護師たちの増加」である。
看護師として勤務する職場は,早期退職者に限らず,多くの看護師にとってますます苛酷になってきている。苛酷とは,辞書によると,「厳しくむごい様子」をさす。
苛酷さ増す臨床現場
どのように厳しくむごいのかを客観的に,しかも第三者の心にしみ入るように示すことが困難なのが,いつももどかしい。例えば,厚生労働省「新人看護職員の臨床実践能力の向上に関する検討会報告書」(座長=井部俊子,2004年3月)では,臨床現場の現状を次のように記述している。「医療技術の進歩,患者の高齢化,重症化,平均在院日数の短縮化等により,療養生活支援の専門家としての看護職員の役割は,複雑多様化し,その業務密度も高まっている」。この数行だけで,臨床看護師は本当にそうだと納得できるのだが,そうでない人たちにとっては,単なる枕詞にすぎないであろう。「医療技術の進歩」で現場はどうなるのか,「患者の高齢化・重症化」でどのように大変になっているのか,「平均在院日数の短縮化」で何が変わってきたのか,しかもこれらの要因は別々に生じているのではなく,いっぺんに押し寄せているのである。
前述の報告書の続きをみてみよう。「看護のあらゆる場面で,患者にわかりやすい丁寧な説明を行ったうえで納得してもらい,看護ケアを提供することが求められている。特に,高齢者に対しては,身体機能の低下を踏まえた緻密な観察と生活援助,時には精神機能の低下を受容しつつ,人権を尊重し,抑制の回避など適切な看護を提供しなければならない」と述べる。これで十分伝わったであろうか。
次は在院日数の短縮化である。これによって,「患者・家族への療養生活指導や退院調整に多くの時間を費やすとともに,頻繁な入退院に伴う看護業務も増加している」。現場でよく起こる諍いは,「検査や処置がない患者はベッドにいてもらうだけでよいのでナースには負担がかかっていない」と思う医師たちと,療養生活支援の専門家であるナースのきめ細かな配慮との見解の相違である。これでもめごとが起こり,疲れを増す。
報告書が次に言及していることは「医療安全の確保」である。「操作や用法を間違えれば患者の生命に多大な影響を与える医療機器や医薬品の種類は増加の一方にある。そのため,看護職員は,医療機器の確実な操作・管理をしながら,多様な作用を有する多種類の医薬品について,医師の指示に基づき,患者名・量・時間等を確認し誤りなく与薬し,経過を緻密に観察することが求められている」のである。
このようなことは当然ではないかと,一般の人は思うかもしれない。しかし看護師は受け持ち患者が昼間は7-8人から,夜勤では20人近くを自らの全責任で担当するのである。そして,「限られた時間の中で業務の優先度を考えつつ,多重の課題に対応しなければならない状況」にあり,しかも,「ひとつの業務を遂行する間にも他の業務による中断」があり,勤務中は気持ちをはりつめたまま,水を飲むのもひかえ,トイレもがまんして,腰かける間もなく歩き回り,「複雑な状況に即応できる能力」を発揮しているのである。
まさに看護師たちの生来の使命感である「患者のためという呪縛」によって看護サービスは成り立っている。
アラームとしての 新人看護師の早期退職
看護師たちが直面している苛酷さを考える時,チャンブリスの文章(註)が思い出される。保健医療における倫理的問題は,根本的にシステムが生み出したものであり,政治的衝突であるとしたうえで,彼はこのように指摘している。「それらに関して決定を下すのは最も思慮深いあるいは教養のある人ではなく,最も権力のある人である」と。そしてその「最も権力のある人」とは人間ではなく,組織や保健医療システム全体となってきているというのである。まるでホラー映画のようだ。新人看護師の早期退職は,理不尽な苛酷さのアラームかもしれない。
(註)ダニエル・F・チャンブリス著,浅野祐子訳:ケアの向こう側――看護職が直面する道徳的・倫理的矛盾,247頁,日本看護協会出版会,2002.